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仕事観をアプデせよ

若い頃は毛嫌いしていたことが、歳を取ることでそうでもなくなっていき、最終的にその良さを感じられるようになることって、ありませんか?

わたしはあります。

たとえば。

モデルガンにハマっていた時、なぜかロングバレルの銃にしか興味が湧きませんでした。はじめて手にした銃はMGC製の44マグナム。しかも8と1/3インチという長い銃身を持つモデルでした。

その頃一緒にモデルガンに沼っていた従兄が同時期に購入したのはコルトローマンという警察向けの銃。2インチの非常にずんぐりむっくりした小さなモデルです。

わたしは当時、この2インチのローマンを正直「ダサい」と思っていました。短い銃身、かっこ悪い、と。やはり銃は最低でも6.5インチ。ダーティハリーのように長銃身のマグナムを片手でぶっ飛ばすほうが迫力があるよな。そんなふうに思っていたのです。

しかし、それから45年の月日が経ったいま、わたしの心は2インチローマンの虜に。逆にマグナムの8 1/3は不格好に見えます。ローマン、めっちゃイカす。こういうことだよモデルガンの愉しみは。ぐらいに感じます。

あるいは。

ファッションというものにとんと縁がない人生を歩んできたわたしは、秋から冬にかけてパーカーしか着ていませんでした。それもだいたいグレーの。まさしく着たきり雀の如く、それ一着で通していました。

パーカーがかっこいいなと思っていたのです。そしてその頃はセーターってダサいよねと思っていた。手芸屋の息子にあるまじき思想ではありますがいいの。もう廃業したんだから。なんか毛糸がダサかった。スウェットの潔さが好きだった。

しかしこの2年、3年。歳のせいもあると思うのですがパーカーがしんどい。あの首周りがどうにも重い。それでクルーネックのスウェットなどに手を伸ばしてみたものの、本格的な冬の到来には心許ない。

そうなるとアレです、セーターの出番です。最初は無印良品でシンプルなクルーネックセーターを手にしました。すると着心地がいいではありませんか。早速色違いで数枚買い、首元がシカシカするのが嫌だったハイネックにも手を出す始末。

メリノウールからカシミアまで素材もさまざまな種類を試すようになり、今では冬服の9割がセーターになりました。

こういった人間の経年変化(劣化に非ず)はいたるところにあるんじゃないかと思っていて。

そしてそれが仕事観や労働観なんかにも全く影響がないかというと、実はそんなこともないんじゃないか。そこのチューニングができないと求人広告や採用コミュニケーションの仕事はできないんじゃないかと常々思っておる次第です。

時代遅れな広告って見ていて痛いじゃないですか。求人広告も採用コミュニケーションも広義では広告の範疇に入りますからね。


仕事観、労働観でいうとわたしは筋金入りの昭和モーレツ世代です。

もともと頭がよくなかったこともありますが、とにかく現場でしごかれてなんとか一人前になれたクチ。だから根性論、精神論のヒトです。四の五の言わずにやれ。とにかく粘れ。量は質に転化する、きっとね。という世界で揉まれてきました。

だから最初に新卒社員を受け持った時、その子たちが「効率がいいやり方がある」とか「もう少し無駄のない方法を考えたい」とか言い出したのにはびっくりしたものです。はあ?何言ってんの?うっせえうっせえうっせえわ、てな感じ。

だけど心のどこかで「そう言われてみればそうだよなあ」と思っていたのも事実でした。だって確かに重いコンダラを引きながら自分はいっちょまえになったけど、それって自ら望んだわけではなかったからね。

厳しく体育会系で鍛えられたけど、自分自身はサボりたい、楽したい、できれば働きたくないというタイプでした。成長、なんて言葉に眉を顰めるネガティブな思想も持っています。そういう、全然素直ではない、意欲的でもないところがある。

逆に「よし、今日もお客様のため、社会のために一日一生懸命頑張ろうぜ!」なんていうポジティブパワフルアクティブキャラをかなり意識的に演じていたのですね。

まあ、当時所属していた会社もそういうのを推奨していたのでうまく乗っかったところもあるんですが、ただ、ああいうのって天然でできる人でないと本当に疲れるんです。

で、たまにその辺りに対する不平不満をあからさまに表出してくる新卒入社社員とかがいたりして。お前それでもウチの入社試験通過してきたのか!選考は誰なんだまったく!とか言って怒りながら腹の中では(わかる、わかるよ。お前はいいなあ、それが言えて)なんて思ってました。

あるとき、中途で入社してきた社員が辞めたいという。わたしとわたしの上司は彼をランチに誘って、なんでまた辞めたいの?と聞きました。すると彼がいうには「この会社のいう成長には欺瞞がある。僕はもっと自然に成長したいんです」と。

それを聞いた上司は彼を先に帰したのちに仁王のような顔で「何が自然に成長だ。お前は草か!花かッ!」と呟きながら持っていた箸を折ったほど、怒りに震えていました。

わたしは「まったくです。早いタイミングで退職となって、かえって良かったですよ」と同意しつつ、内心(自然な成長か…確かにそれができたらそっちの方がいいよな)と思ったものです。


そんなベースがあるわたしですから、まだかなり下の世代の仕事観、労働観を聞いてもそれほど驚きません。そしてこの感覚がわたしを今の仕事で喰わせてくれているんだとも思います。

コスパ、タイパというのもわかる。勉強は全てYouTubeで、という40代経営者がいてもさほど違和感を覚えません。

しかしこの先、この「わかっている」状態はどれだけ続くのだろうか、と考えるといささか不安です。いつか、若手社会人の仕事観、労働観がまるっきり理解できない日がくるのかもしれない。

もし、そうなのだとしたら、若い頃から毛嫌いしていたことを年齢とともに受け入れ、さらにはそっちの方が素晴らしいという感覚にアップデートする必要があるのかもしれません。

ロングバレルのマグナムから2インチのローマンに嗜好が移ったように。パーカーからセーターへ選ぶ洋服が変わったように。

待てよ、それでいくとあれか?新しい世代の仕事観・労働観はぐるっと回ってハードワーク礼賛、ビバ!根性論精神論、ということになるのか?だったら楽勝じゃん。

すごいハイテックで最先端なプロダクトやサービスを手がける、見るからにスマートでエリートなスタートアップの代表とかが「顧客の声に徹底的に耳を傾けろ」とか「足を使って情報集めてこい」とか「とにかく粘れ」みたいなことを言うようになるのかな?

それはそれで面白いかな。っていうか仕事観・労働観の永久機関の完成じゃん。

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