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【広告本読書録:028】調理場という戦場

斉須政雄 著 朝日出版社 刊

そんなに遠くない昔、何人か、いや何十人かのメンバーを率いていたことがあります。率いていた、というとカッコよいですが、特になにかリーダーシップのようなものを発揮していたわけではありません。ただ年齢と経験と入社順と指揮命令系統上、与えられた組織のいちばん上にいただけです。

その組織が、まだ10人に満たなかったとき。ある問題児が仲間入りしてきました。いまは立派な二児のママですが、当時はまだ可憐なかんじの女の子でした。彼女は元プログラマーとのことで、合理的でないこと、論理的でないことが大嫌い。ところがぼくのいたその会社は根性論と精神論と数百円、みたいな新潮文庫のコピーみたいな風土でした。

当然、反発します。同じぐらいに入社した、同じような不満を抱いた女性営業たちと徒党を組んで会社の悪口や労働環境への愚痴を夜な夜な吐きあっていました。

当時の彼女には、なにか会得する目標があり、そこに向けて無垢な気持ちでただひたすら修練する、鍛錬するといった行為はナンセンスに見えたようです。技術とは教科書を見ながら効率よく、最短距離で最高の水準のものを習得するものだ、と考えていたようです。

しかし、未経験からコピーライターになろうとする、そのプロセスにおいては、ある一定の犠牲が伴ないます。伴わない人もいるでしょうが、それはよほどの才能か、よほどの環境に恵まれているか、あるいは「運」が強い人なのでしょう。

それとは別に、その会社(かなり営業会社体質でした)は労働へのコミットを半ば強制させる風土でもありました。いまはもうすっかり変わっていますが当時はまだ全社員50名足らず、設立2年目のネットベンチャーです。それはもうデフォルトでブラック企業体質ですよ。当然です。

彼女は、その会社の体質と、自分の置かれた境遇、つまり専門職として身を立てるために通過しなきればならない道のりをごっちゃにして不満という形であらわしていました。それは技術習得の姿勢や上司であるぼくへの態度にも明らかな影を落としていたのです。

ところが、入社して9ヶ月目のある日。いつものように定期面談の場で、まるで憑き物でも取れたかのように爽やかな笑顔の彼女がこう言います。

「わたし、一生懸命なにかに打ち込むことを、バカにしていました」

きっかけは技術者募集の取材先で、採用担当者や現場で働くエンジニアさんたちに直接触れ、彼らが採用への期待を口にするのを目の当たりにしたことだそうなんですが、もうひとつ、彼女の改心のトリガーとなった要素があります。それがこの本です。

ぼくはその面談で、彼女からこの本を紹介され、貪るように読みました。そしてそれ以来、新入社員が入ってくるたびに「コピーライターとして食っていきたければ、まずこの本を読め」と半ば強制的に読ませていました。

つまり、この本には技術を持たない者が専門職として道を極める上で必要なことのすべてが書かれているのです。斉須政雄さんの手による『調理場という戦場』とは、そういう本です。

え?この連載って【広告本書評】じゃないのかって?そうですよ。だからこそ、紹介したいのであります。

革命家三宝

毛沢東の有名な言葉に『革命家三宝』というものがあります。ぼくはこの言葉を電通の岡田耕さんの講演会議事録ではじめて知りました。岡田さんは講演会の壇上から若手コピーライター、あるいはこれからコピーライターを目指そうとする若者たちを鼓舞するために毛沢東の言葉を引用します。

毛沢東は革命家にとって必要な三つの宝をこう言ってます。「若いこと」「貧しいこと」「無名であること」。ね、みなさんのことでしょう。

この、日本を代表するクラシックフレンチの至宝、白金高輪『コート・ドール』のオーナーシェフ、斉須政雄さんがそこに至るまでにたどった軌跡をそのままパッケージした『調理場という戦場』は、まさに革命家三宝を体現し、栄光と成功を掴んだ男の実体験に基づいた仕事論。

たしかに、そこに描かれているのはある料理人の成功譚です。弱冠23歳で単身渡仏し、12年間の修行の後、帰国。そして雇われシェフとして『コート・ドール』で腕をふるい、のちに経営権まで譲り受けてオーナーシェフになるという、非常に読み応えのある半生記といえるでしょう。

料理人とグルメだけが読むのは、もったいない本です。熱て深くて、火が出るような言葉が盛りつけられます。どんな年齢の人が、どんな職業の人が読んでも、身体の奥底から、勇気が沸きおこってくるでしょう。 糸井重里
人はこれを人生の書として読むだろう。たしかに、一藝を極めた人だけが語ることのできる知恵が詰まっている。……含蓄に富む、そして年少者を励ます青春論。 丸谷才一

つまり、ここに書かれていることの多くは、経験のない、技術的に未熟な、でも意欲だけはある若手のコピーライターにこそ読んでもらいたい。もちろんベテランが過去を振り返る意味で読んでもらうのもいい。コピーライターに関わらずデザイナーやディレクターなどすべてのクリエイターに読んでもらいたい、立派な『広告本』なのです。

