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書・歌・紙の美を楽しめる“伝”小野道風の書

先日、皇居三の丸尚蔵館にて、国宝《屏風土代(びょうぶどだい)》を拝見しつつ、学芸員(研究員?)の方に、その魅力というか見どころを聞いてから、小野道風とうふうさんのことが少し身近に感じているところでした。

そんな折に東京国立博物館(トーハク)へ行くと、小野道風……こちらは、そう伝わっているけれど不確かですし、かなり怪しいですけどね……という意味の、“伝”がつく小野道風とうふうさんの《つぎ色紙》が展示されていました。

つぎ色紙》伝小野道風筆| 平安時代·10世紀 | 彩笺墨書・文化庁

小野道風を身近に感じ始めたものの、その本当のすごさや字のきれいさを理解できたわけではありません。むしろ……2〜3文字しか分かりませんでした……。また、文字を見えない……認識できないくらいに作品が小さく、ケースの遠くに展示されているので、単眼鏡か望遠レンズ付きのカメラがあると良いです。

結局、展示室では書かれていることが分からず、帰宅後にネットで調べてみたところ、ある人のブログに、何が記されているかが、解説されていました。もう連想ゲームとか謎々の世界ですね……。また、同ブログによれば、この《つぎ色紙》は、2010年4月時点では「個人蔵」だったそうです。現在は文化庁の所蔵となったため撮影可能です。

恋 一
 よしの閑者 い者那見 多可倶 ゆく水の
(よしのがは いはなみ たかく ゆく水の) 
 者や倶素 悲とを 於母ひ 處め弖し
(はやくぞ ひとを おもひ そめてし)

「古今和歌集」巻十一の471番に選ばれた、紀貫之きのつらゆきの詠んだ歌。Microsoftの生成AI、Bardによれば、次のような意味だと言います。

吉野川の岩間に波高く行く水のように、早くも激しく、あの人のことを思い染めてしまった

Bardによる解釈

現在(2023年11月11日)、“伝”小野道風の作品がもう一点、展示されています。《古今和歌集断簡だんかん》で、かつては本阿弥光悦が手元に置いていたと(伝承されていたと)いうことで、通称《本阿弥ぎれ》と呼ばれている、多くの断簡の一つです(京都国立博物館や五島美術館なども一部を所蔵)。

《古今和歌集断簡》伝小野道風筆 平安時代・12世紀 | 彩墨書・森田竹華氏寄題

残念ながら、ネットを調べても何が記されているのか分かりませんでした。ただ展示を見ている時に、同じタイミングで見ていた3人組の女性たちが、この文章を口に出して読んでいたので、古文書を理解できる人なら読めるものなのでしょう……。書道をされている方々ですかね。

わたしも今後、読めるようになるかもしれないので、拡大写真を添付しておきます。(ちなみに「本阿弥切 東京国立博物館」などとググれば、高画質な画像がたくさん見られます)

ただし、今回の一連の展示……実は、しるされている“書(文字)”ではなく、しるされている“紙”に注目した展示構成となっています。わたしが真正面から撮った上の写真だと、なにか紙にシミなのかカビなのかがついているようにも思われますが……これは、光の当て方によって見えるものが変わってくる紙なんです。トーハクの画像アーカイブでは、様々な角度から見た《本阿弥切》の写真が載っていますので、見てみてください ↓

これらの紙は、舶載(中国製)の唐紙なのだそうです。白く見えるのは、花崗岩に含まれる雲母(うんも)。こうした料紙工芸では、雲母と書いて「きら」と呼ぶんですよと、トーハクのブログに記されていました。

既に展示が終了してしまいましたが、京都の国立博物館が所蔵する《古今和歌集(本阿弥切)》の《巻第十二残巻》が、特別展の『やまと絵』に展示されていたようです……気が付かなかったな……。

■田中親美さんの、本家を超える完成度の模本を展示

こうした料紙を含めた古筆の再現で思い出されるのが、田中親美さんです。Wikipediaによれば「100年の生涯で模写した古画・古筆の作品は3000点以上」とも言われているそう。わたしは《平家納経》の模本を見て「すげぇ〜〜〜!」となってしまいましたが、トーハクには他にも《久能寺経》や《手鑑 瑞穂帖》など同氏の模本のいくつかが所蔵されているんですね。今回は、その中から《本願寺本三十六人家集 赤人集》と《本願寺本三十六人家集 猿丸集》(いずれも模本)が展示されていました。

《本願寺本三十六人家集 赤人集(模本)》田中親美模模本:大正~昭和時代 20世紀
原本 平安時代 12世紀 | 彩 墨書

《本願寺本三十六人家集》は、三十六歌仙の和歌を集めた平安時代末期の装飾写本。36人の歌人の歌、6,506首が全38冊にしるされているそうです。田中親美さんは、20名が分筆したと推定。原本はもちろん国宝ですが、その32冊+補写5冊の計37冊が西本願寺で保管されています(あと1冊はどこへ……)。

その詳細は、岡山県の「はくび工房」という紙の会社のホームページに記されています(このサイトもすばらしい!)。

「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける」(万葉集・百人一首)の歌で有名な山部赤人やまべのあかひとさんの歌が集められた一冊。なので「赤人集」ですね。こちらは前項の伝小野道風の文字よりも親しみのある書き方なので、ネットで激ググれば、何が書いてあるか分かりそうですが、ちょっと調べた限りは出てきませんでした……残念。

ということで料紙に注目してみると、真上からみると上のような感じですが、腰をかがめたり光の当たり方を変えて見ると下のような感じになります。あら不思議…。

紙も書もきれいです。何が書かれているかスラスラと読めるようになったら、もっと楽しいだろうなと想像できます。

田中親美さんによる《本願寺本三十六人家集》の模本は、もう一冊が《赤人集》の隣に展示されています。こちらは《本願寺本三十六人家集》の《猿丸集》です。猿丸さん、または猿丸大夫さんの歌が集められています。

《本願寺本三十六人家集 猿丸集(模本 )》田中親美模|本:大正~昭和時代 20世紀
原本 : 平安時代・12世紀 | 彩箋墨書

こちらも何が書かれているのか、わたしには分かりませんが……左から2行目に「志らすけ」→「しらすけ」は読めるのでググって見ると、《猿丸集》の一つめに書かれているのが「しらすけの-まののはきはら-ゆくさくさ-きみこそをしめ-まののはきはら」だということが分かりました(日本文化研究センター)。意味解説が見当たらないので、生成AIのChatGPTとBardにそれぞれ解説をお願いしたところ、どちらも怪しい感じでした……残念。

でも、調べてみると、この歌は万葉集に書かれていて、詠んだのは黒人という人の妻(黒人妻)とあります。この妻が夫(君)に送った歌のようです。どういうことなのかわたしには分かりません……。

ということで歌の話は置いておいて、こちらの料紙もきれいです。また角度を変えて見ると、金色の文様がくっきりと見えてきます。その模様がまた繊細な感じで良いんですよね。

こうして平安貴族は、書と歌(言葉)と紙の美しさを、じっくりと楽しんでいたんでしょうね。なんだか、すごい文化レベルのような気がしてきました。

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