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「19歳看護学生の死」

看護師をしていて、人の死に慣れることはある。しかし、それが良いわけではない。

人それぞれで違うのだけれども、多忙に多忙の中で教育と効率を追求する。生への責任を持つ仕事。自己や間違えは許されない。

人間がやることだから間違いは必ずある。だけれども、死んでしまったら、死なせてしまったらその子の人生は終わってしまう。

思い出に残るとか、ここまで元気に頑張ったとか言う綺麗事はスキじゃない。

看護する者として、「看て(ミル)護る(マモル)」者として、考えなけでばならない。

自分の体験として、昔の約20年昔の看護学生時代からそれはあった。「いじめ」ではなく「教育」としてのモラルの徹底。

中には「うつ病」を発症するもの、「パニック発作」を起こして教室から飛び出し、一緒に1時間落ち着くまで語ったもの。実習中、レポートができずに実習にすら参加させてもらえなかったもの。

陰性の部分だけ見つめることはスキではない。もちろんある程度の基準に達したものでなければ慣れない職業であるのは間違いない。

どんなにできなかろうと、どんなに落ちこぼれだろうと、その人の良い部分を見つめて、褒めて、伸ばしていく。それしかできない僕には、それだけはきちんと伝えていこうと思う。

そのための認定教育だと思っている。自分自身の視野の広さを知識の広さを感性の広さを高めるために。

もし、看護学生で悩んでいることがあったらTwitterでもいいので叫んでほしい。僕で補えるなら協力する。

看護学校や認定の学校の攻略という視点から、余裕を持たせたいと考える。それは、業務で忙しくて、患者のベッドサイドに行けない看護の今の現状を変えることに似ているとも思っている。

未来の看護のたまごたちが笑顔で「看護師になりたい!」と言える社会にしていきたいですね。

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