若者への尽きることのない愛情

繰り返しますが『調理場という戦場』は、斉須政雄さんが単身渡仏した後にフランスで渡り歩いた6つの店ごと章立てされています。そして、章が進むにつれ若かりし斉須青年がどんどん磨かれていき、一人前の料理人へと成長していくのが手にとるようにわかります。

不思議ですよね、語っているのは同じ、斉須さんなのに。なぜか語られる世界の中で確実に階段を登っていっている。それが読み手にちゃんと届きます。聞き手がよほど、上手いのか。監修の糸井さんの魔法なのか。編集者の力業なのか。ま、それはおいといて。

プロローグからいきなり、若者論を展開する斉須さん。

…しかし、若い頃はそのつらさがなんだかわからないから、怖いけどやれちゃいますよね。わからないがゆえにやれちゃう。若さのすばらしさって、きっとそういう「あまりわかっていない」ということですよ。
怖さを感じても、若い人はわからないまま突っ走る。いつのまにかやり遂げてしまう。だから若さというものは、大事にしないともったいない。ほんとうの「なまもの」だという気がします。
本人には自覚がないと思うけれども、端で見ているともったいなくって。「一ミリも無駄にするなよ。鮮度落とすな」って言いたいぐらい。

斉須さんはまた、世の中の常識に縛られないで、自分の常識でぶちあたっていってほしい、と言います。ぶちあたってタンコブができるかもしれないけど、タンコブつくるのがイヤなら何もできない、とも。

それだけに、この一冊にかかれていること、ひとつひとつが斉須さん自身のタンコブの「おすそわけ」なのでしょう。

フランス修業時代

フランスでは12年にわたって『カンカングローニュ』『オーベルジュ・デ・タンプリエ』『ヴィヴァロア』『タイユバン』『ジェラール・パンゴー』『ランブロワジー』の6店を経験してきました。最初のお店では言葉もわからぬ中で買い出しから仕込み、賄い作り、ソース係とどんどん仕事を覚えていきます。

しかしそれはもちろん順風満帆なわけはなく、あるときはスタッフとケンカ、あるときはオーナーの秘書に反論、あるときは…とあっちこっちにぶつかって、文字通り傷だらけになりながら会得していったものです。

駆け出しコピーライターに付箋を貼って読ませたい箇所はここでしょうか。

ぼくには資質がないのだから、やりすぎるぐらいが当たり前のはずだ。「やりすぎを自分の常識にしなけりゃ、人と同じ水準は保てまい」というぼくの仕事への基本方針は、この時からはじまったように思います。
続けていれば、居眠りしながらでも今の仕事はできるようになるのです。毎日の習慣は恐ろしいものがありますよ。そして「毎日やっている習慣を、他人はその人の人格として認めてくれる」という法則のようなものを、ぼくは、ずっとあとになって知ることになりました。23歳から続けた習慣に、ぼくの場合は報酬と立場がついてきた。毎日やっていることを大事にすればおのずと階段が見えてくるものなのですね。

斉須さんはこの『カンカングローニュ』で4年半を過ごします。もういいかな、というタイミングで、結構揉めつつも次のお店『オーベルジュ・デ・タンプリエ』に。しかしここはみんなが仲良しこよしで温かった。たった2ヶ月で「席があいたよ」と声をかけてきた『ヴィヴァロア』に移ります。

『オーベルジュ・デ・タンプリエ』の項では、だからでしょうか、お店についての記述はほとんどなく、その代わりに斉須さんの料理に対する考え方について描かれています。その中から一般的な仕事論とリンクする箇所を抜き出すと…どちらかというとメンバー育成の話になるでしょうか。

ぼくが怒るのは、精神的な姿勢のことだから。
技術的なことで間違った。それを厳しく言うことはありません。壊そうと思って壊す人はいない。失敗しようと思って失敗する人はいない。それは問いません。でも、誰がどう見ても手を貸したほうがいいということがはっきりしている場面があるとします。そこで手を貸さずに放っておいた。何も教えてあげなかった。見過ごした。
そういう人のことを、ぼくは絶対に許しません。手を貸すことは難しいことではないのに黙って見ているわけですから。

この一節は、ぼくがたくさんのメンバーを持つ責任者になったとき、人を叱るひとつの基準になったものでした。結果は、叱らない。プロセスがいい加減だったり、考え方が間違っている時、厳しく叱ったものです。

師と仰ぐ存在との出会い

三店目の『ヴィヴァロア』はそれまでの郊外にあるレストランと違い、パリ16区という高級住宅街にある三ツ星レストランでした。気負って向かった斉須さんでしたが、ここでレストラン経営の、いや人生の師と出会います。

それがオーナーのペイローさんです。

ぼくはペイローさんを日本で体現したいと思いました。<中略>本質以外はなんだかわからない人。だけど、いつも垂れ流しで自分を出している人。ピュアの純度が高すぎて、あまり理解されていない。世俗的なところがなく、レストランを通して社会奉仕をやっているようでした。

そしてペイローさんはいつも掃除をしていたんだそうです。それを斉須さんは日本に帰ってから自分のレストランで再現しています。きっといまでも『コート・ドール』では一日5回の掃除を行なっていることでしょう。

