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映画日記『ロック・フィールド 伝説の音楽スタジオ』 大雑把と痛快

2月14日に書いた文。

イギリスで最初に出来た滞在型のロックスタジオのドキュメンタリー映画だ。スタジオの名前が「ロックフィールド」という。これまでにロック史上に残る数々の名盤を生み出してきたスタジオだというが、なんと家族経営だった。

80代とおぼしき経営者の爺さんと、経理が出来るその妻。そして二人の娘。ある時期まで爺さんの兄だか弟も、一緒に、二人で経営していたが、近所に別のスタジオを作って運営するようになり、この映画には、兄だか弟の方は、ほとんど若い頃の写真でしか出てこない。二人の娘も、インタビューにはなぜか一人しか出てこない。その他に何人かスタッフがいるようだが、エンジニアの男以外は出てこない。

有名なミュージシャンが、多数、証言者として出てくる。ブラックサバスのオジー・オズボーン、トニー・アイオミ。ロバート・プラント、シンプル・マインスのジム・カー。オアシスのリアム・ギャラガー、シャータランズのティム・バージェスなどだ。私の知らない人も多い。ロバート・プラントだけ現地でロケしている。

クィーンの「ボヘミアン・ラプソディ」が録音されたのは、このスタジオだ。映画の中で録音風景としてスタジオや食堂のシーンが出てきたが、それがここ「ロックフィールド」だったのだ。ロケはどこでやったのだろうか、この映画をみた後に、映画の『ボヘミアン・ラプソディ』をもう一回見たら、実際にここで撮影したのか、別の所なのか、区別がつきそうだ。

この映画の始まりの方で、経営者の爺さんが、スタジオを案内してくれる。大きな古い建物で、木造二階建ての古い校舎が4つくらい建っている感じだ。でも、半分くらいは廃屋に見える。日本でいったら茅葺きの古民家だろうか。

ヨーロッパは、日本と違って、古い建物を大事にする。内装を変えたり、改築したりして、何十年も何百年もの前の建物に住み続けている。それだけ頑強に作られているのだろう。日本の住宅は、ローンを払い終わったら寿命がくるような安普請が多いし、コンクリート製でも商業ビルなどはすぐに建て直す。住宅文化がまったく違うのだろう。

爺さんが案内してくれる建物や部屋は、半分は本当の納屋なのだが、日本のそれと違って、堅牢で大きく、歴史を感じさせるのだ。むかし、パリの農家の屋根裏部屋から、伊能忠敬の本物の地図が出て来たことがあったが、そんなものが出て来てもおかしくない雰囲気がある。

そして、それらの建物を囲む広大な牧草地が、日本人の私にはすてきに見える。やたらに密集繁茂する日本の雑木林や森と違って、ヨーロッパは基本的に草原と林なのだ。近くには池もあって、ボート遊びもできる。田園というコトバがイメージさせる風景とピッタリの景色が広がっている。

そして驚いたことに、経営者の爺さんは、今でも農場をやっている。しかも、牛や馬の世話、ニワトリの世話を、妻も娘もやっている。スタジオ経営と並行して、農場経営・農場作業もやり続けているのだ。そのギャップに、してやられたような、笑ってしまうしかないような、愉快な爽快感がある。

この映画の監督は1970年生まれの女性ドキュメンタリー映像作家だそうだ。女性だからだろうか、彼ら家族の生活も、一瞬一瞬のカットで、きちんと見せてくれる。実写だけでなく、イラストを用いたアニメーションも挿入され、それが独自のリズムと味を加えている。

農場とロックの間にあるこのギャップは何なのか? 大金が行き交うロックビジネスの匂いが全くしないのだ。エレキの香り、エレクトリックな印象を全く受けないのだ。香ってくるのは、家畜の匂い、糞の匂い、藁の匂いだ。そしてそれがとっても懐かしい。

私が子供の頃、1960年代の東北のことだが、近所のいくつかの農家には、牛や馬がいた。かつて農耕の使役に従事し、その頃には引退していた牛馬だ。かなり高齢で、母屋の脇にある小屋から出てくることはなかったが、匂いは伝わって来た。そういえば、道路っぱたには馬糞も転がっていた。馬が通っていたのだろうか? 前後の記憶はないが、馬糞が転がっていたのは憶えている。そもそも舗装道路なんかあまりなかった頃だ。そういう記憶が湧き上がってきて、懐かしい気持ちに揺さぶられた。

