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【広告本読書録:043】広告コピーってこう書くんだ!読本

谷山雅計 著 宣伝会議 刊

これはちょい古?2007年初版ですから、いまから13年ほど前の本になります。その頃ぼくは勤めていた会社が肥大化の一途をたどった末に、アンコントローラブルな規模の部門の責任者をやっていました。

メンバーにして170名。東京、埼玉、千葉、横浜、静岡、浜松、名古屋、大阪、神戸、福岡…と首都圏以西に地方拠点を構えていました。その全員がコピーライター。なんだかリアリティがなかったことを覚えています。

同時に(こんなことはいつまでも続かないぞ…)と予兆のようなものを感じていたのも事実。その感覚は間違いではなく、翌年にはサブプライム問題に端を発するリーマンショックが世界経済を揺るがします。

当然、ぼくの会社、というより日本全体の経済が一気にシュリンクし、リストラの嵐が吹き荒れることになります。この本は、そんな未来をちっとも予感させない風情の一冊、といいたいのですが、ぼくが最初に手にとったときから不思議と感じる、ある種の「暗さ」が漂っている一冊でもあります。

もちろん当時のヤングクリエイターたちはみんな飛びついていたし(ぼくは意識的に広告本を避けていた時期でした)実際、後日読んでみると学びになることがたくさんある良書です。

しかし、この本が出版される20年ぐらい前から広告本を耽読していたぼくは、なぜか行間から湿度を感じるというか、カラッとしたそれまでの広告本とは明らかに潮目の違いを見出してしまうのでした。

わかるかな?この感覚。

ブーム去りし後のスターコピーライター

そんなニックネームをつけるとおそらくご立腹なさるでしょう。でも同書の著者である谷山雅計さんへのぼくの超個人的印象は、これです。ちょうど糸井さんや仲畑さんの大活躍なさっている頃に刺激を受け、そのコピーライターブームの思いっきりケツにつくポジション。

ブームの最後の登場人物は中村禎さんだと認識しています。中村さんがJWトンプソンに新卒として入社されるのが1980年。翌1981年にサン・アドへ移籍し、1982年にはTCC新人賞を受賞されます。谷山さんはその頃大学2年生。博報堂に入社するのはその2年後になりますから、おそらくぼくの見立てもそうは間違っていないはず。

だから、ブームには間に合わなかったけど、その後のムーブメントを担う存在としては申し分のないキャリアのスタートだったわけです。実際、東京ガスの『ガス・パッ・チョ』や新潮文庫の『Yonda?』、日本テレビ『日テレ営業中』など数多くの名作コピーを生み出しています。

しかし、残念なことに(ご本人はそうは思っていないでしょうが)時すでに遅し。コピーライターブームはバブルの泡の如く消えてしまっていたのです。そういう意味では、質実剛健、ブームのあとの本物のコピーライターという称号のほうが正しいかもしれません。

谷山さんご本人は、たぶんですが、本当にコピーが好き、なかでもコピーライターの糸井重里さんが好きな方なのではないかと思います。若かりし頃から影響を受けてきたと公言なさっていますし、なんならそのお顔つきも…どことなく“昔の糸井さん”に似てるとおもいませんか?

なるほど!とはたひざを打つ

そんな谷山さんが満を持して世に問う『広告コピーってこう書くんだ!読本』ですから、中にはなるほど!とハタと膝を打つ(これを『はたひざ』といいます。by電通 古川裕也CD)メソッドもあるわけです。

いくつか紹介しましょう。

▼一晩で100本コピーを書く方法。
テクニカルな取り組み方として、書く対象を世の中にポコっと存在させるのではなく、いろんな人やモノとの関係をひとつずつ原稿用紙に書くといい。

関係性を捕まえていけば、コピーはいくらでも書けるんだ、という谷山さん自身の気付きをもとに紹介しています。

▼「描写」じゃない。「解決」なんだ。
描写のコピーはたとえ詩的に美しく表現されていても、いいコピーとはいえない。「解決」につながることを書かなくてはならない。自分のペンの力でいまある状況を美しく描こう、ではなく、自分のペンの力でいまある状況をなんとか変えてみせよう、と考えること。

世の中に、いやぼくの書くコピーに、いかに描写だけをして人を動かす力を持たないものが多いことか。大反省させられます。

▼「アイラブ東日本」のウソ。
コピーを書いたときに「本当にこう思っている人はいるのだろうか」と、しっかり考えることができるかどうか。誰も思っていないものをコピーにしたところで、誰の心も動かさない。

おっしゃるとおりですね。他の例として世界中のどこでも使えるクレジットカードを表現しようとして「世界に通用するおまえを見習いたい」とか言ってるコピーを挙げています。冷静に考えれば「カードを見習いたい」と思っている人など世の中にいるはずありませんよね。

▼書き手のヨロコビ、受け手のヨロコビ。
書き手のよろこびと受け手のよろこびは違うという絶対的事実。それを一致させる方法として「意味で書いて、生理でチェックする」というルールがある。生理的にどう感じるか、と考えてコピーをチェックする習慣を身につければコピーの選択眼に客観性が加わる。

これは高度な、でも必須のテクニックですよね。ぼくもついつい、やったー!上手いこと言えた!と喜んじゃって、そのコピーより先に行くことを辞めてしまいがちなんですが、だから三流というか辺境のままなんでしょう。

