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どうせ読まないし、とか言うなし

Webサイトのテキストコンテンツを「どうせなに書いてあったって読まれないから」と平然と言ってのけるWebディレクターやデザイナーがいて、ちょっと辟易しています。

そんなぼくがもっと辟易どころかおもわず唾棄したくなっちゃうのが、求人広告のコピーを「読まねーし」と決めつける人。たまにいるんですよね。しかも作り手側に。

もちろん広告である以上、マイナスステージからの情報発信。読んでもらえること前提でコミュニケーションするのって、作り手側の甘えでしかない。だから慎重に、あくまで謙虚に、読んでいただけない、というスタンスで文章を紡ぐことには大いに賛成します。

そうじゃなくて、ハナから舐めた態度で「こんなの読まねーよ」という制作マンがいる。もしそれがぼくが面倒を見ているメンバーだとしたら、すかさずエメラルドフロウジョンで3カウントですよ。

でも、ぼくの転職先の求人広告事業部に在籍していた結構なベテラン制作マンが平然とそう口にしていて、ちょっと考えてしまったんですよね。

もしかしたら俺のほうが間違っているのか?

彼は版元での経験こそないけれど、そこそこの規模の代理店でキャリアを積んできた40代。言ってることもまともだし、そんなに頭が悪いようには見えません。

と、いうことはぼくが間違っている確率が一気にレッドゾーンへ。

もし間違っているのなら正しくしたい。なので、なぜ求人広告制作の作り手自らが「読まねーし」という感覚を抱くのか、なぜ求人広告のコピーは読まれないのか、そしてそれは本当なのか、について考えてみました。

■ ■ ■

①活字離れ・文字離れ世代論

これは世代というより社会全体を覆っていそうな空気ですよね。ネットやスマホの浸透によって活字離れが加速しているという。でもネットやスマホがない頃からすでに若者の活字離れは問題視されていたような。なんならテレビの出現で。一億総白痴化って。

ま、ですから最近はそれにターボがかかっているというのが正直なところかもしれません。しかし、だからといって自分がこれから働くことになるかもしれない職場や仕事の情報を読まないものでしょうか。

またTwitterやこのnoteもそうですが、SNSの多くはテキストコミュニケーションがメインになりますよね。そう考えると「活字離れだから」で片付けられないような気がするんですよね。傾向としてはあるとしても。

②Webでは文字より画像、画像より動画

本や雑誌をまるごとシュルルっと飲み込んでしまったWeb文化。もちろんその揺り返しで紙媒体の価値再発見なども進んでいますが、メディアとしての優勢ぶりはもはや不可逆でしょうね。月に一冊も本を読まないというヤングでも、24時間で一度もスマホを見ない日はないでしょう。

で、そんなWebですが圧倒的に文字との相性が悪い。いや視認性とか可読性といった点では問題ないっすよ。だけどこう、心に入ってこないというか。上手く説明できないんですが、紙に印刷された文字とは圧倒的に違うんですよね。残像にも、記憶にも残らない。

ご存知の通り求人メディアもほとんどが紙からWebへと移行しました。それによって求人広告から文字の持つ重さ、価値を滅殺してしまった。各社、こぞってサイトリニューアルの度に文字コミュニケーションの重要度を下げていく傾向にあります。

③データマッチング至上主義

これは根強い原理主義者がいて、しかもそいつら声がデカいんで繊細なクリエイターはつい口をつぐんじゃいがちなんですが、結局求人って条件があうかどうかだろ?という考え方があります。そいつらからすると“コピー”なんてものは余計なんですよね。何なら邪魔。

給与額で決まるんだよ採れる採れないってのは。求職者だって耳障りのいい言葉なんか欲しがってないよ。彼らが知りたいのは応募条件と給与と勤務時間と勤務地と待遇だけ。仕事内容だってろくに見てねえよ。

効率とか能率とか生産性とかロジックを究極に煎じ詰めたのちの出がらしみたいな思考がこれです。営業に多いのですが制作にもボチボチいます。

お客さんにも説明しやすいからなんですよね。今回応募がこないのは給与が低いからですよ。勤務地が不便だからですよ。待遇がいまいちだからですよ。ぜんぶクライアントのせいにできる。精神的にラクなんです。でもそれだとお前ら、存在価値なくなるんだけど大丈夫か?

④スポイルされやすい構造

これは以前も書いたことなんですが、求人広告制作の価値って「質」より「量」で推し量られがちなんですよね。ついでにいうと「速さ」も。どんなに素晴らしいコピーだとしても一週間かけていたらダメ。それより多少日本語が拙くても3時間で1本出せたほうが勝ち。

つまり「クオリティの高くないもの」を「早くたくさん」作れる人が評価される世界。ビジネスサイドからは数への感謝こそ伝えられるも、その中身の良し悪しについて語られる機会が皆無に近い環境もあります。

そうなると人間、努力する方向が違ってきちゃいがち。それに加えてふんぞり返る場所も間違えがち。質で頂点に立つ人間は、すべからく謙虚です。なぜなら常に研鑽を重ねていないとすぐにトップから降りることになるから。でも量で頂点に立つ人間は傲慢になりがち。なぜならある一定の量を超えるとあとは「慣れ」と「手癖」で現状維持できるから。

つまりクリエイターとしてだめになってしまうのです。なのにだめになればなるほど評価される。ぼくからすれば狂気の沙汰なんですけど、やってる子たちは気づかない。

■ ■ ■

うーむ、ぱっとおもいつくままに筆を滑らせただけでえらいことになってた。こうやって眺めてみると、③と④はたしかに「読まねーよ」ライターを生む素地になっているかもしれません。しかし①や②は関連性としてはなくはないけど…って感じ。

ぼく個人の感覚では、たしかに長過ぎる文章、読みにくいストレスフルな文章は読みたくないです。しかし、きちんと内容を吟味し、一文一節に気配りと目配りがなされたテキストであれば、どんな時代でもどんな世代でもどんなデバイスでも読んでもらえるとおもっています。

ましてや求人広告は一般広告に比べて精読率が高いのです。もちろん作り手の思い通りにキャッチ、ボディと読み進めてくれるとは限りません。やはり求職者にとっての最大の関心事は自分が採用されそうかどうか、そして給与や待遇でしょう。

でもそうやって転職希望先を選んで、応募したあと。いざ面接という段になればあらためてすみずみまで読み返すのではないか。特によそいきの言葉で飾られているHPと違って、仕事という自分にとってジブンゴト化しやすいテーマを軸に編集されている求人広告は知りたいネタの宝庫なはず。

キャッチやボディを何度も読んで、果たしてこの会社は自分と相性いいのだろうか。自分がここに入ったらどんな活躍ができるんだろうか。そんなふうに妄想をふくらませる人がほとんどだとおもうんですよね。

そしてその妄想を単なる妄想に終わらせずリアリティを持ってイメージできるように手助けする役割こそ、求人広告のコピーが持つ使命ではないかとおもうのです。

だから、ヤング求人広告制作クリエイターのみなさん。みなさんの上司や先輩が訳知り顔で「求人のコピーなんか読まねえよ」なんて言っていたら「そうですよね」と同調しつつ、心の中でツバを吐いてやりましょう。5年後、10年後を楽しみにしつつ。

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