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求人広告制作が面白くないと思われがちな理由について考えてみる

そのむかし。

在籍していたインターネット求人広告事業の会社では毎年たくさんのコピーライターを採用していました。

新卒ではまったくの未経験者を、中途では制作プロダクションやゲーム会社などでライティング経験を持つ人を、もうとにかく親の仇でもとるかの勢いで片っ端から採用していました。

その中でもいちばん採用したかったのは、当然のことながら求人広告サイトでの制作経験を持つ人です。ところが不思議なことに同業でキャリアを積んできた、という人からの応募はとんとありません。

これはなぜだろう?

その後しばらくして。

ジンバブエの経済学者、エドガー・ケスレー(※)の有名な言葉に「永遠に右肩が上がり続けることはない」がありますが、まさにその会社も成長曲線が鈍化していきました。

そうすると今度は採用を抑制するようになります。そして社内の雰囲気が以前のようにお祭りモードではなくなり、次第にどんよりと、あまり明るいものではなくなっていきます。

するとどうでしょう、ごく自然に退職を申し出るメンバーがじわ…じわ…と目立つようになってくるではありませんか。退職者の発表のたびにフロアはざわ…ざわ…です。

まあ、コピーライターなんて職業は営業や他部門と違い、会社の理念やパーパスみたいなものにコミットして入社してくるものでもないので、致し方ないところがあります。

そのあたりはぼく自身もかなりドライな思想の持ち主なので建前上の退職理由(もっと成長したい・例外なし)を聞いたうえで「うんうん、わかった。そういうことなら仕方がない。新たなチャレンジを応援するよ」と物わかりのよい部門責任者ぶりを発揮するのです。

です、が。

「で、次はどんな仕事をするの?」

という質問に対して、別の会社で求人広告を、という返答があったことはただの一度もございません。100%まるで畑違いの業界で、100%まるで畑違いのお仕事にチャレンジなさる、と。

ですのでぼくはいつも

「そっかそっかぁ…うん、まるっきり違う世界だけど、きっとウチでやってきた求人広告コピーライティングのスキルは活かせるから!」

と笑顔で送り出したいのですが場合によっては

「求人広告のスキルはたぶん活かせるから」
「求人広告のスキルは活かせる場面あるかも」
「求人のスキルがどこかで活きるといいね」
「活かせるんじゃないかな」
「ま、ちょっと期待はしておこ」

と関白宣言のようにトーンダウンするケースがジョジョに奇妙な冒険となって襲いかかってくるようになりました。

これはなぜだろう?

それが今回のテーマです。

実にもったいない

長過ぎる前置きからわかることは

求人広告制作経験者は転職先として求人広告制作を選ばない

という厳然たる事実。

つまり、この現象をわかりやすく、ひらたく言い換えれば

もう求人広告制作はいいや、飽きた

ということになります。

これがですね、この道ひとすじ愛と勇気と採用確率!という鉢巻を巻いて来る日も来る日も求人広告と戦い続けた10数年…という方がおっしゃるのであれば「そうだろうそうだろう」と肩のひとつも叩いてあげますよ。

しかしですよ、よりによって入社3年目。先輩社員たちからあれこれ手取り足取り教えてもらった技術をようやく使いこなせるようになり、なんなら自分なりのアレンジも施して、まさにこれから脂が乗ってくる戻り鰹みたいな時期にこの発言。

求人広告のコピーライティングを愚弄する気か!

もしくは

貴様、求人広告制作に対する冒涜であるぞ!

なんていう古めかしい言い回し、画数の多い漢字を含んだフレーズを口にしたくなるわけです。戦場のメリークリスマスのヨノイ大尉のモノマネしながらね。つまりやんなっちゃうわけです。

それだけ脂がノッてきてるんだから、他流試合で腕を磨いて参ります!みたいな話ならぼくは喜んで送り出しますよ。競合への流出大賛成。もちろん会社としては痛いのですが、求人広告制作全体を考えると一つのメディアだけで通用するよりもいろいろな媒体に精通したクリエイターが増えることは喜ばしいかぎり。

そういった経験を通じて普遍的で再現性の高いスキルを身につけることができれば、求人広告だけで食っていけるフリーランスになれるかもしれない。それは業界にとって明るい材料でしかありません。