「この香水はウンコのような香りはしない、すばらしい香りです」という文章があったらどう思うか。論理的にはこの香水は素晴らしい香りです、と書いてあるのですが、ウンコのようなの部分にひっぱられるのが人間です。

全体を覆う「過渡期感」のなぞ

こうやってメソッドをひとつずつ紹介していくと、それ単体ではとてもいい話というか、日常のコピーワークの役に立ちそうなものなんですが、それが一方全体を俯瞰するとなぜか薄まっていく感がするんですよね。

なぜか。

当時、若手コピーライターがさも自分の編み出したメソッドのように「なんかいいよね禁止!」を声高に叫んでみたり、キャッチ100本をつなげばボディになるんだよ、とかのたまっているのを冷ややかな目で見ていたぼくですが、全ページにわたって漂う無力感というか、もうあえて誤解を恐れずに言ってしまうと「これで本当にコピーが書けるのだろうか」感。

なぜなのか。

タイトルのせいでしょうか。『広告コピーってこう書くんだ!読本』という割にどう書くのか具体的じゃない?いやいやそれは読み手であるぼくらがやる作業だから違うよね。だとすると…??

ここまで考えて、2つの仮説が立ちました。

①読者想定が『広告学校の生徒』であった
ま、このタイトルの書物を手にとる段階で、それは間違っていないのだけれど。もしかするとコミュニケーションの前提条件がここに設定されているとすると、読み手によってはちょいとしんどいかもと思ったりして。

広告が好き、コピーが好き、コピーライターになりたい、コピーが上手くなりたい!という絶対要件を満たしている人ならスッと入ってくる内容も「そこまででは…」という人だとちょっと何言ってるかわかんないですけどとサンドイッチマン状態に陥ります。

◎「なんかいいよね」禁止。
◎みんなが言いたいことを言わせてあげる。
◎剣豪コピーと将軍コピー。

このあたりの見出しからも感じられる、ある種の敷居の高さといいますか、やはり向学心がないものを寄せ付けないオーラが漂っているように感じるのはぼくだけでしょうか。

②作者自身の迷いと時代の変遷
これも完全に仮説なんですが、谷山さんがこの本を執筆していた時期が広告コピー表現について過渡期だったのではないか。第3章のあたりにその片鱗がみられます。

ここで谷山さんは「コピーの納得が生まれるポイント」は誰でも知っている“そりゃそうだ”でも、誰も知らない“そんなのわかんない”でもなく、知っているのに意識の下に眠っているようなものを言語化することにある、と言います。つまり“そういえばそうだね”というところ。世の中の名コピーと言われるものの多くは、この「そういえばそうだね」の部分にあると。

そして、ただし、と付け加えます。以下引用。

コピーや広告が「納得」を最大の武器にしていた時代なら、まったくこの通りでよかったのですが、コピーライターには、いまはまた、少し違ったところでの勝負も必要とされています。ですから、かならずしも「そういえばそうだね=コピーあるいは広告」とは、言い切れないかもしれません。

そして谷山さんは「80年代は納得の時代、90年代以降は空気の時代」と定義しています。広告コミュニケーションの方法が1990年を境にガラっと変わったというのです。80年代にあったような「名言で人をうなずかせよう、納得させよう」という意識がなくなり、代わりに「なんとなくそうですよね」という大きな空気やムードをつくろうとしていると。

谷山さん自身は「納得」だけにこだわっているわけでもなく「空気づくり」にこだわるわけでない、と言います。必要に応じてその時に伝わりやすい方法を選択すると考えているようです。

ただし“空気づくり”が、この先ずっとコミュニケーションの主流であり続けるかどうかはわかりません。ふたたび納得の時代がくる可能性もあります。~中略~必要なのはそのときそのときの世の中で、いちばんに機能することです。だから、その時点でもっとも伝わりやすい方法を選択していけばいい。自分のやり方はこれだから変えない、とこだわる必要はありません。少なくともぼくは、こだわらずにやっていこうと思っています。

ぼくは、この一文からはなんともいえない谷山さん自身が抱える矛盾を覚えてしまうのです。たぶん、ですが(今回やたらたぶんが多くてごめんなさい)この本で書かれてきた広告コピーの作り方って、納得の時代のもの。

一方で、空気づくりのコピーの作法は、絶対的に納得のコピーとは異なるはずです。広告コミュニケーション、とひとくくりにできたとしてもアウトプットに至る部分はそんなに器用にスイッチできるものでしょうか。

谷山さんは、迷っていたんじゃないか。少し困惑していたのかもしれない。いまはどうだかわかりませんが、なんとなく、この本の執筆当時はふわっとしていたんじゃないか。そして、そのマインドそのものが本全体を覆っているのではあるまいか、とぼくはおもうのです。

全然関係ないですが、谷山さん、2019年よりTCC会長に就任されていますがこれまでにTCCクラブ賞(最高賞)は獲っていないといいます。ぼくは個人的に、いまの広告コピーについての、いまの谷山さんの本を読みたいとおもいます。果たしてスッキリ抜けがいいものになっているのか、ますます混迷を深めてものになるのか。いつか執筆されることを期待しています。

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