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花を愛でるということ【つれづれ綴り帳】

ユリを買った。それは今までにはない新しい試みだった。これまでは百均のフェイクグリーンや造花を飾って済ませていたのだから、大きな革命だ。

それは私の体調がすこし良くなったことが関係している。うつが原因で休職してから、はじめて自分を愛し、慈しむ時間を取れるようになってきた。規則正しく眠り、丁寧に食事を拵える。そんな生活を続けているうちに、ようやく、ほかの生き物を愛でようという余裕が湧いてきたのだ。

スーパーで買ったばかりのときはくたりとしていて、どこを持てばいいのやら、まごまごしてしまった。それでも優しくビニールの包みごしに触れ、しっかりと握る。手をゆるめれば消えてしまいそうな、かろやかな命。陽の光を拝めるときはもう来ないのだと思うと、すこし胸が痛んだ。

ずっと側においていたい、という気持ちと、できるならば健やかにいて欲しい、という気持ち。相反する二つに挟まれながら、ふとサン=テグジュペリの『星の王子様』が心に浮かんだ。傷つけまいとケースに入れられたバラは、息苦しくなかったのだろうか。


荷物を置き、すぐに花瓶に水をはる。うちにあるものじゃ大きさがとても足りなくて、なくなく茎を切り、葉を落とした。新しいものを買いに行く気力はなかった。それでも、なにかを育てようという試みができるまで回復した自分を褒めてやりたい、と思う。どうか健やかに育っておくれ。

花はこれから咲くのだろう。がくのような部分は大ぶりで、こどもが握ればはみ出してしまいそうだ。強く鮮やかな緑に目がくらむ。フェイクではない、ほんものの緑。生気ということばの確かさを、はっきりと感じた。

珍しく今日は晴れているので、窓際において日光があたるようにしてやった。ベランダに出してみたら、存外寒そうにしていたからだ。調べたところ日本に流通しているユリの大半は沖縄など南方の生まれらしい。暖かいところが好きなのでは、と思い立ち室内に置いてみる。

これから少しずつ、愛を与えていきたい。自分にも、それ以外にも。こどもの頃に経験した世界とは真逆のものであっても、きっと心地よいと思える時がくると願って。

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