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『かもしかの執念』

noteを書きはじめて、もう半年が経つ。

noteで「現代アートやってます」と言い続けておきながら、自分の作品についての記事を書いてなかった。

「海老八光の作品」というマガジンも立ち上げたのに。

これは、いけない。

ということで、今回は私がはじめて作った作品について書こうと思う。

作品紹介

私が初めて作ったのは、『かもしかの執念』という作品。

『かもしかの執念#1』
『かもしかの執念#2』

真っ白なキャンパスを、ヒノキの葉っぱで埋め尽くした作品である。

ヒノキは家の周辺で採取した。
つまり、正真正銘、ホンモノのヒノキの葉っぱだ

これを見たら、花粉症の人はぎょっとするかもしれない。

実は、私も小さい頃から花粉症に悩まされている。

制作中はずっとマスクをしていたが、鼻がむず痒くてたまらなかった。
(大変でした…)

そんな私がなぜ、「ヒノキの葉をキャンパスに隙間無く貼り付ける」という狂気じみたことをしたのか?

これは、一昨年、名古屋市から岐阜県恵那市飯地町へ、活動の拠点を移したことから始まる。

スギ・ヒノキの数が半端ねえ

岐阜県恵那市飯地町は、標高約600メートルに位置する高原に位置する。

山の上に住んでいるようなもので、家の周辺は森に囲まれている。

自然豊かな場所だ。

一昨年まで、自分が田舎に住むことになるとは思ってもいなかった。

故郷は一応田舎だが、港町だったため、
山生活はほんとうに馴染みがない。

それでも、緑豊かで空気が綺麗なところに来れたのは嬉しかった。

飯地高原自然テント村の展望台から見えた景色

家からでれば、自然豊かな景色が広がっている。
飯地町での生活のおかげで、心身ともに元気になった。

しかし、唯一、田舎に住んでいてしんどい季節がある。

それが、春。スギやヒノキの花粉が吹き荒れるときだ。

家の周りは、スギ・ヒノキに包囲されている。

去年はこれまでにないほど花粉症がひどく、たまらず病院にかけこんだ。

ほとんどヒノキ…

ただ、スギやヒノキの花粉そのものが悪いわけではない。
花粉が汚れていることや、食生活によってアレルギー症状がでるのだとか。

それにしても、山にはスギ・ヒノキが多すぎるんだよ!

