全訂と、どう向き合うべきか
求人広告制作関係者なら必ず一度は経験しているのがクライアントからの全面訂正。『全訂』と略され、恐れられている現象のひとつであります。
世界広しといえどもこの緊急指令から逃れることができた者はおそらくいないのではないでしょうか。資本主義である以上、また求人広告というビジネスの構造上、一度かけられたスクランブルを覆すことは至難の技です。
『全訂』は制作マンにその事実を告げなくてはならない営業やディレクターにとって、もっとも眉間にしわを寄せながら口にしなければならないセリフでもあります。いつもの音程より3オクターブは下の声でつぶやくべきフレーズでもあります。「ヤクザと役者は一文字違いってな」とはウシジマくんに出てくる滑川さんの名台詞ですが、まさに演技力が試される瞬間です。
「すみません、あんまり良くない報告です」
「どうした?」
「グルメドールの原稿、担当は気に入ってくれたんですが…」
「修正が入ったの?」
「いえ、最終決済者が」
「なんだっていうの」
「…全訂です」(ここで3オクターブダウン)
これを明日から楽しい三連休!なんて金曜日の夕方5時ぐらいに聞かされたときは、激怒するわけですよ。このときだけはどんなに左門豊作みたいな顔したコピーライターでもキムタクになることを許されます。そこで左門某は口にするわけです「チョマテヨ」と。
あるいはこれをよおし今週もいい仕事するぞ!なんて爽やかに誓いながらオナラ臭い京浜東北線の車内から吐き出されたのち新宿のオフィスのデスクに着いた月曜日の朝イチに聞かされたときも、当然激怒するわけ。以下略なんだけど。
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ではなぜ求人広告では全訂という現象が比較的よく発生するのか。今回はそこんとこにメスをいれてみたいと思います。なんたっておれ、広告制作側も経験しているし、いまは発注側でもあるもんね。
【原因その①/取材者の能力不足】
過去の経験則から言っても、いま採用側に回って感じる点からも、これが原因の70%ぐらいだなとおもいます。労働集約型産業である求人広告事業が忙しいのはわかる。しかしあまりに準備不足だったり、理解がないまま取材に臨むのはいかがなものか。せめて対象への興味関心か、取材者自身の好奇心があればマシなのですが、それもない。いわゆるしゃあなしで、作業でヒアリングしている。効率を追求して生まれたヒアリングシートが結果、効率を下げているようにおもうんですけどね。そんな取材から出てくる広告がロクなもんじゃないことは火を見るより明らかです。
【原因その②/制作者のスキル不足】
仮に取材者のヒアリングがアッチョンプリケだったとしても、制作者がスキル・キャリア両面で上をいっており、なおかつ人格者であれば、A案:諭して再取材させる、B案:脅して再取材させる、C案:無視してヒアリングを超越したすごい広告をつくる、のどれかで危機を回避できます。が、残念ながらおんなじぐらい、あるいは取材者以下の能力だった場合、これはもう間違いなく全訂への高速道路をノーブレーキで突っ走ることになります。多くの制作マンは具体的な情報を抽象化するスキルが足りてないように感じるんだけど。あと表現力の前に基本的な日本語ですね。正しく、読みやすい文章が書けない。キャッチだアイデアだって話はそれからなんですけどね。
【原因その③/発注側の力量不足】
自社の事業が一般的にみてどう思われているのか。あるいは今回募集する職種の見られ方、そして求める人物がどれぐらいマーケットにいるか。相場観が発注者側にあるか、ないかは結構重要です。また、明らかに力量のない取材者に対してきちんと理解させるように伝えることも重要だと思うんです。しかしそれができない。つまり真の意味でコミュニケーションスキルが残念な担当者も。もっというと、あがってきた原稿には赤を入れるのが仕事だと勘違いしている人もいます。
【原因その④/求人広告への認識不足】
これ、③の最後のほうに書いたんだけど、会社によっては広報に原稿を回してチェックしてもらうところもあったりするんですよね。そうすると大概全訂になる。なぜか。広報と採用では見るところが違うから。どちらもできるだけ会社をよくみせる、という点では同じなんですが、その力点がすこし違うんですよね。採用の場合はよくみせるにしてもその後、よくみせた人が仲間になることを考えないといけない。いや、そんな書き方したらかえって応募者ひきますよね、という修正はたいがい広報が絡んでいるときです。
