国境を越えられるか、時代を超えられるか
バリ島での違和感
バリ島から帰ってきてから、とても色々なことを考えさせられる。
私はもともと海外に興味がなかったが、
先月、現代アート作家の師匠とともに、生まれて初めてバリ島に行った。
遊びでいったわけではなく、あくまで仕事として行ったわけだが、
すごく良い国で、ご飯も美味しく、ひとも良くて、なんだかんだ楽しかった。
その一方で、違和感を禁じ得なかった場面もある。
それは、バリ島の情勢が悪くなっているということだ。
現地のかたに聞くと、コロナパンデミックを機に、観光客がごっそりと減ったという。
特に、日本人はコロナパンデミックを機に、ぱったりと見かけなくなったらしい。
私たちがバリ島にいったときは、たまたま雨期でオフシーズンではあったが、
それにしても、日本人を全く見なかった。
少しずつ人が増えてきているらしいが、現地の方からすれば、もとの観光客の数に比べたら、ものすごく減ったという。
そして、客層が変わったせいで、お店にお金を落としてくれる観光客がへり、どこも商売あがったりだとか。
確かに、観光客が来ているように見えて、実際は苦しいんだなと思う場面がたくさんあった。
宿の周辺にあるお店に入っても、自分たち以外にお客さんがいなかったことが多々あった。
少し足を伸ばして観光地にいっても、「お金を落としていってくれないと困る」といったようすで、
何度もショップに案内された。
バリ島では物価が上がっているのに、給料が上がらないらしく、
師匠のご友人は、お子さんたちを海外に出稼ぎにいかせている。
経済状況が苦しいのは、日本だけではないということだ。
今や、世界全体が苦しいのだ。
国境をこえる師匠の作品
しかし、前向きな発見もあった。
現地での師匠の作品に対するウケが、非常に良かったのだ。
バリ島では、日本のように言葉がスムーズに通じない。
そして、文化も違う、価値観も違う。
そんな人たちとコミュニケーションをとっていかないといけない。
バリ島は観光地ということもあって、英語で話せば、なんとかコミュニケーションはとれた。
しかし、師匠は言う。
「どこまでいっても、現地のひとからすれば、外から来たひとは"お客さん"だからね」
ここでいう"お客さん"とは、「お金を落としていってほしい人」という意味だ。
特に、バリ島は、観光業が盛んな場所。
観光業は、お金のある"お客さん"がターゲットだ。
まして、あたり前に、自分が「よそ者」「お客さん」と思われるなかで、対等に仕事をしようと思うと、なかなかハードだ。
そんななか、師匠は会う人会う人に話しかけて、自分の作品を見せていた。
すると、みんな驚いた。
「これ、あなたの作品なの!?」
「すごい!」
すると、一気に場が和むのだ。
しかも、師匠は英語が全然話せない。
店員さんと会話がすれちがっていることがよくある。
しかし、師匠がアート作品を見せると、一気に会話が弾むのだ。
弟子の私がいうことではないけれど、確かに、師匠の作品はすばらしい。
師匠が30年かけて開発した「ホログラムズコラージュ」という技法の作品を見せると、みんなびっくりする。
見たことがないからだ。
また、現地にお住まいの、日本人の資産家のかたも、師匠の作品を見て驚いていた。
資産家は、良いものから悪いものまで、ありとあらゆる人や物に出会ってきたひとだ。
そんな方でさえ、師匠の作品をみると、驚く。
しかし、師匠は作品を見せただけだ。
そのとき、師匠は細かい説明はしない。
にもかかわらず、師匠が人生をかけて作った作品は、多くのことを物語る。
私は、ようやく気がついた。
ずばらしい創作物は、言葉の壁も、文化の壁も越えることができるのだと。
師匠がなぜ、30年もかけて、ホログラムズコラージュを開発したのか。
シビアな世界でも勝負できるよう、完成度を上げる必要があったのだろう。
そして、師匠はホログラムズコラージュが「国境を超える」だけでなく、
「時代も超えて」いけるよう、策を練っている。
「自分が死んでも、ホログラムズコラージュという技法が、世界中のひとに受け継がれていってほしい。」
その言葉の意味が、バリ島に行って、ようやく分かってきた。
国境を越えていけるか、
時代を越えていけるか
私はもともと、海外に興味がなかったこともあり、
バリ島にいくまでは、日本国内レベルでしか物事を考えていなかった。
しかし、残念ながら、日本の市場は確実に縮小していく。
人口そのものが減少していくからだ。
だから、自分がアート活動を末永く続けていきたいと考えたときに、
日本国内でしか通用しないスケールで考えていては、確実に、詰む。
縮小する市場を前提にしている時点で、
設計が間違っているからだ。
そして、国境を越えるだけでも、足りない。
「時代」も超えていかなければいけない。
「時代を超える」とは、師匠でいうと、師匠が死んでも「ホログラムズコラージュ」が受け継がれていくことだ。
特に、「次世代」にきちんと受け入れられるかどうか。
これは、とても重要な基準になる。
まず、ホログラムズコラージュが「次世代」に受け継がれていけば、
師匠が死んでもホログラムズコラージュが広がり、発展していく可能性がある。
ただ、今の「次世代」、つまり、今の20代以下のひとたちは、
これまでの若者とは毛色が違う。
現実主義で、厳しいジャッジを即座に下す。
少なくとも、私からみると、自分の世代以下の方たちには、そのようなイメージがある。
おそらく、スマートフォンの普及のおかげだろう。
今の若い人には、「興味のあることを自分で調べて、自分でやりたいことを進めていく」という習慣がある。
さらに、ネットのコンテンツも、ここ数年で、一気にクオリティが上がった。
今の若者は、おびただしい数のハイクオリティなコンテンツのなかから、
自分にとって必要な情報を瞬時に見分け、選ぶことができる。
そのジャッジは、厳しく、現実的で、フェア。
だから、20代以下のひとが注目することは、今後も伸びていく可能性がある。
逆に、若いひとが見向きもしないのであれば、未来は危うい。
やりかたを考え直す必要があるだろう。
やること盛りだくさん
だから、バリ島に帰ってからは、何事において「国境」と「時代」を超えて広がっていけるのかどうか、という観点から考えるようになってきた。
これから、世界全体が苦しくなるから、いろいろな話がとびかうと思う。
儲け話や投資といった、新たなビジネスの話もたくさん出てくるはずだ。
いろんな人が、いろんな意見を言うだろう。
そのたびに、「この人の話は、「国境」と「時代」を超えても通用することなのか?」という観点から、判断していきたい。
私はまだまだ世間からみたら「若者」だが、
私にも、時間はあるようで、ない。
自分のアートも「国境」と「時代」をこえていけるよう、
限られた資源のなかで、試行錯誤をしていくしほかない。
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