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【広告本読書録:082】朝日広告賞入賞作品集 2005年

今回は現在ではおそらく入手不可能な一冊のご紹介です。古本屋さんを丹念に何軒も回ればあるいは…というレベル。まちがってもポチッとな、では手に入らないシロモノでござるよ。

広告制作に携わる者として避けて通ることができないものはたくさんあります。ひとつは締切。ひとつは胃潰瘍。ひとつは家庭不和。そして、大きな壁として立ちはだかるのが広告賞です。

世にあまたある広告賞。コピーライター界隈で有名どこはTCC賞、ADC賞、ACC賞あたり。細かいところだと地方のコピーライタークラブが独自運営しているものもあります。あとプロアマ問わず参戦できるもので有名なのは宣伝会議ね。つい先日応募締切でした。おつかれっした。

そこでいくと今回紹介する『朝日広告賞』はどれぐらいのものでしょうか。TCCが頂上だとしたら2合目?3合目?5合目ぐらいなのかもしれません。文字通り朝日新聞社が主催する歴史ある賞で、一般の部であればプロでもアマでも社会人でも学生さんでもエントリー可能です。

今回は本の紹介、というよりは、ぼくのメンバーだったコピーライターたちが『朝日広告賞 2005』に入選するまでのお話です。

ちなみに最新の入賞作品集は出版されているのかどうか不明です。こちらのサイトにて過去の作品から2018年受賞作品までが閲覧できます。とはいえ2005年のものは古すぎて入ってませんが。

それは危機感からはじまった

当時ぼくはWebの求人メディアを運営する会社で、制作部門の責任者をやっていました。ぼくはその会社に入るまでに一応、雑誌、新聞、ラジオとテレビ以外の媒体での商品広告制作経験を持っていました。

しかし新卒は言うに及ばず中途採用のコピーライターも全員が未経験からのスタート。と、いうのも求人広告経験者がおなじく求人広告制作の会社に転職することはまずなかったし、商品広告経験者が求人広告の世界に行くなどというのはまさしく都落ち、というかそれぐらいなら筆を折る!ほど考えられないことだったのです。

そうするとみんな素人で、なおかつ求人広告以外の制作物をつくる機会はまったくといってない環境。しかも代理店と違って版元なので、その会社のそのメディア以外には触れることすらないという箱入り息子&娘ばかりになってしまいます。

「これは、まずい…」

ぼくはそうおもいました。なにがまずいのか。そりゃ決まってますよ、飽きるでしょ。誰だって飽きるとおもいますよ。ぼくだって飽きます。

いくら求人広告の社会的意義や価値を語ったところで、限界があります。もちろん社内でのキャリアプランも用意できるけど、そもそもモノカキ系の仕事に就きたい子たちの集まりです。ユーティリティそんなに高くない。

「みんな辞めちゃうよね…」

手塩にかけて育ててきた挙句、飽きたので辞めますといわれるのは非常につらい。なので、どうするか。

そうだ、朝広獲ろう!

と、いうことで発作的にはじめた朝広チャレンジ。と、書くといかにもぼくが旗振りのように見えますよね。でも本当のことをいうと、ぼくとおなじ危機感を抱いてくれていた当時の側近的なマネジャー、りえちゃんからの提案だったのです。

りえちゃんはとてもかしこい人で、当時制作部が抱えていた課題をきちんと見抜き、ぼくとは異なるアプローチでメンバーマネジメントを進めて組織を作ってくれていました。そんな彼女からある日「同期の仲間と朝広に出すからハヤカワさんチェックしてくれませんか」と頼まれます。

ぼくは、せっかくやるなら下の子も巻き込もう、だったら全体のプロデュースというかディレクションやるよ、 と返しました。なるほどそれはいいですね、とトントン拍子で座組が決まり、希望者を募ったところ20名が挙手。5つもグループが生まれる一大イベントに仕上がりました。