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もうひとつ、身もふたもないことを言ってしまうと、求人広告が持つ構造的な問題がありますね。一般の広告に比べると広告表現に価値がないと思われているのです。そしてこれは募集企業側にも媒体側にも共通している。だから赤を入れることへのハードルが低いし、その事自体が問題として経営にインパクトを与えないんです。
全訂があったときに媒体側の営業サイド=事業側、経営側が心配するのはそれによる効果毀損や媒体全体のクオリティ低下、求職者への価値提供損失なんかではなくて、掲載号がずれることによる計上の先送り、つまり金が入ってくる時期が先延ばし&不確定になったことだけですからね。
ぼくは個人的にここの構造にメスが入らないことには、求人広告事業そのものがいつかはなくなってしまうだろうなあとおもっています。逆をいえばここにメスをいれる蛮勇のある営業または事業側のトップがいれば、延命の可能性があるとおもいます。
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仮に、いまも全訂のようなクライアントからの修正に悩まされている求人広告制作関係者がいたとしたら。
結構つらいでしょう。全訂。だってよかれと思って作っているんですもんね。もちろん広告表現は制作者の個人的な意見や感想を表明する場ではありません。あくまで企業の代弁者の立場から、ターゲットに向けてベネフィットを約束するコミュニケーションをデザインする仕事です。
とはいえ、にんげんだもの。どのように第三者の立場で書いたとしても、そこには自分のいきてきた過程でしみついた価値観や考え方、さらに蓄積されてきた言葉や表現がにじみ出るものなんです。そうじゃなかったら広告表現に答えがひとつだけになってしまう。
だから、そこに不用意(?)に赤入れされるということは、すなわち自分自身に赤入れされている気分になってしまうのも仕方ないことなんだとおもいます。それが不快のタネなのでしょう。
でもビジネスですからそんなことも言ってられない。そうしてまた今日も(今日も?)現場のモヤモヤは宙に浮いたまま就業時間を超えていくわけです。ぼわわわーん。
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まあ、でも、どんな理由や背景があるにせよ、目の前にあるのは全訂の原稿なわけで。どんなうらみつらみを述べたところで全訂がひっくりかえるわけがないんです。だったら考え方ひとつかなとおもっています。
そもそも求人広告は、掲載されたら何百人、何千人の目に触れるわけです。そしてその中から何人かの人は興味を示し、動機をくすぐられ、応募というアクションに至るわけ。それだけの力を持たせるべき求人広告が、たったひとりの営業、たったひとりの担当者、たったひとりの広報、たったひとりの社長を納得させられないで、感動させられないでどうするよ。
今回もらった全訂は、そりゃ頭にくるだろーよ。腹が立つなら怒ればいい。悔しければ泣けばいい。むかついたんなら非常階段の柱ぐらい蹴ってきていい。だが、それが済んだらこんどはこの訂正をありがたいチャンスだと捉えるんだよ。なにがありがたいか?もう一回コピーをつくるチャンスをもらえたわけだからな。
だってお前さん、コピー書きたくてこの世界入ってきたんだろう?だったら自分の力不足を恥じて、侘びて、もう一回全訂出した相手をびっくりさせるようなコピーを書いてみなよ。それができたとき、本当の力がついてるのはお前さんのほうだからな。だから感謝するんだよ。
現役時代はこんなふうに言ってメンバーを諭していました。いま思い返してもえらそうですね。でも駆け出しの頃なんてこれぐらいでいいんです。いまのぼくぐらいのベテランになるとですね、さすがに赤入れなんかは……これがときどき山ほど喰らうんです(涙)。
そんなときにはこう思うことにしています。赤入れをしてきた先方の担当者が男性の場合は矢沢永吉さん、女性の場合は新川優愛ちゃんだと思いこむ。これです。
永ちゃんに赤入れられたら、そりゃ必死に直しますよ。だって怖いもん。新川優愛ちゃんから赤入れられたら、それはもう優愛ちゃんの言ってることのほうが全面的に正しい!と素直にすべて受け入れられるじゃないですか。
年をとるということは、だんだん自分勝手に生きやすくなる、ということなんですね。それはそれとして、本当に効率の良い仕事をしたければ赤字をなくす。赤字をなくすにはどこをどう手入れするべきか。求人広告事業者はそろそろ拡大再生産以外の道を探るべきだとおもうんですけどね。
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