見渡す限り、スギやヒノキでいっぱい。
狂気じみた本数だ。

木が密集しすぎているせいか、枯れたスギ・ヒノキがそこら中にある。

家の周辺にも、いくつか倒れそうな木があった。
普通に危ない。

山がスギ・ヒノキだらけになったワケ

しかし、戦前の山は、今のようにスギやヒノキは乱立していなかったらしい。

スギやヒノキといった針葉樹を植えるようになったのは、
1950年頃、高度経済成長期あたりから。

急成長する経済にともなって、木材需要が増えたことで、成長の早いスギ・ヒノキが各地で植えられた。

そして、1980年代のバブル経済の時代には、木材の価格はピークに達する。

ところが、社会の成長が早すぎた。

1960年代後半の都市への人口集中にともなって、1970年代から洋風の戸建住宅が増えた。

これによって、日本は最適な木材の大量生産に追いつけず、
一方で、人工的に加工した海外の木材が重宝されるようになった。

木造家屋が減り、
木造の電柱もなくなったうえに、
木材の価格もさがった。

「将来も子孫がくっていけるように」

そう願って各地で植えられたスギやヒノキは、成長したときには予想していたような市場価値が見込めなかったせいか、

きちんと管理されることなく、山に放置されてしまった。

その結果、今のスギやヒノキが乱立する山ができたそうだ。

周辺の森。もともと棚田だったらしい。

人里に降りてくる動物たち

山にスギやヒノキが乱立したことで、山の植生は大きく変わってしまった。

かつては雑木林が多く、多様な生物が森に生息していた。

しかし、戦後は雑木林を切って広大な人工林を作ったことで、
生物多様性が失われてしまったのだ。

そのせいか、近年、イノシシ、サル、熊やニホンカモシカといった動物たちが、人里におりてくるようになった。

家にやってきた野ウサギ

飯地町でも、イノシシとニホンカモシカに農作物を食べられるという被害が相次いでいる。

飯地町の方の話によると、ひと昔前は、柵がなくても、畑や田んぼが動物に荒らされることはなかったという。

山の植生が変わってしまい、彼らの食べ物がなくなったのかもしれない。

イノシシがタケノコを食った跡

我が家にも、イノシシとニホンカモシカがやってきている。

イノシシは一度も姿を見たことがないが、
ニホンカモシカは家の敷地内で顔を合わせることが多い。

一昨年の秋から、入れ替わり立ち替わり、ニホンカモシカが食事をしにくるようになった。

なかには、何度も来てくれて、お互い顔なじみになっているカモシカもいる。

すっかり顔なじみの「かも吉」

私たちは農作物を育てているわけではないので、彼らが敷地内に入ってきたところで困ることはない。

しかし、農業をやっているひとは大変だ。

手塩にかけて育てた農作物をたべられたら、たまったものじゃないだろう。

「特別天然記念物」として保護対象になっているニホンカモシカだが、
こうした被害をうけて、近い未来、飯地町でも狩猟が解禁になるのではないか、という話を聞いた。

え?狩猟解禁?

とはいえ、ニホンカモシカが人里を降りてくる一因をつくったのは、「人」である。

高度経済成長期は、急速に変化する社会に合わせなくてはいけなかったのかもしれない。

しかし、山は、日本列島における資源そのもの。

よかれと思って、雑木林を切って人工林を作りまくった結果、
私たちに恵みを与えてくれていた山は変貌し、動物たちの食物までなくなってしまった。

今の山も綺麗だけどね…

ヒノキの葉を食べるニホンカモシカ

因果なものだな…

と思っていたら、去年の冬、ニホンカモシカがヒノキの葉っぱを食べているところを目撃した。

真冬にヒノキを食べにきた「かも吾郎」

冬になり、雪が積もってしまうと、ニホンカモシカたちは地面に生えている草を食べれなくなる。

そこで、冬でも雪に隠れることもなく、枯れ落ちることのないヒノキの葉っぱを食べていた。

確かに、冬になると葉が落ちる広葉樹とは違い、
針葉樹であるヒノキは、冬でも葉が青々としげっている。

雪をかぶるヒノキたち

食べ物の確保が難しい冬に、しかたなくヒノキの葉を食べているのかな?

と最初はおもっていたが、どうやら違うらしい。

春になり、雪が溶けたにもかかわらず、
ニホンカモシカが家の庭に侵入して、わざわざヒノキの葉を食べに来ていた。

どうやら、冬だから仕方なくヒノキの葉を食べていたのではなく、好きで食べているらしい。

ヒノキを食べる「かも吉」

ニホンカモシカは植物しか食べないが、季節によってたくさんの種類の植物を堪能する。

私は何度もカモシカの食事風景を見ているが、
口がとどくところにある葉なら、なんでも食べている。

柿の葉を食べに来た「かも吉」

雪で地面が覆われる時期になると、木の皮や小枝を食べることがあるらしい。

木の皮とか、小枝とか、消化できんの?