このときぼくは「とはいえ、この子たちのいまの実力では朝日広告賞は獲れないだろう。奇跡が起きたとして最終選考に残るのが関の山かな」とあたまから決めつけていました。

賞は狙って獲るもの

ぼくはまず、参加者のみんなを前にレクチャーすることからはじめました。

求人広告と商品広告の違い。そこから生まれる制作上の注意点。コンセプトのつくりかた。表現の重要性(求人に比べると10000 倍ぐらい「いかに言うか」が大事)とブラッシュアップの意味。ビジュアルコミュニケーション。 レイアウトの基本。そしてなにより賞を獲るのに大切な考え方。

そう、賞は何が大事かっていうと、狙って獲ることが大事なんです。え?当たり前じゃんそんなの、とおもう方も多いでしょう。でも当時の彼らにはそこから教える必要があった。そうしないと、みんな、面白そうな課題、メジャーな課題にチャレンジしちゃうから。

ぼくは「みんなが強者ならそれでもいい。でもハッキリ言って弱者もいいところ。だったら弱者なりに勝ちにいけそうな戦略が必要でしょ。それってなんだかわかる?みんなが作りたいと思うようなメジャーなクライアントや商品を選ばないこと。逆に避けたくなるような、難しそうな課題を選ぶことなんだ」と教えました。

制作は思った通り難航

ぼくのアドバイスを得て、彼らが選んできた課題は以下の通り。と、いいた いのですがなにぶん15 年も前の話であまり正確に覚えていません。だいたいこんなとこだったかなと。

◎大日本除虫菊「蚊に効くカトリス」
◎丸美屋「のりたま」
◎大関「ワンカップ大関」
◎小学館「平成大合併日本新地図」
◎岩波書店「広辞苑」

どうですか、なかなかに地味なラインナップ。とはいえ、いずれもナショナルクライアントばかりです。これを果たしてどう料理するのか、最初のうちは楽しみ半分であったのですが…やはり、出てくるサムネはどれもこれも、ううむこれは、という代物ばかり。

キャッチコピーも「大関は、青い。」とか「あの街にも広辞苑がある。」とか。もういったいどんなコンセプトなんだよ、とツッコミたくなります。ターゲットは誰?この商品のUSPはなんなの?本当にこれを見て買いたくなる?というような珍品の数々。当然、ダメ出しの嵐です。

参加することに意味がある、はずが

ただダメ出ししながらも「何がダメなのか」「どこをどうしたらもっとよくなる」をできるだけわかりやすく説明し、ブラッシュアップの効能を味わってもらうよう心がけました。

そもそも賞に参加するということに重きを置いたプロジェクト。社内しか見たことのない子たちの目を外に向けることがゴールでしたから。

ところが、プロジェクト開始3ヶ月目を迎えたころ。そろそろ提出物としての体裁を整えないといけないフェーズで、言い出しっぺでもあるりえちゃんのチームが「ん?これは…」というカンプを出してきた。

りえちゃんチームはさすがに他とは違い、その集団の中ではベテランというか、上級者ばかりの3人組。ここがダメなら全部ダメだろうな、というチームでしたが、それでも難航していたんですね。

しかし、その日に見せてくれたのはそれまでに出してきた作品とは全然違うもの。なんで?と聞くと「これまでの作品にハヤカワさんのアドバイスを入れてブラッシュアップしてきたんだけど、なんか違うな、と」とぼくの助言の効力がまったくないことをサクッと伝えてくれます。泣ける。

「で、ゼロベースでメンバーと話しながら作ったのがこれなんですが…」と自信なさげな表情でカンプを見せてくれました。

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ぼくは、これを見た瞬間に、なんかいいんじゃないかと直感が働きました。いや、後付けでもなんでもなく。なので、ダメですかの問いに対して「いいんじゃない?これでディティールつくりこんで出してみなよ」とプッシュしました。

入賞の知らせは突然に

ぼくから「いいんじゃないの」と言われたりえちゃんたちはちょっと鼻息を荒くして『もっと銀行の数を増やすパターン』『おもちゃやスポーツ用品などの他の業界バージョン』などをつくりはじめます。

そこでぼくは「違う業界のものをつくるのは賛成するけど、銀行の数を増やすのはいただけない」とストップをかけました。CDとしてはエスカレートしがちな表現にストップをかけることも大事な仕事。そして表現は削れば削るほど磨かれていくもの。決して足してはいけないとおもうのです。

