見出し画像

埼玉の歴史と民俗の博物館で『土偶を見る』

体調が70%くらい快復したので、ある博物館へ縄文土器を見に行きました。通常は東京国立博物館(トーハク)にしか行かないのですが、今回は電車を乗り継いで行ってきました。

行った先は、埼玉の歴史と民俗の博物館。現在開催中の『縄文コードをひもとく』展です。noteの、のんてりさんが紹介されているのを読んで「ここなら、そんなに遠くないな……」と思って、さっそく行ってきた次第です。(勝手にご紹介させていただきます)

『縄文コードをひもとく』展という展示名から察せられるように、縄文=縄で記したコードを紐解いていこうではありませんか、という展示です。展示内容に関しては、のんてりさんのnoteに詳細が記されているため、そちらをご覧ください……なのですが、タイトルにある「コード」についてだけ、自分の記憶を留めるために記しておこうと思います。

コード=code 【意味】なんとなく「暗号」のことかなと思ってはいましたが、その通りでした。ただし、それだけでなく「暗号」に近い「符号」とか「信号(モールス信号みたいな)」のも含むし、「規則」とか「会則」とか、おそらく「法則」などのような「ルール」も含むようです。

改めてタイトルに戻ると……「縄文コード」を「紐解く」ですから……なるほど、そういうことかとも思えてきます。

本展については、普段から縄文時代に興味が「そそられるぜ」という、わたしのような体質の方には、常設展と合わせて3時間いても、足は痛くなるけど、まだまだ見ていたいというくらいに充実した展示内容ですが、「縄文時代? ふぅん……」という方には、もちろん全くつまらない展示かと思います。

ということで、今回は「行ってきたよ」というのをnoteに残しておきたいので、基本は撮ってきた写真だけを載せていきます。

そうそう、同館は常設展もですが、今回の特別展も撮影は自由です。※常設展には、撮影禁止のものもありますので注意が必要です(縄文時代については皆無)。

■まずは常設展の土偶を中心に

いつもはトーハクでしか見ない土偶たち。日本全国で無数の土偶が出土しているとは知っていましたが、埼玉だけでも、これだけの数の土偶が発掘されているとは知らず、ちょっとした驚きでした。ここにあるだけでも、埼玉で出土した土偶の、ほんの一部なんですものね。

《みみずく土偶》蓮田市 ささら遺跡
約3500年前(縄文時代後期)埼玉県教育委員会蔵
《土偶》出土地不明
約3500年前(縄文時代後期)同館蔵

↑ おにぎり形の土偶は、通常は「山形(山の形=三角形の)土偶」と称するようです。こちらは単に「土偶」とあるだけですけど、このT字形の「まゆげと鼻」は、山形ではなくてもよく見かける形ですね……一つのコードです。

《土偶》桶川市 高井東遺跡
約3500年前(縄文時代後期)埼玉県教育委員会蔵

↑ 全身……特に両手両足が残っているのは、珍しいように思いますが、削られてしまっていて状態が良好とは言えませんね。こちらもT字形の眉毛と鼻です。先程のもそうですが、乳房があるので、もしかすると女性をかたどったものかもしれません。

《土偶》桶川市 高井東遺跡
約3500年前(縄文時代後期)埼玉県教育委員会蔵

上のと下の土偶は同じものです。頭部だけが残っています。一番手前に展示されていたこともあってじっくりと観察できました。いわゆる「みみずく土偶」に相似性が認められるものの、顔全体と両目と口、それに耳の全てが単純な「円」で表現されている点は、「みみずく土偶」とは言い難い……亜種のような感じでしょうか。特に眉毛と鼻がT字になりがちな土偶としては、額の突起が、珍しいような気もします。

《土偶》桶川市 高井東遺跡
約3500年前(縄文時代後期)埼玉県教育委員会蔵

ここまでは3500年前と推定されている遺跡から発掘された土偶です。そこから500年を経た3000年前の遺跡から出土したのが、下の後谷遺跡の土偶です。技巧としては、さして変わりがないように感じますが、目がつぶろな感じになりましたね。

《土偶》桶川市 後谷遺跡
約3000年前(縄文時代後期)個人蔵

下の原ケ谷戸遺跡の土偶も3000年前のものです。こちらは、他の土偶と比べて、かなり胴体に厚みがあります。両手両足が欠損していますが、おそらく手はちょこんと小さなものが付いていたのでしょうし、足もそれほど大きくはなさそうです。穴なのか孔がいくつか空いていますね。まずは両耳。それに、お腹の渦巻き文様の下に「へそ」と言いたくなるような位置にもあります。ただし、お腹の下の穴を「へそでしょ」と……何か身体の一部を意味するものだと規定すると……では首の下にある穴はなんだよ? ということになるので、2つの穴は、身体の一部をかたどったものでは「ない」ということが導き出される……ような気がします。それと同じで、胸の位置にある突起が「(女性の)乳房である」と規定すると、「じゃあなんで細長いんだよ?」とも思うので、「乳房ではない」という感じが個人的には思います。

ちなみに、この原ケ谷戸遺跡からは、ユニークな土版(盤)も出土していますが、並ぶように展示されていた土版とは異なる、顔のようなものがかたどられている、ユニークなものです。

