【広告本読書録:049】センスは知識からはじまる
水野学 著 朝日新聞出版 刊
そのむかし。六本木のアウシュビッツとの異名をとったコピー・ブティックに勤めていたとき。来る日も来る日もボスからのOKが出ず、ひたすら徹夜を繰り返し、頭を抱え、煙草を咥え、ホールズで吐気を抑えていました。
ある日、あまりにも進捗しないコピーワークに己の限界を感じ、ついにボスに胸のうちを吐露します。吐いてばっかりだな。
「ぼくは、この仕事、向いていないと思います。センスがありません」
するとさっきまで鬼のような形相で原稿に赤字を入れていたボスが、この世のものとは思えないほどの罵詈雑言をぼくに浴びせ続けてきたボスが、それまでにみせたことのないような柔和な表情で言うではありませんか。
「早川、コピーはな、センスで書くものじゃないんだよ。コピーは足で書いて、汗をかいて、恥をかいて上手くなるんだ。センスなんて誰も持っていない。そんなものに頼っちゃあいけないよ」(にっこり)
そう言われて、そうなんだ、とおもい直したぼくは、ふたたび徹夜地獄に自ら没入。いまかんがえれば明らかに思考停止というか、暴力妻にDVされる夫の思考回路そのものじゃん。
でも明らかに赤入れの量と叱責の激しさが減った気がしました。ちょうど先輩コピーライターが辞めて、ぼくしか事務所に残っていなかったからかもしれません。
ともあれ、それ以来、ぼくはセンス否定論者となったのでした。
今回の広告本は、グッドデザインカンパニーを率いる水野学さんがお書きになった『センスは知識からはじまる』です。この本が、ぼくがセンス否定論者になったとき手元にあったとしたら…たぶん、それでも内容を理解するスキルを当時は持ち得てなかったので、なにも変わらなかったとおもいます。
でも、いまならわかります。居酒屋店長時代にだいぶあたまよくなったので。居酒屋の店長という仕事はものすごくあたまをつかうんですよ。その話はまた別のところで…
すごいおもしろい文章を書く人がいる
ぼくは子どもの頃からおもしろい文章がだいすきです。おもしろい文章を読むと本当に楽しい気分になりますし、何度も繰り返して読んでは笑い、豊かな気持ちにもなります。
そして、どうしたらこんなにおもしろい文章が書けるのだろう、ぼくにはとても無理だや。きっとこの作者はセンスが抜群にいいんだろうな。といつもおもっていました。
最近だと、Twitterで知ったのですが、セキヤスヒサさんという方のブログが本当に震えるぐらいおもしろくて、やられた!ひさしぶりにあらわれたすごいセンスの持ち主だ!と衝撃を受けました。patoさん以来?
この人は文章もさることながら、その中身ですね。思いつきビジネスアイデアそのものが超絶面白い。その面白い中身に何十倍もブーストをかける文体の面白さ。もはやアートの域。バックナンバーも全部おもしろい。
で、昔のぼくなら「こんなセンスよくなれるなんて、すごい。ぼくにはやっぱり無理だや」となんなら打ちひしがれる勢いだったのですが、水野さんの本を読んでからというものの、この人のセンスの良さはこういうことなんだな、とその正体がわかるようになりました。
人間、よくわからない不確かなものには不安な気持ちで向き合うんですが、わかると怖くなくなりますね。そして正しく理解でき、正しくリスペクトできる。精神衛生上とってもいいかんじです。
数値化出来ない事象を最適化する
ことほどさように「センス」とは捉えようがない、あるいは雲をつかむようなものだとおもわれてきました。しかし水野さんは断言します。
センスとは数値化出来ない事象を最適化すること
数値化出来ない事象を最適化するために「普通を知る」ことが大事。そして普通とは「いいもの」と「悪いもの」がわかるということ。それがわかれば普通よりちょっといいもの、普通よりすごくいいもの、普通よりとんでもなくいいもの、というようにあらゆるものが作れる、といいます。
なるほど、たしかになあ。
そして、普通を知る唯一の方法が、知識を得ることだといいます。
センスとは知識の集積である
水野さんがこの本で言いたかったことは、これです。
つまり、前述のセキさんがあんなにセンスのいいことを考えたり、センスのいい文章が書けるのは、きっとものすごく知識があるからなんです。テーマごとに深く考え、たくさんの材料を仕入れ、結果としての知識がある。
きっと文体についても相当いろいろな知識を持っていて、その中からあのような読ませる面白文が生まれているのでしょう。
そう考えたら、努力家なんですよね。そして自分もそうなりたければ努力すればいいだけなんです。それがなかなかできないんですけど。
知識の増やし方
ではどうやったらセンスを良くするための知識を増やすことができるか。コツがある、と水野さん。
①王道をおさえる
②流行をチェックする
③共通項を見出す
この3つの方法で蓄えた知識のクオリティが高ければ、アウトプットの精度も高くなるのだそうです。王道についてはひとつに絞るのではなく、そのプロセスをおさえること。流行については雑誌を複数冊読むことで見えてくる。そして最後の共通項については、集めた情報を分析したり解釈することで自分の知識へと精製することだと言います。
水野さんによれば、感覚は知識の集合体。たとえば「美しいな」と感じる背景には、それまで自分が美しいと思ってきたありとあらゆるものが存在している。それが自分にとっての「普通」という定規になるのだそうです。
専門家と話す機会はチャンス!
さらに、専門家、ときには○○オタク、と呼ばれる人たちと話す機会があれば自分のセンスアップのチャンス!相手の専門性にあわせて自分をチューニングして、話を深く聞き取るといいとのこと。
こうした「知ろう」という姿勢が習慣化されると、自ずと知識や情報が向こうから集まってくるようになるそうです。
そう、センスは研鑽によって身につき、磨かれていくものなのです。
人間、どうしても自分の知識の範囲外の人よりも、同質性を求めがちですよね。でもそれって結局自分の知識の枠からでることができない。もったいないとおもいます。めんどくさいけど、一歩。重い腰を上げることからはじめれば、いつしかセンスが磨かれていくとおもいます。
思い当たる節も
『センスは知識からはじまる』を読み終えておもうのは、確かになあ…ということばかりです。
たとえばぼくでいえば、音楽についてはかなり時間をかけて広い範囲で聞き続けてきているので、良い悪いはさておきひとつの判断基準を持てているなと自覚しています。
しかしファッションになると、その正反対。まるで自信がありません。興味もないから知識もない。着れればなんでもいいや、というスタンスなので、いっこうにセンスが磨かれないです。ダサいです。
仕事の面でいえば、前職で3000社以上の採用広告に関わってきたことから「はたらく」ということや「仕事の魅力をどう伝えるか」についてのセンスはあります。これは結構自信ある。
一方でBSやPLを見たり、社内政治で上手く場面を切り盛りしたり、ということは苦手。苦手意識からか、情報を積極的に仕入れることなどもせず…経営というものにはセンスないだろうなと。
はっ!
ここまで書いておもったのが、これだけ多くの広告本を読んできているんだから広告センスが磨かれてもおかしくないはずなのに…そっち方面は一向に改善されない!なんでだ!やりかたが悪いのか!?誰か教えて!!
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