しかし、ほとんどすべての人が求人広告経験で得たスキルをゼロリセットしてでも未開の土地に進んでいってしまうのです。

実にもったいない話です。

なぜドリフトしないのか

ではなぜ求人広告制作者は同じ業界内でドリフト(横移動)しようとしないのか。ちょっと考えてみました。

確かに、単純に飽きた、というものはあると思います。飽きた上で、他の会社も媒体もまあ似たようなものだろう、という結論です。これは中途半端な輩が口にするセリフではありますが、同時に真剣に数年打ち込んできた場合にもあてはまらなくもないところがやっかいです。

夢中になって求人広告を作り続けていくと、あるところで限界に達します。コンセプトにせよ表現にせよ、求人企業が求職者に向けて発信できるベネフィットや、それを表現レベルに膨らませるバリエーションには限りがあります。

特に表現の容れ物たる求人サイトのフォーマットに縛られてしまうゆえに、思い切ったチャレンジやアグレッシブなアプローチはほぼ不可能。パターン化の泥沼にはまると「またこのやり方か…」とゲンナリしてしまうのも無理はありません。

無理はないんですが、逆にその制約条件を上手く使って見たことのないアプローチをつくる、ということもこれまた決して不可能ではありません。それをやるか、やらないかはクリエイター本人次第なんです。

そういう意味では、お手本の不在が大きな理由といってもいいかもしれません。

もうひとつはどうしても、いまひとつその存在が地味ってことですかね。世にあまたある“表現仕事”の中でも、拭いきれない地味さ加減。ともすればメジャー広告ですら“資本主義の手先”扱いされるのですから、求人広告に至っては“インチキだらけの嘘つき”的な揶揄の対象となりかねません。

メジャーな広告のスタークリエイター的な存在が求人広告から輩出されていないという背景もありますね。こうした理由から憧れられない職種のひとつに数え上げられてしまっても仕方がない。

人気稼業かどうか、という切り口はその是非はさておき選択肢の前に厳然と存在するわけです。同じモノ書きでもエンタメ系やジャーナリスティックな分野のほうが求人広告よりもスポットライトが当たるんですね。

それぐらい、なり手にとってのベネフィットが薄い。

ゆえに、一度やったらもういいや、となってしまうのではないでしょうか。

どうすれば解消されるのさ

この課題に対する処方箋はただひとつ。

世にあまたいるフリーランスの求人広告制作OBOGが自らの仕事として求人広告を手放さないことにあるかと。

いいんです、いま現在のOBOGのお仕事が求人広告メインでなくとも。ご自身のメイン業務の脇に、そっと求人広告制作というメニューを置いておく。そしてそれを見た方からの依頼をそっと断る…んじゃなくて、ちゃんと受けて、おお、さすがはプロ!という腕を鮮やかに見せる。

それだけでいいんです。
それだけでだいぶ、状況は変わると思うんです。

いま、ぼくの元には「求人広告を上手に作れる外注ライターさん、いませんか?」という相談がものすごく多くきます。そのうちのいくつかにはぼくの後輩たちを紹介したり、いくつかはぼくがお手伝いしたりします。

でも、それだけではあふれてしまうほど、マーケットにはきちんとした求人広告のクリエイティブをつくれる人材がいないんです。

俯瞰してみると、若い子たちは金輪際やんない。引き受けてくれる年配のライターが作るのは誰でも書けるインフォメーションなコピーばかり。という状況のようです。

なので、腕のある、心もある求人広告制作OBOGがほんの少し立ち上がれば。中腰ぐらいでいいので手を出してくれれば、良貨が悪貨を駆逐するが如く求人広告クリエイティブの価値が市場で認識されると思うのです。

それが存在価値の確立につながり、ひいては制作単価の向上につながり、やがて職種としての市民権を得るまでになる、と信じてやみません。

求人広告制作のOBOGが、かつて身につけたスキルをベースに、その後新たに蓄えたキャリアを加えてつくる求人広告。それはきっと、ひとつの会社、ひとつの版元の中だけで汲々とモノづくりをしている(その結果、もう辞めたいとなる)ヤングにとっての何よりの福音になると思うんです。

どうか、求人広告制作OBOGのみなさん。
求人広告クリエイティブを諦めないでください。

(この最後の一行のオリジナルがわかる人は、資格ありです)

【文中注釈の解説】
(※)…そんな人はいません

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