見出し画像

求人広告制作者のセンス

広告クリエイティブにセンスはいるか、いらないか。

これはもう太古の昔から議論されているものですが、最近どうやら定着した説としては…

広告クリエイティブにセンスは必要である。ただしセンスは誰でも訓練次第で身につけることができる。

細かい言葉のニュアンスはさておいて、こんなところかと思います。もちろんセンス習得までの難易度も人によりますし、訓練と一言でいってもその方法をあやまれば一生手にいれることはまかりならぬ、というね。

字面から漂う雰囲気ほど簡単なこっちゃねーのよ。

ここまでは一般的な広告、つまりテレビ・ラジオコマーシャルや新聞・雑誌などのグラフィックアドの話でした。

では求人広告の場合はどうか

やっぱセンスいるのか?それともいらないのか?

なんとなくですが一般の広告とはセンスが指すものやその度合いが若干違うような気がします。一般の広告のようにアート要素がほとんどないに等しいからですかね。ほんとはあるんですけどね、ちょこっと。

ただ、まったくないかといわれると、そんなことはない。確かにあるとは思います。センスの良し悪し。センスが新しいか古いか。

まず第一に、ターゲットの捉え方

センスがない人、古い人は自分の世代から下の年齢層をとらえるとき、どこかで聞いたようなモノサシをあてはめようとします。古くは新人類、ちょっと前だとミレニアル世代。最近熱いのはZ世代ですね。

そういうレッテルで一括りにしてしまう。

確かに最大公約数としてはそういうカテゴライズが当てはまるかもしれないんですが、そういうスライスの仕方をすればするほど出来上がる表現がどこかダサっ!って感じになるんですよね。

次に、その企業が持つ魅力のどこをつまむか

ここにもセンスの有無、新しいか古いかは滲み出てくるかなと。センスいまいちの人がチョイスするメリットって実に平凡。意外性に欠けるんです。ま、そりゃそうだよね、みたいな。

それ言われて応募する気になるか?みたいな。

安牌といえば安牌なんだけど、あまりにコスられすぎてて摩擦係数ゼロみたいな。しかもメリットのままでベネフィットに昇華されていないケースもよく見かけます。未経験で初任給40万円!とかね。

そういうハードセルが通用するのはハロワとかバイト募集ではないか。

ここでベネフィットとは、という話

この求人広告制作noteでも何度かとりあげているテーマですが、何度でも言おう。ベネフィットの正体ってやつです。

前職では本当にこれがわかっていないヤングがたくさんいて、いろんな例え話とか、言い方を変えて教えてきたんですけど、どうもハラオチしにくいみたいなんですよね。

メリットとの違いとか、よくわからないみたい。

今年の頭にこうつぶやいた。

「ウチ、こんなにいい会社なんですよ」これはメリット。

「あなたがウチに来るとこんな得がある」これがベネフィット。

この違いね。交渉術の超基本。だから営業の中にときどきとんでもなく求人広告制作の適性が高い人がいるんだけど、たいがい成績がいい。それも数字至上主義タイプじゃなくて、難易度の高い商談をまとめる力のある営業。

で、これもセンスではないかと思うんです。

この交渉のツボがわかるか、わからないか。わかった上で有効に使えるか。センスないと、ここ、一生到達しないんですよね。

求人広告コピーも「量は質に転化する」はあてはまるんだけど、このツボを会得するために量をこなす、と言ってもいいすぎではないでしょうね。表現力を磨くのとは違うんだよね。

逆にセンスいい人は

求人広告のコピーライターで、こいつセンスいいな、と思うヤツの共通項を並べてみますね。

彼らは一様に前提の押さえ方が正しい。たとえばターゲットを想定するとき、当たり前だけど多かれ少なかれ転職意向があるわけですよね。すぐ転職したいのか、あるいはいい話があればなのかの違いはあれど。

