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【広告本読書録:042】広告コピーの教科書 その③

誠文堂新光社 編・発行

「11人のプロフェッショナルの仕事から伝える」というサブタイトルにならって登場するクリエイターお一方ずつ、コピー作法の秘伝をかいつまんで紹介するシリーズ。いよいよ最終回でございます。

しかし最初に手にとって読んだときは「サラッ」と流し読みしてしまっていたけど、こうやって解説文のようなものを書くためにあらためて読み返すと意外なほど実践できる秘伝がたくさん盛り込まれていることがわかります。

もしかしたら、ですが、当時よりも少しは仕事がわかってきたからなのかもしれません。これはあくまでぼく自身の希望的観測でしかないんですが。

そして、わからなかったことがわかる、知らなかったことを知る、という行為は本当に楽しいことだなとあらためておもいます。いわゆる頭のいい人はそのことを小学校とか、もしかしたら幼稚園あたりで知るのでしょう。

心の師匠、岩崎俊一先生

コピーはつくるものではなく、見つけるもの。これはぼくが勝手に心の師匠と呼ばせていただいている岩崎俊一さんのコピーにおける考え方のひとつです。ぼくは、このフレーズからコピーライターとしてのリスタートを切ったといまでもおもっています。

つくるものでなく見つけるもの。だからそもそもの言葉の倉庫を豊かにしなければ、見つかるものも見つからない。そのために何をすべきか。読書?もちろん。芸術に触れる?それも大事。でも、もっと大切なことは日常生活の中で起きる出来事を流してしまわず、きちんと「視点」として取り込んでいくこと。

このことがわかってから、やみくもに言葉を考えることを辞めました。
そんな岩崎先生の教えはこちら!

「文章は書く人のものではなく、読む人のもの」

これは金言です。ほんと、この教えほどストンと腹に落ちたものはありません。コピー、という狭量な世界を飛び出した、コミュニケーションすべてに通じる教えです。

僕はよく若い人に「文章は書く人のものではなく、読む人のものだと考えないと間違うよ」という話をします。
僕自身、文章を書くときは、読む人にちゃんとわかってもらえるか、誤解されてしまわないか、ということにいつも気を配りながら書いています。
そして「いい文章」というのは、よどみなく流れるようでなければならないものです。ボディコピーを書くときも、いかに最後のゴールまでよどむことなく行き着くか、そこにものすごく神経を使いますね。
すんなりと読む人の体のなかに入っていく、読む人がいいなぁと感じる。それが、いい文章ではないかと思います。

岩崎先生はほかにも『コピーはつくるものでなく、見つけるもの』『しつこく自分に取材する。言葉は自分の記憶のなかにある』などこの本の中でもたくさんの教えを遺してくださっています。

でもぼくが個人的に、役に立つ立たない関係なく、グッと惹かれるのはいっとう最後に書かれたこの一文です。

人間の幸福は、そうやって考えることのなかにあるはずだと思うんです。生きている限り、ヒントは永遠にあるんです。考えないともったいない。だって、考えることは本当に面白いことなんですから。

岩崎先生はこの本の発売を待つことなく、2014年12月20日、永眠されました。このフレーズを書いたのか、口頭で伝えたのかはわかりません。しかしいまを生きている自分たちは考えることができるのだから、もっともっと、深く広く考えていかなければならないと思いました。

地方発のクリエイティブ、門田陽先生

この『教科書』が優れているなあって思う点のひとつに“まんべんのなさ”があります。性別、年齢、得意業界、キャリア…そして、この門田先生のように地方で活躍するコピーライターまで網羅しているのです。

もちろん門田さんはただ単に福岡で広告を作っているだけでなく、なかなか華麗なキャリアの持ち主。西鉄エージェンシーから仲畑さんに引き抜かれ、仲畑広告制作所へ。さらに電通九州を経て2015年の時点ではふたたび中央の電通に戻ってきています。いまも電通にいらっしゃるとおもわれます。

そんな地方びいき(?)の門田先生の教えは…

「『書く』こと以外の熱意を大切に」

おお、これはいったいどういうことなんでしょうか。

いまはネットもあるし、少なくとも誰が書いているかはわかるじゃないですか。自分で調べて、あの人すごいな会ってみたいなって思って連絡してみれば、案外機会が生まれてつながりができるかもしれない。<中略>でも、大概の人はそれやらないですよね。好きで終わっちゃってるから、なんかそれ、もったいないんじゃないかって気がしています。<中略>コピーライターになりたいけどなれないって言うけど、そういう行動を起こしてないんじゃないかな。「書く」こと以外の熱意。好きってそういうことじゃないですか。

ううむ、たしかに。そういわれてみればぼくだって、もったいない一人かもしれません。過去をふりかえればそれなりにチャンスもあったのに、そのチャンスの神様のしっぽをつかもうとしなかった。

一方で、すごい行動力の持ち主の子、特に女のコに多かったけど、ぼくよりみっつよっつ若い子で有名コピーライターのところにどんどん押しかけていく人もいたりして。ぼくはそれを「すごいなあ、よくやるなあ、ぼくはできないなあ」と勝手に決めつけていたりしたものです。反省。

ハードロマンチッカー…秋山晶先生

さて、三週にまたがって続いてきた『教科書』シリーズのトリを務めるのは、問答無用・御意見無用・天上天下唯我独尊を名乗ることが唯一許された広告コピーの現人神、秋山晶先生です。

いまさら説明不要の秋山先生。のっけからカッコいい。この本が口述筆記によるものだとしたら、ライターに完全に憑依してます。あと、教えをたったひとつに絞る勇気がなくて(涙)ちょっと五月雨式に「これいいな!」というものをいくつかダダ漏らししていきます。

「コピーは早朝がいい」

僕はコピーを午前中に書くと決めています。昼食をとる前に書き上げる。とりわけ短い文章は早朝がいい。空気の状態は人間に大きく影響をおよぼしますから、夜明けのまだ空気のきれいな時間に、窓を開けて書く。

「コピーは引き金をつくる仕事」

広告の作者が提示したイメージは、メディアの受け手の引き金になるに過ぎません。けれど、作者のイメージがなければ、引き金は引かれません。コピーを書くということは、その「引き金をつくる」仕事なのです。

「文章の飛躍が情景を伝える」

「文章に手を入れる」ということは、減らすことを意味します。増やしたくなってしまったら最悪です。<中略>そのときに絶対やるべきことは、ホワイトスペースをとること。人間の意識の流れというのは、文章がある程度飛躍したほうが情景をスムーズに読み取れるものです。思い描いた映像をそのまま全部コピーに書いていくと、途中までしか読んでもらえない文章になってしまう。

「コピーライターには孤独が必要」

「本当の孤独」というのは、どんな社会のなかにいても、組織に属していたとしても、たった一人になれることではないでしょうか。純粋な孤独にならないと、コピーは書けない。僕はそう思います。

どうですか…もうなにもいえなくなっちゃいますよね。1964年、ライトパブリシティでコピーライターのキャリアをスタートさせて、今年で56年。いまだ現役。怪物です。ハードボイルドであり、ロマンチストであり、常に映像と言葉をセットで考えることのできる、稀有なコピーライターです。

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と、いうことで全3回にまたがって続けてきた『広告コピーの教科書』の紹介、いかがでしたでしょうか。なんとなく、参考書ぐらいになったらうれしいです。この本、もし中野や神保町あたりの古本屋で見つけたら、即買いしたほうがいい。それぐらい価値がある一冊でした。

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