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写真集III『IN THE MIDDLE OF OUR WELL-KNOWN』ができました

こんにちは、薄明です。今月、作品集としては6冊目、新しい写真集としては3冊目の『IN THE MIDDLE OF OUR WELL-KNOWN』を発行しました。さっそく多くの方に手に取っていただき、ありがとうございます。

コンセプト1:中判写真

今作については写真の媒体を中判フィルム(120フィルム)に限定しています。過去の『私は石ころみたいな写真が撮りたい』や『残された景色が白黒だったとして』では、35mmフィルムやデジタルで構成していましたが、中判写真は中判写真だけで一冊まとめてみたいなと思っていたのでした。作りたいと言いながら出来上がるまでにとても時間がかかったように思います。

半年も前に表紙デザインだけはその時の気持ちの勢いで出来上がっていました。中判写真は点数が少な目ではありながらも、一枚一枚が気持ち的になかなか重みがあり(写真は茫洋としているのですが)、入れたい写真が多かったのです。

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コンセプト2:「私たちのよく知るもの」の「中間」

内容、コンセプトは本書まえがきに書きました。そのページをそのまま載せておきたいと思います。(クリックすると拡大します)

maegaki のコピー

私がたえず撮っている写真が何か決定的なまばゆい瞬間にならないことは、見ていただいている方にはお分かりかと思いますが、それは大抵その瞬間を待とうという気持ちがないか、何かあったなという通り過ぎた時間を撮っているからです。(どちらかというと後者が多いでしょう)

その原因の多くはもたもたしているうちに“こと”が済んでしまっているからなのですが、焦っても自分が気持ちのいい写真が撮れるわけではないと自覚しているので、過ぎ去った――残された場所でシャッターを切ります。仕方なくではなく、その余韻が形作るものこそに心地よさを覚えているのかと思います。

それは何かの事象、点と点の間を結ぶ、時間的経過という線のなかです。また、時間とともに拡散していく空間とも言えます。

その時間の余韻が、私たち誰しもの目には映っておりよく知られてはいるものの、言語化しがたい「中間」であり(あるいはその広範な時間的経過)、「中心」でもあるように思われます。私の写真に存在する「あるべき不在」という大テーマに通ずる要素が、この類に含まれているのだと感じているのです。

購入してくださった方々のお声

購入報告していただいた方々の一部を記念に載せておきたいと思います。本当にありがとうございます。

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まだ在庫はたくさんありますので、気になる方はSNSのDM等でお声かけください。(以下SNSに貼り付けた告知画像です。) 読んでくださって、ありがとうございました。

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