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人財とか最幸といった漢字変換についておもうこと

採用系コミュニケーションの仕事を長くやっていると、悪意のない言語崩壊の場面に出くわす機会が比較的多くあります。

たとえば「人財」

うちの会社は人を大切にしているんだ。だから人材ではなく、人財とよんでいる。社員は使い捨ての材料なんかじゃない。会社にとってかけがえのない財産なんだ。

と、いう口上を過去30年で何百回耳にしたことでしょう。

この「人財」いったいいつごろ登場した言葉なのでしょうか。少なくともぼくが中学生時代から愛用している岩波国語辞典第三版には掲載されていない単語です。奥付けを見ると1980年7月1日第3版第2刷発行とあるので、その頃まだ市場に出回っていない言葉ということがわかりますね。

そこで最近流行りのインターネットを駆使して調査すると、驚きの検索結果があらわれます。

なんと人材は「Human resource」であり、人財は「Human capital」であると。人材の材には才能の意味があり、会社にとって必要な存在であると。そして人財のほうは会社の経営資源という意味であると。資源?材料とどこが違うんだ?

しかしそこまでならまだいい。

それどころか他のバリエーションとして「人罪」「人在」もあるんだとご丁寧に紹介してくれています。ちなみに人罪は会社のお荷物、人在はただ在籍しているだけの社内ニートという意味なんだそうです。

ぼくはそれを目にしたとき、本当に悲しい気持ちになりました。

その人にも家族がいるし、先輩や後輩、恋人、親友だっているだろう。それなのに人罪だなんてよく書けるなと。人在は社内ニートなんてよく書けるなと。書いてるお前は何様だよ。

この記事のライターが悪意なく書いていることを祈るばかりです。SEOとか情報商材にそそのかされて書いているだけだと信じたい。

話を人財に戻します

いつ、どこから出てきて広まった言葉なのかわかりませんが、ぼくはこの当て字が出てくる度に「またはじまった…」とココロの底がぐったりするのでした。

おそらく、こういうことを言う経営者の方も、そんなに悪意を持っていってるわけではないと思うんですよ。多少、なにかこう、自信がないとか後ろめたい気持ちがあって、それを漢字変換でごまかしているだけで。

でもやるべきはそれじゃないだろう、と。呼び方を変えて悦に入る前に、その自信のないところを改善することからはじめようよ、と声を大にして言いたい。外側だけ着飾っても結局ボロがでるだけでしょ。

逆に中身がきちんと整っていれば別に表記なんて人材で構わないんですよ。さっきも書きましたが材には才能の意味があるらしいし。知らんけど。

キラキラ御変換症候群

この「人財」の類似例として挙げられるのがキラキラ御変換症候群

ぼくが勝手に命名したのですが「黄熊と書いてプーと読ませる!」「嗣音羽と書いてつぉねぱと読む!」みたいな狂った名前を子どもにつける親と同じマインドで普段遣いの言葉を無邪気に書き換えちゃう行為を指します。ちなみに御変換とは誤変換をもじってます。ちなまなくてもわかるか。

いくつか例をあげます。

「頑張る」を「顔張る」
「最高」を「最幸」
「仕事」を「志事」
「起業」を「輝業」
「会います」を「愛ます」
「ございます」を「ご財増す」

他にもあるかもしれません。が、これぐらいで。こういうなんとも言えないセンスの変換をさも価値あるかのように連発する人っていますよね。

この手のキラキラ御変換をよく目にするのが、あれこれいろいろ手を出してなにやってるかわかんないんだけどすごそうな雰囲気を作るのだけは上手い意識高い系ビジネスパーソンの集まりです。

そういう人たちのfacebookでは今日も

「おはようございます!今日も最幸の一日を!」
「会長ッ!ボクも顔張りますよ!」
「おお早川代表!共に志事に打ち込もう」
「はいッ!(感動を表す涙の顔文字)」
「会長!今朝も最幸ですッ!」
「おお君は田中社長以下略」

みたいな楽しい空中戦が展開しています。

あれはいったいどういうメンタリティなのでしょうか。80年代の暴走族か。夜露死苦、とか、仏恥義理、とかとおんなじじゃん。

これがもし「人財」と同じ精神構造で使われているのだとしたら、恐ろしく後ろめたい商売やブラックな事業あるいはこんな変換でもしないとやりきれないほど薄っぺらい仕事ということなのでしょうか。

この局面をどう回避するか

もしこういう症候群の担当者、あるいは経営トップの会社の仕事をすることになったら、あなたならどうしますか?

まあ大きなお世話といえば大きなお世話ですし、文字に起こしさえしなきゃ発音上は変わらないのでほうっておいてもいいのですが、いちいち原稿に赤字で「顔張る」とか「志事」とか指定されるとダルいですよね。

それでも志事、いや仕事と割り切るのもオトナの対応。かもしれません。だけど、あんまり気分がいいものでもない。

こういうときぼくならできるだけ早い段階でやんわりとこのような表記はおやめになられたほうが…とお伝えするよう心がけています。

たとえば「顔張る」なら、頑張るのと顔を張るのとは意味が違いますよね。そもそも頑張るとは忍耐して努力しとおすとか、ゆずらず強く主張し通すという意味ですから顔は関係なさそうですよ。

たとえば「最幸」なら、最も幸せだというなら幸せの定義は人それぞれですから、最も高いつまりトップオブトップという本来の意味からは外れてしまいますよ。その変換にかける熱い思いはわかりますが…

毒をもって毒を制す、ではありませんが屁理屈で返すのです。これはできるだけ早いほうがいい。早いうちなら向こうも話を聴きやすいでしょうし、なんならそれで契約切られても着手前だからさほど痛くないです。

そんなことより誤変換としか思えないおかしな漢字が踊る文章が無記名とはいえ自分の仕事として世にでることのほうが嫌じゃないですか?そういうとこ、こだわっていったほうがいいと思うぞ。って誰に言ってんだか。

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