と思っていたが、ニホンカモシカは消化吸収できるらしい。


ニホンカモシカは胃袋が4つに分かれている。

一度たべたものを第一胃に蓄えておいて、休んだとき、口に戻してかみ直す。

これを、「反すう」という。

消化能力が高く、「反すう」をしながら木の皮や小枝を消化吸収することができる。

反すうをしているニホンカモシカの子供

彼らはしぶとい。

生き残るために、食えるものは食う。

もちろん、カモシカたちは、

なぜヒノキが大量に植えられ、
山の植生を変え、
彼らの食べ物や住処をうばったか、

については知るよしもない。


それでも、彼らはそんな因果な植物だって、バリバリ食べて生き残っている。

カモシカたちが人里におりる原因を作り、
花粉症持ちの私を脅かす植物を、
かまわず爆食いするニホンカモシカの姿……

ここで感じたことを作品にしてみたいと思い、
『かもしかの執念』ができあがった。

タイトルの由来

もう一度ご覧いただこう
『かもしかの執念#2』

人の勝手と、ニホンカモシカの生存戦略

これらが交差して作品ができた。

"山中を針葉樹だらけにした"人の狂気と、

"真っ白のキャンパスをヒノキの葉で隙間無く埋めつくす"という私の狂気

この二つの狂気もシンクロしている。

そして、急速に変化する社会を生き残るため、
"人"が"人のために"造林した植物を食いながら、
人知れず生きのびるニホンカモシカたち。

これらの要素を『カモシカの執念』というタイトルに集約した。

制作中の新たな発見

『かもしかの執念』を制作したことによって、私は生まれて初めてヒノキをじっくり見た。

今までは、「ヒノキの花粉が風に吹かれて、ぶちまけられている映像」を見て、
「うへぇ~」と言ってたくらい。

よくよく考えたら、ヒノキをちゃんと自分の目で観察したことがなかったのだ。


作品を制作するに当たって、ヒノキの葉っぱを採集しているとき、
生まれて初めて、まともにヒノキと対峙した。

「あれ?意外と面白い形をしているな」

ヒノキの葉っぱは、少し変わった造形をしている。

小さな鎖のようなものが連なって、葉を構成しているのだ。

分かりますかね?

制作をしているときは、鎖みたいな部分をプツッと切り離していた。

これなら、ニホンカモシカの口でも、簡単に葉が引きちぎれる。
どうりで彼らが好むはずだ。

そのわりに、葉は肉厚で、丈夫。

簡単にしおれない。

よく見ると、葉の先にいくにしたがって、色のグラデーションができている。

このグラデーションが意外にも綺麗だった。

どうやってグラデーションができるかは分からないが、
色んなヒノキの葉を観察していると、
陽のあたりかたによって色が違うことが分かった。

これは日当たりが良い場所に生えているヒノキの葉

また、ヒノキの葉は枯れると鮮やかな赤茶色になる。

これがまた、いい色合いなのだ。

長年花粉症に悩まされていたこともあって、
ヒノキは「私の鼻の粘膜を脅かす、忌まわしき植物だ!」と思っていた。

ところが、よく観察すると、
「綺麗な植物なのかも?」と印象が変わっていった。

だからこそ、私は生のヒノキを扱うことにこだわった。

押し花にしたものではなく、そのままヒノキを使いたかった。

なぜなら、素材そのものに魅力があるからだ。

貼り付けたヒノキは、樹脂で上からパックした。

パックしているとはいえ、生のままキャンパスに貼り付けたため、
微妙に色が変わってきているはずだ。

葉が枯れていくさまも楽しめるのが、この作品の隠れた醍醐味だ。

特に端っこの色が変わってきた

ヒノキという植物に、良いイメージをもっている人はあまりいないだろう。

ヒノキが大量に植えられた背景や、
それによってもたらした数々の諸問題…


ヒノキそのものに罪はないが、
なんとなく「嫌な」イメージをもつのは無理もないと思う。

だからこそ、生のヒノキを貼り付けた作品を見て、
じっくりヒノキの葉を観察して欲しいと思った。

よく見たら、新しい発見があるかもしれない。


記事を読んでくださって、ありがとうございます。

今回は作品のそのものの紹介をしましたが、
制作中の苦労話をかいた記事もあるので、
興味のあるかたは読んでくださると嬉しいです。























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