求人広告制作note、の原点にあるもの
2022年も暮れております。絶賛師走であります。
師走といえば30代半ばの、いわゆる働き盛りのころが、人生でもっとも師走だったなァ。とのんびり振り返るぐらいには歳を重ねました。
今年も毎週月曜日、求人広告制作についてという狭くて細い道をずんずん歩いていきました。ジャンルがジャンルだけにそれほど多くの読者はいないのですが、それでもいつも読んでくださるあなたに心より感謝いたします。
ありがとうございました。
せっかくですので2022年に書いた求人広告制作noteの中から特に注目を集めたものを紹介いたします!
求人広告制作noteで今年いちばんスキを多く集めたのがこちらのnote。編集部の「今日の注目記事」にも取り上げられたこともあり、たくさんの方がスキを押してくださいました。ありがとうございます。
おそらくなんですが、テーマに普遍的な要素があるからなんでしょうね。量は質に転化する、と実際に感じている方が多い。あるいは量は質に転化してほしいな、って思ってる。
そして、この法則が最近めっきり不人気だということもスキの数に影響しているのかもしれません。特にZ世代といわれる層の人たちからは根性論、精神論の類は忌避されます。
でも量質転化の法則は決して重いコンダラではなくて。
ゆえにやり方を正しくしないと間違った方向に努力を続けてしまうことになる。これ以上に不幸なキャリアの重ね方ってないと思うんですよ。
だから、ビジネスパーソンとして正しく成長したいなら、新卒で入社する一社目、あるいはあわてて逃げた先の二社目、せいぜい20代前半のうちの三社目を慎重に選ぶべきだと思います。
これも地味に読んでいただけたnoteですね。ありがとうございます。
テーマを求人広告そのものからちょっとズラして、選考プロセスにピントをあわせました。恥ずかしげもなく自分のアホバカ面接噺を披露しております。
ただ、ここで書いていることは本当に心から思っていることで。
面接って採用活動における重要な後工程で、そこでの体験価値って馬鹿にならないんですね。
自慢なんですがぼくの勤めている会社の採用担当はどこに出しても恥ずかしくない、素敵な女性です。そんな彼女だから、内定出し後にこういうメールが割とよく届きます。
…と、内定者から頂いたメール文面の文字だけぼかして転載しようと思いましたが、さすがにそのままではよくないのでは?とおもい、一部を改変して引用します。
いい求人広告をつくったのち、こんなふうに後工程での体験価値があれば、どんなに難しい職種でも採用できないことはないんじゃないか、とすら思います。
そしてウチの会社の採用担当は本当に素敵な人なので興味ある方はあらゆる検索の手を尽くして会社を特定して応募してみてください。一文に「して」が3回も繰り返される悪文の見本ですね。
求人広告のド定番ワードとも言える「成長」をテーマに、いろいろと考察を巡らせています。
成長はいい事だけどいつまでも成長しかないのって、どうなの?
成長から、ある程度経ったところで成熟に移らないと、ダメなんじゃないの?
そういう思いからつい飛躍して「資本主義の限界」みたいな話にまで言及しています。ふだんアホバカ話ばっかり書いているぼくにしては恐ろしくマジメです。
そのマジメさをなんとか中和しようと、無理くり渡辺美奈代の『TOO ADULT』が挿入されていますね。照れ隠しです。
でも風呂敷が広がった割に結論は「摩擦係数ゼロの言葉は到達力が弱いから、具体的に噛み砕いて使おう」という単なるコピー論に落ち着きました。
駆け出しコピーライターがフィードバックを受けるとほぼ百発百中言われるセリフ。
それが「これ、どこでも言えるよね」です。
この鉄板フレーズの謎を解くために我々はジャングルの奥深くへと足を踏み入れてはいないのですが、絶賛苦しめられている中のヤングにはちょっとした福音とも言えるヒントは書いておきました。
「どこでも言えるよね」というフィードバックの中には「どこでも言えないことを言え」は入っていないんです。
なのに受け手が勝手にそう思い込んじゃう。
それが愛と悲しみのコピーチェック&フィードバックにつながっちゃうわけ。
「どこでも言えるよね」のフィードバックにも思考停止に陥ることなく、どこでも言えなくもないけどここで言うのが一番強い、という表現を探そうよ、という話です。
あとはいつも思っていることで、ずっと思い続けてきている、意味のない差別化についてのドクダミ光線ビームも少々振りかけてありますね。
最後にご紹介するのはここ数年、HR業界人がしたり顔で語る「求人広告ってオワコンじゃね」という安易なフレーズに対するアンチテーゼです。
2008年に起こったリーマンショックからじわじわとその存在価値を削ってきた、求人広告。企業は効果が出ても出なくてもお金を払わなければならない「前金モデル」の求人広告から、成果報酬型へと採用手法を移してきました。
今やすっかり定番となったのは人材紹介、あるいはスカウト型(ビズリーチとかですね)。最初にお金がかかる場合は極めて安価だったり、何本でも掲載できたり(その代わり執筆や画像アップも企業側が行なう)と、とにかく求人広告モデルにある企業側の不満をことごとくひっくり返すサービスが百花繚乱です。
ぼくが所属していたネット求人大手でもリーマン後、ビジネスサイドの連中が鬼の首をとったかのように「よく考えたらおかしいんだよ、前金モデルは」と唾を飛ばしながら成果報酬モデルに舵を切ろうと画策していました。
特に社外から三顧の礼を持って迎えられたJTC出身の役員に煽られて、前金モデル粉砕!のシュプレヒコールはどんどん大声になっていきます。
でもね、それって求人広告制作の価値もコストも全部無視しているからなのよ。
頭いいんだろ?よっく考えてみ?
無料でできるか?
この世に一つしかない、その会社のその採用のためだけに作られる広告文案がさ。
そうなんです。この業界は、求人広告制作というものの価値を一切認めようとしないんです。
そのことについて語ったnoteでした。だいぶオブラートに包んでますが。
まとめると
どの回を読んでも怒ってますね。
そう、私、怒ってるんですよ炭治郎君。
ずっと、ずーっと怒ってますよ。
この怒りはどこからくるのか。
たぶんですが、求人広告がマイナーだとか、社会的価値が低いとか、そういうことじゃなくて。
人と仕事、人と企業が出会うことの素晴らしさの、その一翼を担っていることをないことのように扱われる。それについて誰も問題視していない。そうした風潮に対して怒っているんだと思います。
たぶん、好きなんでしょうね、求人広告が。
見たこともない、胸を打つような、求人広告が見たいんでしょうね。
(俺、この仕事やる資格ないけど、もしあったら絶対やりたいわ)
そんな風に思える求人広告が見たい。作ってほしい。たくさんあったほうがいい。っていうかあるべきだ。
だけど見渡すとどんどん劣化していってる。
単なるクリエイターの問題ではなくして、版元からしてガンガン劣化を促進させている。
それに対する怒りなんだと思います。
この怒りが続く限りは連載をやめないかもしれませんし、どこかで疲れ果ててやめちゃうかもしれません。
とにもかくにも今年一年ご愛読いただきありがとうございました。2023年もどうぞよろしくお願いいたします。
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