このドキュメンタリーの舞台になっている「ロックフィールド」は、イギリスで最初に出来た宿泊可能な滞在型の録音スタジオだそうだ。ロンドンから200キロくらい離れたところにある。滞在型というのは、要するにバンド・メンバーやスタッフが宿泊=合宿しながら、録音=アルバム制作をするということだ。それまでのイギリスのスタジオは、アーチストはホテルか自宅から通って録音していたのだそうだ。ここ「ロックフィールド」は長期滞在ができるので、時間に追われることなく、セッションをしながら、曲を作り、録音することが可能だった。周囲にはなにもない農村なので、作品作りに集中出来る理想的な環境だったらしい。

元々は広い農場で、昔から豚や牛や馬が数多く飼われていた。日本で言うところの畜産農家だ。跡取りの兄弟は、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」にかぶれて、兄弟でエレキギターのバンドを始めた。そして、自分達の録音した曲を、なんとテープレコーダーごと持っていって、EMIにきかせに行く。ジョージ・マーティンが相手をしてくれたそうだ。しかし、曲は没になる。そこで兄弟は、バンドをやることを諦めて、録音する裏方になることを決意する。農場の建物の一部を改造し、録音機材を買い込んでスタジオにしたのだ。肥料袋を壁に貼って防音材にしたりと、工夫をこらした。それが60年代の末のことだ。

跡を継いで専業農家になるのを拒んだ割りに、ちゃんと農場もやっている。その辺りの事情は、よくわからない

当初は地元ウェールズのバンドが録音する地方のスタジオだった。70年代に入ってロンドンからミュージシャンがやってくるようになる。「ブラックサバス」や「ホークウィンド」といったバンドが使用し、そのレコードがヒットして、「ロックフィールド・スタジオ」は徐々に有名になってゆく。大音響ロックの録音ならこのスタジオと言われ大人気のスタジオになる。

大きな建物がいくつもあるので、空き部屋や豚小屋が改造されて、スタジオの規模も拡大した。同時期に複数のバンドが別々のスタジオを使用していることもあり、そんな時には気晴らしに隣のスタジオにコーラスで参加するなんて特別出演もあった。

70年代中期には、前にも書いたがクィーンが「ボヘミアン・ラプソディ」が入ったアルバム『オペラ座の夜』を録音したり、プログレバンドのラッシュが使用したりした。79年にはイギー・ポップがアルバム『ソルジャー』の録音のために滞在し、一晩だけ助っ人に呼ばれたデヴィッド・ボウイが加わっている。その際、別のスタジオにいたのがシンプルマインズで、ソルジャーの1曲にコーラスでゲスト参加している。

80年代のニューウェイブがブームとなった時期は、不遇をかこったが、ロバート・プラントがソロキャリアをスタートさせたアルバム『11時の肖像』をここで録音している。90年代のブリットポップ全盛の頃にはまた頻繁に利用されるようになり、「ロックフィールド」も隆盛をほこった。ストーンローゼスなどは1年半くらい滞在して録音したという。この時期は、オアシス、シャータランズ、マニック・ストリート・プリーチャーズなどが次々と名盤を録音している。2000年代に入るとコールドプレイくらいしか、私の知っているバンドは出てこない。といっても、私はコールドプレイにはなんの興味もないし、ほぼ聴いたことがない。

その後、パソコンで録音することが一般的になり、自宅で別々に録ったデータをメールでやりとりして合成して曲を作るようになったりと、大きなスタジオは必要なくなっているらしい。いくつものスタジオが閉鎖されてゆく。「ロックフィールド」も規模を縮小しているようだ。

それでもここで録音するアーチストが今でもいて、女性バンド、アーチストが使用している風景が、現在の「ロックフィールド」の風景として映しだされていた。

映画の最後の方で、トラクターを運転する爺さんと、馬の世話をする娘とニワトリに餌をやる妻のシーンが挿入される。彼らはどう見ても、フツーのお百姓さんで、スタジオ経営に携わっているようには見えない。ところが彼らがいなかったら、ブリティッシュロックの歴史は、今のようになってはいないのだ。ブリティッシュロックの歴史が違っていたら、現在の世界中の音楽も違っていることになる。それを考えると、貢献度の高い一家なのだ。この一家が持っている大雑把さが、まぎれもなくロックの幅を広げたのだ。そのことの痛快感と共に、妙な幸せを感じさせてくれる映画だった。


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