大事なのってそこなんですよ。なんとか世代がどう、とかじゃないんです。その上で、ではどういう動機で仕事を探しているのかと仮説を載せていく。余計なことは考えずに最短距離で、必要最低限のスペックとタイプを確定させる。これ、決めきるセンスもいると思います。

センスないヤツほどここでペルソナとかマーケティングデータとかを持ち出そうとするのね。

そして、求人広告の枠の外から考える。たとえばベネフィットを想定するとき、このメリットだったらこういうストーリーが描けるから、こんな得があるよね、と展開できる。メリットを静的に捉えない。一度求人広告の外に出て、人間の営みにまで話を飛ばすんです。

そのためにはなによりインプットが大事。つまりふだんから本を読んでいるか、映画を観ているか、音楽を聴いているか、トレンドをキャッチアップしているか、新聞に目を通しているか。それもいたずらに取り込むのではなくて取捨選択して。これがいわゆる審美眼≒センスだと思います。

そして恐ろしいことにセンスがある人、センスいいなという人も一生安泰、ってわけじゃないんですね。

なによりこわいのは

アンテナが錆びついてセンスが古くなること。

埃の被ったようなセンスだったら、まだない方がマシです。ぼくは悲しいかなそんなにセンスがいいほうではありません。だけど唯一の救いはそのことを知っているという点にある。だからこそ少しでもセンスを磨かなきゃ、といつも焦っているんです。

そして何より作っているもの、書いているものがセンス古いねと思われることを恐れています。自分としてはよかれと思っているものが、世間一般の感覚とズレてしまう。これがいちばん怖い。

一般の広告のように時代の先取りや見たことのない景色を見せる必要はないと思うんです、求人広告は。むしろ時代より半歩ぐらい下がっていてちょうどいい目盛りの位置かと。

だから、逆におっかない。

そういうアドバンテージのあるモノサシの中で感覚がズレるということは、実際には世の中から大きく遅れを取っているわけで。

それってこの手の仕事をする資格ナシに近いと思うんです。

ではどうすればいいのか

具体的にこれ!という決定的な正解は、見つかっていません。ただ、ロートルなりにひとつ心がけていることはあります。

それは「雑食でいつづける」ことです。

ヤングの頃は吸収力もあり、体力もあり、また無駄に時間もあるので、それはもう片っ端からセンス良さそうなものをインプットするのが一番です。センスのディープラーニング状態をつくればよろしい。

だけど、30を過ぎ40を超え、50にならんとす。みたいな年季の入ったおっさんになると(おばさんもですが)まー若い頃みたいに新しいものが受け入れられない。知らないうちに勝手により好みするようになるんです。

そして、新しいものに対してなぜか敵愾心のようなものを覚える。昔はよかった、最近のは薄っぺらい。とか言いだす。言わないまでもずーっと自分が若い頃に影響を受けたものを引きずってしまう。

それ自体はいいんですが新しいものに嫌悪感を抱いたり、そのジャンルに諦念するのはよくないんじゃないか。そういうメンタリティが自分のセンスを自分の手で古いものにしてしまうのではなかろうか。

古いもの、つまり自分の好きな世界は大事にしつつ、新しいものにも積極的に手を伸ばしていく。年齢のせいか、なかなか消化しにくいことも多いでしょう。でも一度は触れておく。

読書も、映画も、音楽も、世の中の動きも。なにごとも食わず嫌いにしないこと。若い娘に「おじさん若作りしちゃってぇ」(なんて気のきいたセリフを言える女子は絶滅してしまったか…はっ!この発想がイカンのよ)といわれてもいいではありませんか。

言い訳しないで雑食でありつづけることで、センスをなんとかキープする。年取ったからこそコンフォートゾーンに逃げ込まない。

おじさんもがんばるので、現役世代の求人広告クリエイターもがんばってください。もし最近ちょっとマンネリ気味で…となってたらセンス放棄の怠慢がその原因かもしれませんよ。

なんせ、求人広告にだってセンスは必要なのですから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?