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トーハクの7月の近代絵画……池田蕉園や小林古径などなど

前回は、東京国立博物館(トーハク)で展示されている《東海道五十三次絵巻》をnoteしました。その絵巻製作に参加した、日本の近代絵画の……日本画部門の……巨匠たちの他の作品が、同じフロアに多く展開されています(つまりは岡倉天心と関係の深い人達の作品です)。


■小林古径の《出湯》と《麦》

今村紫紅や前田青邨などと仲良しだったと思われる小林古径。両氏の話をnoteした時などに、たびたび小林古径の名前に触れていましたが「はて? どんな絵を描いていたんだろ?」と、よく名前は聞くけど、よくは知らない人……という感じでした。

ただし今季のトーハクでは、とても目立っています……しかも2作品。これでわたしの記憶の中に、小林古径の絵が刻まれたことでしょう。

《出湯 A-10548》小林古径筆 大正10年(1921) 絹本着色

1つ目は《出湯いでゆ》。小林古径が38歳の頃に描いた作品です。解説パネルによれば、当時の小林古径は、横浜の三渓園で有名な原三溪さんから援助を受けていた一人。その原三溪の「箱根芦ノ湖の別荘の温泉で着想を得た」のだそうです。えーと……どんな温泉やねん!? とツッコミたくなりますが、パトロンの別荘の湯に浸かりながら思いついたとのこと。

解説パネルには、以下のような謎の一文もあります。

「元々この作品は大正7年の日本美術院再興第5回展に出品されたものだが、三溪が買い上げた後、大正10年春に再び画面を描き起こした異例の作品」

つまりは、原三溪が買い上げた同じ作品が、もう一枚あるということなんですかね。

今季は、もう1つの小林古径の作品……《麦》が展示されています。上の《出湯》の原本という感じの《いでゆ》を描いたのが大正8年……その翌年に描いたのが《麦》です。

写真に撮ると……Pen Fで撮ったからなのか、少し濁りのある雰囲気になっていますが、澄んだ色合いが印象的です。

小林古径の作品には2点ともに、珍しく解説がありました。小林古径についている他のサイトを読んでも、この《麦》や《出湯》については、その「写実主義的傾向」について触れられていました。誰か偉い美術評論家が、そう評したんでしょうね。たしかに、これらの作品を「日本画」にカテゴライズすると、その中では写実的な絵かもしれません。ただ……少しホワァっとした全体の雰囲気などは、むしろ「日本の印象派」とでも言いたくなりますけどね……言うほど写実的かなぁ?

古径は、やまと絵や琳派など日本の古画を徹底的に研究し、近代的な感覚を作品に取り入れました。研ぎ澄まされた線描の美しさとともに、本作には写実主義的傾向の強い表現のなかに清々しい色彩感覚があらわれています。

解説パネルより

今回改めて小林古径さんのことをサラッと調べてみたら、トーハクには、このほかキリスト教の踏み絵を画題にした《異端》というバカでかい作品、それに《阿弥陀堂》や《罌粟》が所蔵されていて、全て見たことがあるんですよね……。さらに永青文庫蔵の重要文化財《髪》も見ているし……あぁ〜色々と心に残っているなぁと思いました。今まで「大好き!」とまではならなかったようですが……あんまりnoteしてこなかった理由かなと……これからはちゃんと見ていきたいと思います。

■池田蕉園の《髪》

昨年の7月頃……ちょうど一年前に、国立近代美術館へ行った時に見て「すてきっ」と思った作品の1つが、池田蕉園さんの《かえり路》でした。ただ……この方の作品を、その後、見ることもありませんでした。まぁ理由は単純で、トーハクの所蔵作品が少ないからなんですよね(わたしがほぼトーハクしか行かないので…)。

今季、そんな池田蕉園さんの《髪 A-12479》が、展示さています。

画題は、婚礼前の髷の合わせを行う少女を描いたものなんじゃないか? と思われているそうです。女性の表情もですが、なにより衣装の柄が丁寧に描かれていますよね。

お母さんなのか……まぁ下女ですかね……後ろから優しい目で少女を見ている女性がいます。

この池田蕉園は「伊藤深水、竹久夢二などにも影響を与えました」と、解説パネルには記されています。この世代になるとトーハクには所蔵されていないでしょうから……あまり見る機会がないのが残念です。ただ、伊藤深水さんについては、東京国立近代美術館にだけでも5作品が所蔵されているので、今後、見ることができるかもしれません。

■どうした下村観山さん?