《土偶》深谷市 原ケ谷戸遺跡
約3500年前(縄文時代後期)埼玉県教育委員会蔵

同館の土偶コレクションで、最もハッピーな感じがするのが、下の橋屋遺跡から出土した土偶です。この形の堅焼きのクッキーを作ってくれたら、お土産として買っていたかもしれないな……と思うほどに噛んでみたくなる、程よい厚みでした(←そんな気がしただけです)。

笑っているような眉と目と鼻の配置が秀逸ですけれど、この口の形がおもしろいですね。口だけ見ると、笑っているのはなく、なんらかのコードが隠されているような気すらします。また、首周りにある紐のようなものが、もしネックレスのような「アクセサリー」だと言うのなら……身体を縦にまっすぐに走っている線も「アクセサリー」でしょうか。さらに胸の下なのか腰なのかに横に伸びる一線と、スカートの裾なのか…こちらが腰なのか…の位置に横に走るもう一線は何を意味するのか? などなど、考えるとおもしろいですよね……まぁこうやって土偶好きは、土偶をおもしろがって見ている人が多いと思います。

《土偶》深谷市 橋屋遺跡
約3500年前(縄文時代後期)個人蔵

下の写真は、特に意味はありません。山形土偶とハッピー土偶を一緒に撮りたくなっただけです。

おぉ〜、この「みみずく土偶」は、はっきりと見覚えがありますよ。なにせトーハクに所蔵されていますからね。埼玉からお越しいただいていたとは知りませんでした。

《みみずく土偶(複製)》さいたま市 神福寺貝塚
約3500年前(縄文時代後期)現資料はトーハク蔵

↓ トーハク所蔵のこれですよね。もちろん本物も展示されていて、まさに現在もしっかりとトーハクに展示されています(展示されていない時期もあります)。レプリカを持ってみると、けっこうずっしりと重みがあり……実物はどうなのか分かりませんが、凶器にもなりそうなほど金属のように硬いです。時々、子どもが落として「ゴトンッ!」と、音が展示室に響き渡っています……まぁそういうふうに物量感を感じるためのレプリカなので、落としても良いのです。ちなみにレプリカといえど、盗難防止の鎖で繋がれています……どから落としちゃう、というのもあると思います。

トーハク所蔵の《みみずく土偶》
右側が、埼玉県さいたま市 真福寺貝塚から出土したものです

また埼玉県の歴史と民俗の博物館に話を戻します。けっこうな数の「みみずく土偶」系が出土しているようですね。また遮光器土偶もあるようですが、頭部のみが残っているようです。

手前も奥のも《土偶》《土偶》桶川市 後谷遺跡
約3500年前(縄文時代後期)個人蔵
《土面(複製)》羽生市 発戸(はっと)遺跡
約3000年前(縄文時代晩期)

隣には、こんなものもたくさん陳列されていました。まぁアレですよね。トーハクには常時1点が展示されていますが、この博物館には大小様々なアレが展示されています。

《土偶形容器(部分)複製》熊谷市 池上遺跡
約2000年前(弥生時代中期) 原資料:埼玉県教育委員会蔵

少し離れた位置に展示されていたのがこちら。このオジサンの顔は、土偶形容器の一部なのだそうです(複製)。立派なひげをはやしていて、(下から見上げるようにしか見られませんでしたが)やや鼻が高いようにも思えます。容器(土器)の一部……おそらく取っ手として付けられたからなのか、髪形も独特ですよね。ちょっと“異人”っぽい。

解説には「写実的なこの男性の土偶は、新来の文化を取り入れ、米づくりに挑む農民の顔を表現したものかもしれません。」と記されています。

他にも時に取り付けられた土偶……とは表現しないようですが、一部に顔が表現された土器がいくつかありました……が、土偶に興奮しすぎて、撮り忘れました。

そう言えば、縄文時代の土偶は植物の種子の精霊だ……と主張する方がいましたね……『土偶を読む』。わたしは、同著を読んでもいないし、『土偶を読むを読む』についても読んでいないのですが……ふと、土偶が縁に配置された土器を見ながら、「土偶が種子を表している」という考えもおもしろいなと思いました。

例えば、土器ごとに入れる(保管する)種子、または調理する種子が決まっていたとしたら……その土器に、それぞれの種子を表すマーク=コードとしての顔が配したとしたら……まぁ可能性としては低いでしょうけどね。

《人面付環状注口土器》桶川市 高井 東遺跡
約3500年前(縄文時代後期)埼玉県教育委員会藏

また少し離れたところに、最近の出土品を集めたコーナーにも、人面付きの土器の破片がいくつか展示されていました。

《顔のように見える土器》飯能市 加能里遺跡 77次調查
約3000年前(縄文時代晚期)飯能市教育委員会 蔵

■弥生時代の遺物はスキップして古墳時代の埴輪へ

なぜでしょうね……トーハクでもそうなのですが、今回の歴史と民俗の博物館でも、弥生時代や古墳時代の遺物については、撮影NGのものがちらほらとあります。共通するのは、それぞれの館が管理委託されたものだということ……つまり所有者が異なるということです。ただし、縄文時代の遺物については、いずれの館も、委託品でも撮影NGのものは皆無。なにか不審だな……と思いましたが、理由は現段階では分かりません。

