見出し画像

二度目の転職

ぼくがその六本木のコピーブティックにはじめて足を踏み入れたのは1991年の11月である。目黒の代理店から神楽坂のプロダクションに転職して半年。「こんなはずじゃなかったんだけどな」とモヤモヤしていたころだ。

ある日、前々職で出会った人生で最初の上司、イグチさん(仮名)から「社長を紹介するから一度事務所に遊びに来いよ」と電話が入った。どうやらイグチさんは秋からその会社のお世話になっているらしい。

「すげーいい会社だからさ、てるおも気に入るよ、きっと」ぼくは最初の会社で先輩方から“てるお”と呼ばれてかわいがられていたのだ。ちなみに同僚のまっちゃんは“はるお”と呼ばれていた。なんのことはない、ダウンタウンの昔のコンビ名である。

イグチさんに憧れていたぼくは有頂天になり、映画『チ・ン・ピ・ラ』の洋一のようにスキップしつつ金谷ホテルマンションのチャイムを鳴らした。そう「ゆうこちゃんはっ、おっふろっかなーっ」っていいながら風呂場でシャブを打ってる高樹沙耶を発見した柴田恭兵のように(しかし後に高樹沙耶が大麻推進派になるとは…)。

■ ■ ■

ステューディオタイプの大きなワンフロアを仕切りで分けて2部屋にしたオフィスは、いかにもギョーカイ感あふれる雰囲気だった。棚もデスクもテーブルもホワイトで統一されている。

壁にはこの会社で作ったらしいファイロファクスのB倍版ポスターが貼ってある。キャッチコピーは何級かわからないほど大きな明朝体で組まれていた。「私の美学。」意味はわからないが、カッコいいような気がする。

コンパクトなオーディオシステムからは開局したばかりのJ-WAVEが流れているではないか。神楽坂の会社ではFM東京だった。ぼくは『井村屋肉まんあんまん』のCMや、毎日夕方に渋谷スペイン坂スタジオからお送りする『カタクリコ・ホットライン』といった番組を聴きながら「野暮ったいな…」とおもっていた。

上京して5年ほどの田舎者は軽い立ち眩みを覚えた。憧れのTOKIOにやっと出会えた。TOKIOはまさに、ここにあったのだ。

■ ■ ■

「はじめまして。イグチから聞いてます。早川くんだっけ。星野です」

柔らかい口調で挨拶してくれたのはこの会社の社長だった。よく焼けた精悍な顔つき。大学時代はラグビーをやっていたらしく、ずんぐりむっくりだが力強そうな体躯。35歳ぐらいだろうか。ジノリのカップには淹れたてのブラックコーヒー。ハワイ土産のジッポで火を点けるのはこれまたハワイで買ったマルボロライト。味が違うんだそうだ。趣味はカーレースで愛車はメルツェデス・ベンツ。メルセデスではなく、メルツェデスだ。完璧じゃないか。

「じゃあ、見せてよ、作品」
「あ、はい、こちらです」
「ふん、ふんふん」

社長はぼくのポートフォリオを興味なさげにめくる。あらかじめイグチさんからは「念の為に作品持ってこいよ、社長は無冠の帝王って言われてる人だから、コピーのアドバイスもらえるかもよ、ためになるぞ」と言われていたのだ。でもそんなすごい人に見せるほど作品もたまってないし…と、あまり自信はなかった。

「ふうん、いまいくらもらってんの?」
「え?給料ですか?13万円です」

辞めます、と目黒の会社の部長や社長室長に話したところ、翌月の給料が12万円から15万円に上がった。ちなみに面接の時点では12万円だったので神楽坂の社長は「給料12万円なの?そりゃ少ないね。よし、ウチでは13万円からスタートだ。ちょっとした転職祝いだよ」と笑いながら肩を叩いてくれた。実質は2万円降給になってしまうのだが。

「13万円?貰いすぎだろう、このレベルで」
「え、でも去年より1万円上がったんです…」
「ウチは11万円からだ。キッチリ鍛えてやる」
「え…?」

ちょっとまってくれ、面接なの?これ。いやいや、確かにカッチョいい事務所だし、業界ってこんなかんじだろうし、いま勤めてる会社ってちょっとイケてないしモヤモヤしてるけど…

「いつから来れる?年内がいいんだけど」
「いや取材が終わったばかりのパンフが…」
「それいつ終わるの?」
「うんと、あの、2月ぐらい…」
「それ待ってるとどうなるかわかる?」
「いや…」
「お前は一生業界の底辺で言い訳する」
「え…」
「俺は運がなかった、才能はあるのに、って」
「……」
「才能ってさ、チャンスつかむ力なんだよ」
「……」
「そしてこれはお前にとってのチャンスだ」

■ ■ ■

その夜は秘書が買ってきたビールとピザで乾杯した。六本木のとびっきりおしゃれなオフィスで、憧れの上司にも久しぶりに会えて、なおかつ社長の口から繰り出されるギョーカイ話がどれも刺激的で(しかし後にそのほとんどがハッタリであることがわかる)長居しすぎて終電をなくした。

社長と秘書が帰ったあと、片付けをしながらぼくと一緒に事務所に泊まることにしたイグチさんに、俺はまだ神楽坂の会社でやりかけの仕事もあるしそもそも転職したばっかだしこの事務所に入社するって決めてないんですけど…と不安な胸のうちをつぶやいた。するとイグチさんは「てるちゃん、ウチの社長に付いていこうよ。間違いなく二流のケツにつけるぜ」。

二流のケツにつける。憧れのイグチさんが直々に誘ってくれている。無冠の帝王の下で修行できる。事務所は六本木。オフィスはマンションの一室。BGMはJ-WAVE。壁には「私の美学。」絨毯敷の上を大中で買ったクンフーシューズで歩きながらクリエイターとして二流のケツに…給料は11万円まで戻っちゃうけど、まあいいか、すぐに実力発揮して上げればいいか。

■ ■ ■

そうして、ぼくはその年の暮れ、仕事納めの日から六本木のアウシュビッツに強制収容される身となるのである。出社して、大掃除して、最後に宿題を出された。地域のミニコミ誌に載せるコラムの企画である。正月明け一発目にチェックしてやる、といわれた。

ぼくは「年末年始の休み中にがんばります!」とかいってたとおもう。能天気にはりきって。思えばそれがほとんど家に帰ることができなくなる1992年の幕開けにつながっていた。

そしてそれから約3年間、月曜日に出社すると翌々週の木曜日ぐらいまで会社で徹夜し続ける生活を送ることになる。もちろんすべて、ぼくの能力不足が原因だし、いまとなっては感謝しかないのだが、当時は「こんなはずじゃなかった…」という後悔の念しきりでありました。

みなさん、ほんとうに、転職は慎重にしましょうね。助平心を出さずに、雰囲気に流されずに。ほんと、転職って恋とおなじで何回やっても上手にならないものです。

BGMは中森明菜で『セカンド・ラブ』でした。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?