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【広告本読書録:033】みんなCM音楽を歌っていた―大森昭男ともうひとつのJ‐POP

田家秀樹 著 徳間書店 発行

ぼくはテレビっ子

物心がついたころにはカラー放送だったこともあり、ナチュラルボーンテレビっ子である。小さい頃からとにかくテレビさえ見せておけば文句はいわない、という姿勢を貫き通してはや51年。思えば遠くへきたものです。

名古屋という辺鄙な(当時は)土地に生まれ育った者としては、あらゆるカルチャーの中心にテレビがあったといっても過言ではありません。テレビによって世の中の出来事を知り、テレビによって人生のキビを知り、テレビによってきびだんごの作り方を知る。テレビとはそういう存在でした。

当然、テレビから受ける影響は人格にも及び、いまのぼくが考えることのほぼすべてがテレビによって確立されたと言っていいでしょう。そんな大げさなという人もいるかもしれないが、実際そうなので仕方ないです。おじいちゃんやおばあちゃん、おとうさんやおかあさん、そして学校の先生の言うことよりもテレビが言うことが正しいと思ってました。

ぼくが広告の世界に興味を持ち始めたのも、テレビがきっかけです。ここまで文字数を尽くして書いたぐらいテレビを見ていたわけで、と、いうことは当然ながらテレビコマーシャル(以下CM)も見ていたわけで。現在のように録画という概念がまだない時代、コマーシャルは強制的に見せられる類いのもの。

しかしぼくにとってコマーシャルを見ることは、決して強いられて、というものではありませんでした。むしろ昔から喜んで見ていたほう。幼少期はジャンボマシンダーのCMを見ては「なぜぼくのジャンボマシンダーのロケットパンチは火を吹きながら飛ばないのだろう」と思い悩んだものだし、中華三昧のCMを見ては「このラーメンは中国が四千年の時をかけてつくったものなんだ」と信じきってました。

そうこうするうちに少しずつ大人に近づいていくぼく。アニメや特撮が大好きだった少年はいつしか音楽にその情熱のほとんどを傾けるようになります。そうするとあれですよ、時代的には歌謡番組花盛りな頃で、同世代(昭和40年代前半生まれ)の方なら一度はやったことあると思うが、ラジカセでテレビの歌番組を録音するというヤツにチャレンジしはじめるわけです。

CM音楽に目覚める

その頃、はやっていたのがタイアップ。コマーシャルソング(以下コマソン)のほとんどがタイアップで作られていました。タイアップについては以下参照のほど。

なので、コマソンのクオリティが異様に高かった時代でもあったのですね。音楽に目覚めたぼくが急速に惹かれていったのには、こうした背景がありました。

そして、大手化粧品メーカーのキャンペーンなどの場合はクレジットにミュージシャンの名前が入るのですが、そうじゃないものはノンクレジットだったりします。そうなると、そのCMでしか聞くことができない。ある事情からレコード屋と昵懇だったぼくはしょっちゅう「いまOAされてる●●のCMで流れる曲って誰かわかる?」と店長を質問攻めにあわせていたのですが、それでわかっても発売予定がない、というケースがめっさ多かった。

そうなるとますますTVCM録音に力が入るわけです。かくして46分テープの両面にテレビコマーシャルがぎっしり入ったカセットが何本も生まれました。その多くはテレビのスピーカーにラジカセ本体のマイク部分を近づけて録音されたもので、音は悪いはノイズは入るわ…とても聴けたものではないのですが、それでもお気に入りのCM音楽が入ったテープはぼくにとっての宝物でした。

そんなぼくがそういった性癖を忘れた頃に書店で見かけたのがこの本です。

音楽という切り口でCM、広告クリエイティブの世界を語っているこの本。ちょっと変わり種なんですが、なんというか、こう「あの時代」の日本のポップスで育った人たちにとってはなんとも懐かしく、また当時を知る貴重な資料としての役割も果たしてくれます。

この本の主役は、大森昭男さん。日本で指折りのCM音楽プロデューサーです。大森さんがいたから、CM音楽は市民権を得たといえるし、綺羅星のごとく才能が集まり、その文化水準を大きく向上させたといってもいい。

大森さんからの声がけでCM音楽の世界に足を踏み入れたミュージシャンを紹介します。大滝詠一(もうこの時点でヤバい!)、細野晴臣、坂本龍一、矢野顕子、井上鑑、矢沢永吉、宇崎竜童、南こうせつ、堀内孝雄、大貫妙子、山下達郎…いまに轟くビッグネームばかり。

逆にいうとこれらのビッグネームも大森さんからのCMの仕事がなかったら、いま存在していなかったかもしれないぐらいです。それぐらい、売れないミュージシャンにとってCMの仕事はお金になったわけですね。