撮影NGのものとOKのものが混在しているので、監視スタッフの方に、下手に怪しまれるのも面倒なので、弥生の土器については撮影していません。チラッと見つつ、古墳時代のエリアへ行き、その中で撮影OKの埴輪を見て回りました。どうも撮影できないと、集中力が持続しないのは、治さないとなと思っています。

《男子埴輪》東松山市 雷電山古墳群
古墳時代後期 (6世紀後半)個人蔵

この埴輪を見たいと、最近思っていたのですが、この館にもあったとは!「この埴輪はユダヤ人なのだ!」と、美術の大先生が言っている埴輪ですよね。本当かどうかは分かりませんが、たしかに日本人とは容姿が異なるような気もします……。太陽のような庇(ひさし)の帽子もですが、この方もしかすると手袋をしていますね……髪形も独特な感じがしないでもありません。

ただし、顔を見る限りは……もっと彫りが深く表現されていたら「たしかにユダヤ人なのか、西の方から来たのだろう」と思えたかもしれません。でも……この「ひらたい族」は、特に日本人の確立が高い気がしますし、縄文時代の土製の仮面のようなものが、ほとんど同じと言えるくらいに、この埴輪と同じ顔です。

異様に太い下半身も「これは東洋人ではないだろう」とも思えますが、いえいえ縄文の土偶(例えば遮光器土偶)と見比べれば、このくらい太くてもわたしは驚きませんよw

お馬さんたちも多いですね。むちゃくちゃ足の長い馬もいました↓ 解説には「長く太い脚と大きなたてがみを持ち、全 体のバランスがよく……」と記されていますが……足がアンバランスに長いと感じましたけどね。とにかく完成度が高いということで、こちらは埼玉県の文化財に指定されています。

《飾馬の埴輪》伝児玉町(現本庄市)
古墳時代後期(6世紀)県立さきたま史跡の博物館蔵
《飾馬の埴輪》伝児玉町(現本庄市)
《飾馬の埴輪》伝児玉町(現本庄市)

下の《椅子に座る女性人物埴輪》も、独立したケースに展示されていたので、同館の埴輪の中では至宝と言えるものなのでしょう。ちなみに個人蔵。

顔に赤い化粧をして、袈裟のような衣服をまとい、椅子に座る女性の埴輪です。体の前で合わせられた手には、板状のものを持っていた痕跡があります。櫛、耳飾り(耳環)、首飾り、腕輪などのアクセサリーを身に着け、腰には鈴が付いた銅鏡(鈴鏡) を下げています。

解説パネルより
《椅子に座る女性人物埴輪》伝 東松山市 三千塚古墳群
古墳時代後期(6世紀)個人蔵

土偶は抽象的な……それこそ記号や暗号のような要素が強い気がしますが、5-6世紀の古墳時代の埴輪は、もっと具体的な何かをかたどっていますよね。抽象性が希薄になるというか、写実性が増しているような気がします。土偶がかたどったものは、実存していたのか怪しい気がしてしまいますが、埴輪がかたどったものは、それに近いものが当時実存したんだろうな……と思わされます。

そんな写実性の高い埴輪の中にも、土偶との相似点が見いだせる気がします。その相似点については、土偶のあった縄文時代にも「在った」と言える気がします。

で、こちらの《椅子に座る女性人物埴輪》については、その顔が、土偶にもあるよなぁと。T字の眉毛と鼻ですね。(V字の頭髪の剃り込みなのか、帽子なのかも気になりますけど、今回は触れません)

同館の縄文時代の土偶や土器では見られませんでしたが、下記のようなものです。

江戸東京博物館の特別展『東京に生きた縄文人』に展示されていた土偶
町田市の田端東遺跡から出土した「まっくう」……かもしれない

他にもトーハク所蔵で、北海道北斗市茂辺地で出土した縄文時代(後期) ・ 前2000〜《人形装飾付異形注口土器》などにも、似たような顔が配置された土器があります。

《人形装飾付異形注口土器》トーハク所蔵

まぁ眉毛を剃らないと、みんな両津勘吉さんみたいに眉毛が繋がってしまうんですよ……と言えばそれまでです。でも、T字で顔の重要パーツである眉毛と鼻を表して、円または楕円で目をかたどるというのは、縄文時代から弥生時代まで、長い間の伝統になっていたと言えそうです。(普通の人には「だから何だよ?」案件ですけど……)

最後に、《椅子に座る女性人物埴輪》って、なんで「女性」ってことになったんですかね。胸があったかなぁ……。

土偶もですが、胸の膨らみがあると、それは「女性」ってことになるというのは、おそらく明治大正時代の研究者が言い始めたと思うんですが……ちょっと安易過ぎないかなぁと、個人的には考えています。

いうことで、特別展の『縄文コードをひもとく』展にまで話が行きませんでした。縄文土器については、次回にnoteしていきたいと思います。

<関連note>


この記事が参加している募集

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?