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日本人が有名人を神格化することについて思うこと

 ある日こんなツイートを見た。

 「イーロンマスクがこう言っている。日本は沈むと」ということだった。まあ、どう考えても日本はこれから落ちぶれるだろう。目に見えている。でも、問題は次にある。そのリプラン(所謂、返信欄である。)にこんな事が書いてあった。「イーロン、流石だね。」や「こんなこと言ってくれて、有難い。」などだ。

 これを見て、少し疑問に思った。この人たちは有難がっている。有難りすぎて、信者の様になっているのではないのかと気になった。日本人は無神論者がとても多い。まあ、僕も無神論者なのだけれど。多い代わりに、あることで宗教のような事が出来る。それは、有名になることだ。有名人のもとについているファンという、信者たちは優良な人々が多くいる。でも、その反面、熱狂的なファンというか、狂信者たちがいっぱい存在するのだ。ストーカーになり、犯罪に手を染める事もある。これは怖い事だが、事実として、事件としてある。まあ、滅多に見ないが。これは宗教によく似ている。少し世界史を学んだら、この熱狂的なファンたちが何かをやらかすなど、歴史の一ページによく載っている。

 日本は昔、宗教が有った。

 それは、ある意味一神教であり、祖先、先祖を信仰することに他ならない事だった。そう、日本独特の天皇の考え方である。天皇は日本では神の御子であった。御子というか祖先だが。でも、戦争に負け、宗教や考えかたを一新することになる。それからというもの、古事記の様なものも、あまり教育のところで見かけなくなった。でも、その先祖を大切にするという文化は無くなったりしなかった。でも、尊敬という概念が大きな割合で社会を埋めていった。

 それは一気に変化し、尊敬ではなく崇敬へと変化することがあった。それは、この有名人についているファンにもいえることだ。

 日本人は尊敬するが、それもしながら信仰もする。少しだけ崇拝しちゃうのだ。イーロンマスクがすべて正しいわけではない。その意見も理解し、受け入れ、参考にして、じゃあどうすればいいかと考えることが大切なのだ。信仰の様に盲目的に信じたり、凄いといって褒めるだけでは、衰退の道をたどるのが目に見えている。本質をみられていないからだ。

 参考にするのは大事である。本質を見抜く為にも、知識や見解は必要だからだ。でも、過度な信頼、信仰、崇拝は変化し狂気を生む。その狂気は僕たちを呑み込んでいくだろう。その点には気づ付けないといけない。そう思う。

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