基本的に、下村観山さんの絵は、どれも素晴らしいなと思ってきたのですが……これはどうなの? という作品が展示されています。

1つは、ラファエロ作「椅子の聖母子」を模写した《椅子の聖母子・巌上の鵜 A-12333》です。模写したと言っても、フィレンツェのピッティ宮殿に所蔵されている原画ではなく、大英博物館にある模写を写したと思われるそうです。日本画の下村観山なので、ラファエロの油彩画を「水彩で精密に模写」しています。優れた作品なのかは分かりませんが、珍しいものであることは確かでしょう。

《椅子の聖母子・巌上の鵜 A-12333》
下村観山筆|明治37年(1904)頃|紙本着色
山本達郎氏寄贈
《椅子の聖母子・巌上の鵜 A-12333》

2つめの「どうした?」的な作品が《豊太閤》です。なぜ突然の豊臣秀吉? という感じです。ただ、息子の秀頼を大事そうに抱き上げる豊臣秀吉の優しそうなパパの目が、斬新とも言えるかもしれません。

《豊太閤 A- 10518》下村観山筆|大正7年(1918)|絹本着色

実際に見て気が付きませんでしたが「絹地の裏側から金箔を貼る裏箔の技法によって、光沢ある上品な画面となり、天下人の風格があらわされています」なのだそうです(解説パネルより)。

■今村紫紅の《高津宮浪花津》

《高津宮浪花津》と書かれてしまうと分かりづらい、今村紫紅の2ふくがワンセットとなった作品。浪花津=難波津=大阪湾のあたりに、難波宮なにわのみやという都を、作った最初の天皇……仁徳天皇の皇居を、難波高津宮(なにわのたかつのみや)というようです。ただし「高津宮」と書くと、現在は「高津宮(こうづぐう)」という神社を指すのが一般的かもしれません。

今村紫紅の絵を見ると、どうやら左に「難波津」のにぎわいを描き、右に「高津宮」を表しているようにも見えます。解説には「『古事記』を題材にした歴史画」だとしていますが、具体的に、古事記のどんな記述を基にしているかは不明です。

浪速津?
高津宮?

■高橋由一の《旧江戸城之図》と《長良川鵜飼》

今回は、日本画の系統だけでなく西洋画のコーナーについても見てみました。なぜかと言えば、高橋由一の《旧江戸城之図》があったからです。

高橋由一と言えば、《鮭》や《花魁》が有名ですが、明治になり荒廃していった江戸城も(いや……幕末には既に荒廃していたのかもしれませんね)、白壁が剥がれている様子などまで、写実的に……超リアルに描いていたんですね。

こうして見ると、高橋由一さんは西洋画というか油絵の普及のために、まずは日本人がよく口にして見る機会も多い「鮭」をリアルに描き、江戸と言えば……の、吉原の「花魁」をモデルが泣いてしまうほど誠実に描き、これもまた江戸と言えば……の、「江戸城」の見たくない部分……荒廃していく様子までを忖度なく描いたんですね。

ちなみに彼もまた、侍から絵師になった経歴を持っています。武士から絵師になった人は非常に多いですよね。

さらに、高橋由一の《長良川鵜飼》です。こちらは単独のケースに展示されています。ただ……反射のひどく多いケースなので、作品の仔細を確認するには、ガラスに鼻をくっつけないように気をつけながら、ギリギリまでガラスに近づいて見る必要があります。

額を含めて写真に収めると、たいしたことのないように見えるのですが、一部分を切り出して見ると、高橋由一の上手さがよく分かります。

■青木繁の《筑後風景》

最後は、作品の良さはいまいち分かりませんが、個人的に親近感を感じている青木繁さんの《筑後風景 A-11147》です。

青木繁筆|明治41年(1908)|カンバス・油彩
松永安左エ門氏奇贈

青木繁さんの作品だと知らなかったら、目を留めることもなかったかもしれません。青木繁さんは、以前にnoteで記した通り、28歳で亡くなるのですが……今回の《筑後風景》は、亡くなる数年前に故郷の風景を描いた作品ということになります。

今作を寄贈されたのが、アーティゾンの石橋さんではなく、『鬼と呼ばれた男』……松永安左エ門さんというのも興味深いですね。長崎県の壱岐出身の氏は、実業家なのですが、「耳庵(じあん)」という号で知られる茶人でもありました。茶室(埼玉県所沢)のほか多くの茶道具をトーハクに寄贈してくれていて、本館1階のほか東洋館の朝鮮半島の部屋で、それらを見ることができます。そんな寄贈品の中に……おそらく耳庵さんの好みではないだろう、青木繁さんの絵があったんだなぁと。いや、もしかすると耳庵さんの好きな絵だったのかもしれませんけどね。

今回は以上です。なんやかんやと日本画勢の作品については、ほとんどをnoteしてしまいました。やっぱり自分は、日本画の方が好きなんだろうなぁと思います。

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