そうして、結局銀行バージョンはこのままのものを。そしてもうひとつどこかの業界バージョンのものを提出することになりました。もうひとつのバー ジョンが何業界なのかすっかり忘れたってことは、たぶん仕上がりが良くないというかあまりいい出来ではなかったからだとおもいます。

そして他の作品たちと一緒に締め切り前日に応募作品を納品したのでした。

それから数ヶ月。朝日広告賞のことなんかすっかり忘れていたある日。いつものように会社で仕事をしていたら、りえちゃんが急に電話を手に立ち上がり「ええ一つ!!」と叫ぶじゃないですか。

なんと、それは朝日広告賞入賞のお知らせだったのです。しかし、それは同時に恐ろしい確認作業のはじまりでもあったのです。

全銀行の広報のOKを取る

事務局からの電話の内容はこうでした。

「審査員の投票によって当該作品は朝日広告賞入賞となった。ただしそれにはひとつ条件がある。広告上に記載されているすべての銀行の広報に掲載許可を取りつけること」

これはキツい。しかも郵便物配送の不手際で、承諾を得るまでの締切は一週間後。ぼくとりえちゃんはいったん交わしたハイタッチを力なくおろして、ヘナヘナ…と床にへたりこみます。

ぼくは「さすがに一週間でこれ全部は無理だろ」とうなだれました。りえちゃんはしばらく無言でしたがやがて「無理かもしれません。でも、できるところまではやりたい。お願い、ハヤカワさん、やらせて!」とあくまでファイティングポーズを崩しません。

そこでぼくはりえちゃんを伴って上司である事業責任者のもとに向かいました。彼も元コピーライターなので事の重大さをわかってくれるはず。ぼくは事情を説明して、ひとつのお願いを申し出ました。

それは「彼女を今週一週間自由にしてやってください」ということ。その日は月曜日。そこからタイムリミットは7日間。この7日間でできることのすべてをやりきる。ぼくはなにもできないので、せめて彼女に自由に動ける時間をあげようと。

不思議な縁も味方に

上司は「もちろんOKですよ!おいお前すごいな!ホンマすごいわ!こうなったらなんとしても銀行のOK取れよ!」と喜びつつも、考えようによっては朝広より難しいお題を彼女につきつけます。

さてそこからがりえちゃんの真骨頂。とにかく片っ端から連絡して切り崩していきます。相手が銀行だけにみなさんのご想像通り、なかなかの難攻不落。ここでは書けませんが、そのあしらわれ方に涙することも。

ただがんばっている人には神風が吹くものです。どうしても広報のドアがこじ開けられない銀行がありました。何度電話しても門前払い。さすがのりえちゃんもあきらめかけたといいます。すると、その様子をみていたりえちゃんのお母さんが立ち上がりました。

なんと、りえちゃんのお母さんは大学時代に株だか証券だかなんかの金融系のゼミに入ってたのですが、そこで同級生だった人が某地銀の頭取に出世なさっていた。その頭取にお母さんが一本電話して、ことの事情を話したところあっさり頭取経由で最後の一行からOKが取れたのです。

そうして、無事というか見事というか、なんとか約束の一週間後にはすべての銀行からの掲載許可を獲得。晴れて名実ともに朝日広告賞2005入賞とあいなったのでありました。

■ ■ ■

この一連の出来事でりえちゃんから学んだのは、クリエイティブにいちばん大切なのはやり切ることだ、ということです。どんなに面白いアイデアも、どんなに人の胸を打つコピーも、クライアントからの承認が得られなければただのボツ案。日の目をみることはありません。

そこをキッチリと連絡し、確認を取り、掲載許可まで持っていく。この行動力とあきらめない心こそ、彼女がそれまでに書いたどんなキャッチコピーよりもクリエイティブだった。そういうことを教えてもらいました。

その広告が掲載されているのが『朝日広告賞入賞作品集2005年』です。いまからもう15年も前の話になります。そこにはしっかりとふたりのコピーライターと、ひとりのデザイナーの名前が…ってあれ?俺の名前は?おい!CDだよ!おれCD!おい!おーい!

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