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DMM TVの『大脱出』を観て感じたこと──ぼーっとした時間に漠然と思いつくことは潜在意識のレベルで重要なことかもしれない

 今週はお盆休みということもあり、偶然にもDMM TVの番組である『大脱出』のシーズン1およびシーズン2を一気に観ていました。本番組は様々な場所に閉じ込められた芸人たちが、あらゆる仕掛けを攻略して脱出する過程に見応えがあります。

 芸人のクロちゃんはどちらのシーズンにおいても出演し、頭以外が砂の中に埋められて身動きがとれない状態から番組が始まります。クロちゃんは例外として、芸人チームAはクイズを攻略することで脱出、芸人チームBはクレーンゲームを攻略することで脱出、芸人チームCはドミノを完成することで脱出、芸人チームDはサイコロのゾロ目を揃えることで攻略、芸人チームEは道具を取得することで攻略、芸人チームFはお菓子の家を食べることで攻略できるなどの指示が番組の冒頭で与えられ、悪戦苦闘しながらも芸人たちが協力し合って脱出を目指します。

 ぼーっとしながらこの番組を観て漠然と思いついたことに、「私たちの社会においても『大脱出』が必要なのではないか」ということがあります。私たちの普段の生活では大脱出に意識が向かないよう巧妙に設計されていますが、恐らく私たちの社会は何者かによって操作されているわけです。本記事ではその者を超科学的に神だと述べたいのではなく、何世紀にも渡って気付かれないように私たちを檻の中に閉じ込めている存在のことを指しています。

 つまり、何者(以下、彼ら)かによって私たちは自由に生きていると錯覚させられているだけで、実は彼らの都合が良い範囲で生かされているだけなのではないかということです。『大脱出』では芸人たちが閉じ込められた場所から脱出することを把握した状態で番組が始まるので、悪戦苦闘しながらも脱出を試みるわけです。私たちは一方、檻の中に閉じ込められていることすら認識せずに人生が始まるので、それを認識できなければ脱出という概念すら思いつかずに一生を終えることになります。

 私たち人間は想像力によって、自身の目で確認していないのにも関わらず、本当は存在しないものを存在しているかのように錯覚してしまう習性があるようです。この習性によって文明が発達した側面はあるものの、同時に彼らによってこの習性を悪用されているのではないでしょうか。

 例えば「良い大学を出て良い会社に就職すれば自由な人生を謳歌できる」かのような喧伝ないしは洗脳がありますが、彼らはこのような喧伝を私たちに刷り込むことによって、私たちが飼い慣らされている社会から脱出することをゆめゆめ考えられないように仕向けているのです。断言しますが、彼らの親族ではない私たちが良い大学を出て良い会社に就職した程度で自由な人生は謳歌できません(これは私や私の友知人が生き証人になれます)。彼らは一方、良い大学や良い会社かどうかの如何に問わず、生まれた時点で自由な人生を謳歌できることが約束されているのです。

 当然ながら良い大学を出て良い会社に就職すること自体は否定しませんし、むしろ若いうちにそれだけでは自由な人生を謳歌できない無情さを痛感できるならば、必ずしも悪いことばかりではありません。しかし大脱出をしなければ彼らの奴隷ないしは家畜のような扱いを受け続けることになるため、彼らの魔の手から大脱出を試みる必要があるわけですが、大学や会社はあくまでそれを検討する手段を得るための場所に過ぎません。

 番組では芸人たちが大脱出をするにあたり、それぞれの場所で指示が与えられますが、この指示は「良い大学を出て良い会社に就職」という喧伝に類似しています。番組のネタバレにならないように記述すると「〇〇をして脱出せよ」という指示があるならば、〇〇は手段であり脱出が本質になります。当然ながら番組なので、〇〇を無視して如何なる手段を行使してでも脱出できればよいというわけではないのですが、ある芸人チームは〇〇をすることに固執し過ぎてしまい脱出に難儀してしまいます。時間の経過と伴にこのチームでは、異なる方法で〇〇を達成できることに気が付き無事に脱出するに至りますが、〇〇は「良い大学」あるいは「良い会社」という手段と同様なのです。

 ジョージ・オーウェル著の『1984年』では思考の自由すらも認められないディストピアが残酷に描かれていますが、私たち一人一人が大脱出をしなければ、この小説のような社会に成りかねないのです。番組では芸人たちが協力し合って大脱出を成し遂げますが、私たちも彼らの魔の手から大脱出をする時が到来したのです。

 先日に『1984年』を読んだことで自由を侵害する対象に対して激しく嫌悪感を抱く自己を再認識し、潜在意識のレベルにまでこの嫌悪感が到達したがゆえ、娯楽番組として見応えのある『大脱出』をぼーっと観ながらも本記事で述べた点を漠然と考えるに至ったのではないかと考えます。

 

 


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