ペイローさんに関する記述で印象に残っているのはこの箇所です。午後の仕込みに必要な食材を率先して買ってくるペイローさん。「これ買ってきたけど、これでいい?」と斉須さんに訊くんです。

働いているぼくが「ありがとうございます」と言うと「ありがとうは、わたしだ。わたしのために働いてくれているのだから、ありがとうはわたしだ」

これには参りました。

また、やたらと評価を気にする人っていますが、そういう若手ビジネスパーソンにぜひ目を通してもらいたいのがここ。

自分の評価や直接に得になることだけを求める姿勢ではいけないと思いはじめた時期です。ここでは自分の労力はソンになったかもしれない。でも、こちらで得たことをふまえると、相殺すればちょっとだけよくなったと思えばいいじゃないか。評価を追わず、そうやって少しずつ階段を上がることができるようになった。まわりに自分がプレゼントできるものを与えてからが仕事なんだ。欲しいものだけを追っていても、結果として欲しいものは手に入らない……。

そんな『ヴィヴァロア』の次は同じく三ツ星レストランだった『タイユバン』。クラシックフレンチの頂点といわれている店です。このとき斉須さん、30歳。いよいよ檜舞台に立つ、というわけです。

この辺の仕事場の移り方、なんだかコピーライターやデザイナーみたいだと思いませんか?ぼくも求人広告からはじまって、商品広告、企業広告、そしていまはブランディングなどがメインステージになっています。

クリエイターにあてはめると、斉須さんは小さなプロダクションから電通や博報堂に移籍した、みたいな感じでしょうか。中村禎さんみたいですね。

『タイユバン』は鉄の戒律があり、曖昧は許されない環境。もちろん人種差別も明確にあり、黄色人種は絶対に上には上がれない。どんなに優秀でも、です。そうしたこともあり、ただただ猛然と仕事をこなしていたそうです。

そして次、経営状態のよろしくない『ジェラール・パンゴー』で半年を過ごした後、『ヴィヴァロア』時代の盟友ベルナールとともに『ランブロワジー』というお店を立ち上げ、ミシュランの二つ星をとり、そして日本に帰ってきます。身一つでフランスにやってきた斉須さん、帰りは妻と子供と家財道具を抱えて、帰ってきます。

東京三田 コート・ドールにて

ま、長くなりましたがここまでが前置きですね。本番はここからです。この本が料理人の出世譚だけではなく、広告本としてもきちんと機能するのは。ここまで前フリが相当長かったので、ここからは広告人としても共感できる箇所の引用にとどめます。

つまり、人生に近道はないということです。まわり道をした人ほど多くのものを得て、滋養を含んだ人間性にたどり着く。これは、ぼくにとっての結論でもあります。技術者としても人間としても、そう思う。若い時は早くゴールしたいと感じているでしょう。それも、じれったいほどに。ぼくもかつてはそうでした。でも、早くゴールしないほうがいいんです。ゴールについては、いい悪いがあるから。
いつもお店の若い人に言うのは「どうしたらこうなるのか?」はわからない。なんでそんなに早く結果を知りたがるの?自分で、やってみたらいいじゃないか。ということです。当たり前のことだから言われた当人もあぁそうだなと感じるのですが、しかしこの「聞けばわかる」という魔法にかかっている人はとても多いですね。
結局、才能をどれだけ振り回してみても、あまり意味がないと思う。才能はそれを操縦する生き方があってのものですし、生きる姿勢が多くのものを生むからです。点を線にしていくような生き方と言いますか。才能というもののいちばんのサポーターは、時間と生き方だと思う。
採用するかしないかを決める基準は、ふたつだけです。
気立てと健康。
「よかったね」とこの次も言われるように、その気持ちを大事にするために、またフランスに行くのです。すばらしい仕事への尊敬の念を再び得るために。ぼくにとって料理への思いというのは、もしかしたら信仰に近いかもしれない。

金言、至言の数々。とてもここですべてをすくいあげることはできません。コピーライターは、いや、すべての仕事人はぜひ、最近では文庫本にもなっているそうなので、実際に手にとってページをめくってください。

駆け出しで先が見えず、息苦しい初年度~3年目にも。リーダーになったばかりで気負ってしまいがちな層にも。経営の中枢に立ち、何が正しいことなのか見失いがちなミドルにも。プレイヤーにもマネージャーにも読んでほしい一冊です。

最後に、もう一節だけ。斉須さんのあとがきの、文末から引用しておわります。

若い人たちと一緒に仕事をしていると、ぼくも「頑張ろう!負けていられない」と奮闘する。人から受ける影響が、いちばん大きいのです。運命という名前の楽譜を手にしても、それぞれが独特の演奏をしますよね。演奏の価値は、それぞれから滲み出てくる個性ひとつでガラッと変わる。それを人は「かけがえのないもの」と呼ぶわけでして…調理場でも、ほんとうは人間の生き方から出るダシが、「いちばんおいしいもの」なんです。

(おしまい)

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