まさに日本のポップス裏歴史

本書のサブタイトルは「大森昭男ともうひとつのJ-POP」なのですが、まさに言い得て妙。日本のポップスに正史というものがあるならば、この書は野史。言い換えれば裏歴史といってもいい。

コマーシャルソングが市民権を得はじめた70年代、コマーシャルソングがヒットチャートを賑わすようになる80年代、そして成熟期に入る90年代…時代の移り変わりとともにCM音楽のありようがグラデーションを描くかのごとく変わっていくその様を、当時の関係者への取材をベースに丹念に織り上げていっています。

だからこの本は広告好きはもちろん、音楽好き(特に邦楽)にも、テレビ史に興味がある人にとっても読み応えのある書といえるでしょう。

しかも大森さんと大滝詠一(!)の対談まで掲載されていて、ぼくのようなテレビっ子+広告好き+CM音楽好き+純粋に音楽好き、というタイプにとってはページをめくる指が震えるほど。

ほんと、マニアックなネタが満載なんですが面白いんですよ!

さらにさらに巻末には『大森昭男制作CM全作品リスト』なる資料が!1972年から2007年までの、大森さんが制作に携わった作品がすべてデータとして網羅されているのです。

ぼくぐらいのヘンタイになると、このデータを眺めながらウイスキーを傾けたりしますね。そして単なる文字列を眺めているだけで、当時の映像や音をおもい起こすことができる(覚えのある作品だけですが)。

特に坂本龍一さんや大滝詠一さんのように、自身のCM作品集を出しているミュージシャンのものは、どこか聴き覚えがあって、懐かしくもあり、思い出に浸れたり。「これは夜に見たことあるな」そんなイメージだけで、40年ぐらい簡単にタイムスリップできるんです。ヘンタイですね。

とにかく、ユーチューブで「古いcm」なんて検索をかけるタイプの方にはぜひ手にとっていただきたい、資料的な価値もかなり高い本であることは間違いありません。

コピーライター、小野田隆雄

この本に出てくる広告クリエイターは本当にたくさんいるのですが、ことコピーライターに限っていえば最も多く登場するのは、かの糸井重里さんです。そしてもうひとり、化粧品会社のCMがキャンペーンソングとともに資生堂VSカネボウの“戦争”なんていう物騒なコトバで表現される時代にやたら名前が挙がる人がひとり。

それが、小野田隆雄さんです。

小野田さんは1966年、資生堂宣伝部でキャリアをスタートさせます。資生堂在籍時が、まさにCMキャンペーンで化粧品メーカーが火花を散らす時代。もともと文学青年だった小野田さんは、その戦場で見事に才能を開花させ、一時代を築き上げていきます。

「ゆれる、まなざし」

「時間よ止まれ」

「夢一夜」

「め組のひと」

当時はいまに比べると娯楽が少ない時代。それだけに「新しい資生堂のコマーシャル見た?」なんて話題が学校や職場で交わされていた。そんな時代に第一線で活躍されていた小野田さん。

当時の流行語ともいえる広告コピーのほとんどが彼の仕事であった、ということも、この本はあらためて教えてくれます。

と、ここで小野田さんについての論考を進めていくと本筋が外れてしまいそうなので、次回または次次回にて小野田さんの著作を取り上げることにします。ご期待ください。

CM音楽はどこにいくのか

この本が出版された2007年からはやくも13年が経とうとしています。本書で対談を通じて微に入り細に入りCM音楽が生まれる過程を語ってくれた大滝詠一さんは鬼籍に入られました。「もったいない」葬儀の際のインタビューで、かの細野晴臣さんが大滝さんの死に寄せたコメントが、そのすべてをあらわしていると言えるでしょう。

そして、この本の主役たる大森昭男さんも、2013年からの闘病生活を経て、昨年、お亡くなりになってしまいました。

いま、CM音楽はどうなっているのでしょうか。安易なタイアップに流れていないか。絵とコトバと真剣にケンカしているか。相乗効果をあげられているか。

ぼくの感性が加齢とともに衰えているのかもしれません。でも、なんとなく、ここ数年というものの、耳で反応するTVCMと出会えていないのです。

世はネット時代。しかも動画がコンテンツキングの座を獲得しつつあります。そんなときだからこそ、広告表現は音楽の力を必要としているのではないか。オリジナリティの高い、才気あふれる一曲が15秒間流れるべきではないか。

これからCM音楽はどこにいくのでしょうか。ぼくにはわかりませんが、三木鶏郎さんから大森昭男さんへ脈々と受け継がれてきた系譜は必ずどこかに息づいているはず。そう期待して、これからもTVCMを楽しんでいきたいとおもいます。






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