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応仁の乱~ブレブレ将軍足利義政(下)~

応仁の乱 (https://note.mu/hakkeyoi1600/n/nea0ea273cfa9)
スピンオフ第1弾!

足利義政の続きです。
足利義政(上) (https://note.mu/hakkeyoi1600/n/n0859aba1562d

それでは行ってみましょう!

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 ケース2は、弟の足利義視(あしかがよしみ)の場合です。

 あの、「東軍の総大将だったのに、西軍の総大将に寝返る」ってウルトラC決め込んだ彼。

 どんな背景があったのでしょうか。

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 彼はもともと家の都合で出家させられていたんです。
 
 それがある日、将軍になったお兄ちゃんの足利義政に、
 「還俗して次の将軍になって!」
 と無茶振りされます。

 子供ができなかったからって理由なんですけど、だいたい「子供がいなかったから後継ぎに他の身内を指名した直後に起こること」ってのは相場が決まっておりましてな。

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 折良く(悪く?)義政に男の子ができちゃうわけですね。
 ※後の9代将軍義尚(よしひさ)

 すると義視に強烈なアゲインストが吹きまくるわけなんですが、義政は折衷案として、義尚が政治ができる歳になるまでの中継ぎ将軍になってほしい、と依頼します。

 まあ断る理由もないですわな。還俗しちゃったし。

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 で、ここに義政の側近が絡んで事をややこしくするんですよ。
 伊勢貞親(いせさだちか)って有能な経済官僚を抱えていたんですが、彼は義政に義視を殺すようそそのかします。
 貞親は、義尚の乳父(めのと:養育係)でもあったので、義視が将軍を継ぐことには反対でした。
 
 しかし、この暗殺計画はいけません。
 義政がなぜ信じたというレベルのデマなんですが、義視からすればたまったものではありません。
 義視は山名宗全(やまなそうぜん)細川勝元(ほそかわかつもと)に助けを求めます。

 ※実はこの時、細川勝元チーム、山名宗全チーム、伊勢貞親チームによるせめぎあいがありました。細川チームと山名チームと義政の間はしっくり来ておらず、将軍側近の伊勢貞親チームの独走状態だったのですが、この事を受けて一気に風向きが変わるのです。

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 細川勝元と山名宗全の共闘体制が出来上がり、足利義視を将軍にしたて政務を行う、暫定政権を立ち上げる始末。
 これを受け足利義政も大慌てで、義視に害意がないことを誓う声明を出しました。

 みっともなぁ~

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 そして、伊勢貞親をはじめとする伊勢氏を追放処分にして、義政自身は事なきを得ました。
 これを文正の政変と言います。
 
 なんだか歴史っぽいですね。

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 結果的に義政は、自分の右腕を切り落としたも同然の状態となったので、一気に政治へのやる気をなくします。

 自業自得とはいえ、いつも極端な御仁なんです。

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 そこから少し時間を飛ばして、応仁の乱が勃発したころの話に行きます。

 畠山家の家督争いに手出しをしないよう口出ししたけど、山名宗全にガン無視されたアレの後の話です。

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 義政は義視を、東軍(細川勝元チーム)の総大将に任命しました。
 これで、西軍(山名宗全チーム)は賊軍になるって寸法です。

 義視自身も山名宗全討伐に積極的だったとか。

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 それもそのはず。
 この討伐が上手くいけば、一気に有力な将軍候補として名乗りを上げることができるからです。
 中継ぎ将軍に留まらないぞ
 って鼻息の粗さをぷんぷん感じます。

 でも、義尚くん(義政の子供)を抱える皆さんはそんな振る舞いを見てどう思いますかねぇ。

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 まぁ良い顔をしませんわな。

 もともと関係も良好だった、日野富子(ひのとみこ:義政の奥さん,義尚くんの母)さんの一族敵に回してしまったようで、一気に東軍で孤立してしまいました。
 
 義視はあえなく失脚して、東軍総大将なのに自邸に帰り、伊勢まで逃げ出しました
 なにやってんだか。

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 またまた少し話を飛ばしまして。
 応仁の乱も実は東軍と西軍の和睦ができそうになりかけることがあったようで、その話を。

 終戦に向けた講和の話をする際には、利害関係者を集める必要があります。
 この時義政は、伊勢にいた義視にも声掛けしています。

 使えなかったとはいえ、東軍総大将っちゃあ東軍総大将でしたから。

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 ここで義視は義政に要求をします。
 「いつの間にか復帰してた、自分を暗殺しようとした奴らを排除してくれ」って要求です。
 
 義視の立場からすればよく分かるんですよ。
 自分のこと暗殺しようとするほど嫌いな奴と同じ場所には普通いられません。

 でも、義政は分かってなかった。
 彼からすれば優秀なブレーンを追っ払えってことですから。

 義政は義視に腹を立てました。

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 で、伊勢貞親を排除するどころか復帰させるわけですよ。この将軍は。

 やってしまった感がぷんぷんするぞ。

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 で、案の定義視も身の危険を感じて京都を脱走するんですよ。
 
 何この予定調和。

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 で、ここで前回のハイライトと繋がるわけですよ。

 義政に愛想つかせた足利義視が比叡山にいるって情報をキャッチした山名宗全が、義視とコンタクトをとった結果…

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 こうなるわけです。
 義政の東幕府に対して、義視の西幕府の出来上がり。

 もう義政は西軍との講和なんてできなくなりました
 こんな事態になって、義視を許せるわけないじゃないですか。

 義視を追い詰めたのは誰だって話なんですけど。

 東軍総大将が西軍に寝返るプロセスってのは、こんな具合だったわけなんですね。

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 で、応仁の乱は辞めたくても辞められない戦争になっちまったってわけです。

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 まぁ足利義視さんの言い分はこんな感じですね。

中継ぎ将軍の立場で合意していたはずなのに、「雑な暗殺計画」にのる
自分を取り立てる公の場に、暗殺を企てたやつも一緒にいる。
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 この
いい加減でブレブレな義政のやり方!

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 あかんと思います。

 まぁあんたも東軍総大将になった時、張り切りすぎたのは良くなかったと思うよ。

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 というわけで、2つ目の教訓はこちら。

 「相手の立場を潰さない」こと!

 義政の立場があるように、義視にも立場がありました。
 
 義政は、義視を還俗させてまで将軍の後継者になるよう依頼しました。
 その後に子供ができてしまったのはしょうがないことで、息子が継ぐまで義視に将軍になってもらう合意をとるところまでは良かったと思います。(だからこそ、その分を外れた義視の張り切りぶりは敵を作ってしまったわけです)

 ただ、その後の雑すぎる暗殺計画に乗って、義視との間に隙間風を吹かせてしまったこと。
 義視を取り立てる場で、義視暗殺計画を企てたやつも一緒に取り立てては、義視の立場というものがありません。

 その点は義政の取り返しのつかない失敗だったのではないかと思うわけでございます。

 さて、足利義政の話は以上です。
 次は何の話を書こうか。
 こうご期待ください!

参考文献
応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 呉座勇一 中公新書
新説応仁の乱 宝島社


参加される皆さんの好きを表現し、解き放つ、「プレゼンサークル」を主宰しています! https://note.com/hakkeyoi1600/circle ご興味のある方はお気軽にどうぞ!