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もしもこの頭上に落とされた物が、ミサイルではなく本やノートであったなら。

いつもはこのようにエッセイめいた記事は書いても公開しないのですが、米中の緊張関係が高まる中、原爆に少し縁がある身として、平和について久しぶりに思いを馳せたため記します。

2020年8月9日、本日、長崎に原爆が落とされて75年が経ちました。

私の出身校である杉並区立高井戸中学校は、当校のシンボルとして「アンネのバラ」という花を掲げています。

校門から校舎にズラッと並ぶそのバラは、季節ごとにピンク、オレンジ、黄色と次々に色が変化するため、一年を通して飽きない大変美しいものです。

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(写真:高井戸中学校 アンネのバラより)

もともとは、1970年代に当時の高井戸中学校の生徒たちが「アンネの日記」を読み、アンネ・フランクの父、オットー・フランクに感想文を送って、そのお返しとして彼からアンネの形見としてもらった3株ほどのバラでした。

何十年にも渡り有志の手で育て上げられたそのバラは、今では200株以上になっています。

このバラを「平和の象徴」として他の中学校にも届けようという動きが出始め、2004年に高井戸中学校の中で正式に「アンネのバラ委員会」という、保護者・教師・有志・生徒横断の、生徒会に属さない特別委員会が校内で発足されました。

私は当時入学したての中学1年生でしたが、話の流れで初代委員長を務めることに。

そのまま卒業するまで3年間、委員長として「平和に関する活動」と「バラの栽培活動」を並行しておこないました。 

その活動の一環で「他校や団体へアンネのバラを寄贈する」という活動があり、僕の代では同じ杉並区立の中学校から、果ては国境を超えて韓国にまでバラを届けました。

そして、寄贈先のひとつであった広島市の中学校との交流の際に、私たち委員会は原爆について深く深く学ぶことになります。

実際に被爆者の方の声をきいたり、資料館から当時の悲惨な状況をリアルに感じとったりする中で、私が個人的にもっとも印象深く脳裏に刻み込まれたのは、歌でした。

それが「原爆を許すまじ」と「ねがい」です。
ひとつずつご紹介します。


原爆を許すまじ

ふるさとの街やかれ
身よりの骨うめし焼土に
今は白い花咲く
ああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を
われらの街に
(「原爆を許すまじ」より1番抜粋)

「三度許すまじ」というのは、一度目が広島、二度目が長崎のことですね。

歌詞だけでも目の前に惨劇がまじまじと映るように、原爆の恐ろしさ、おぞましさを直接的に描写しています。

歌を聴いていただいてもわかりますが、一貫して心底暗く、絶望と憤怒がそのまま音になったような歌です。

歌詞からも曲からも救いが一切感じられないこの歌をきいた瞬間、戦争を経験したことのない私でも、心から戦争なんて御免であると中学生ながら感じたものです。


ねがい

もしもこの頭上に落とされた物が
ミサイルではなく本やノートであったなら
無知や偏見からときはなたれて
君は戦う事をやめるだろう

もしもこの地上に響きあうものが
爆音ではなく歌の調べであったなら
恐怖や憎しみに囚われないで
人は自由の歌をうたうだろう

もしもこの足下に植えられたものが
地雷ではなく小麦の種であったなら
飢えや争いに苦しまないで
共に分かち合って暮らすだろう

(「ねがい」より1〜3番抜粋)

この歌は原爆のことを歌ったものではなく、広島市の中学生有志が、9.11のテロの衝撃を経て作詞したものです。

歌詞だけをみると少し暗い印象がありますが、一方で曲調はどこか聖なる響きや救いが感じられる長調ですね。

反戦の歌なので不謹慎かもしれませんが、メタファーやモチーフの使い方もうまく、素敵な曲だと感じてしまいます。

また、もともと4番までしかない歌ですが、のちに「みんなで5番以降を作ろう」という企画が進められ、世界中から応募が殺到し、現在は2000番以上つくられているというのも大変ユニークです。(下記リンク先にすべて掲載されています)


私はどちらの歌とも、今でも1〜4番すべて空で歌えるほど脳裏に刻まれていますが、なぜそんなに印象的だったかというと、ふたつの歌とも同じ反戦をテーマにした歌なのに、そのアプローチが対照的であったからです。

「原爆を許すまじ」が絶望だとしたら、この「ねがい」はその名の通り希望なのです。

毎年8月6日・9日・15日はこのふたつの歌、絶望と希望が私の脳裏を駆け巡ります。

そうすると、悲しみでもなく、怒りでもなく、不思議と純粋な感情で、ただひたすら自分ごと化できない世界という莫大な対象に、どうかできるだけ平和であれと祈らざるをえません。

高校を卒業して以降、平和のための具体的な活動をやめてしまった私は、これから世界平和というものに対してどのような形で貢献していけるのかまだ分かりませんが、私自身魅せられたITとデザインによって、世の中を一歩でも便利にするため奔走することを「やめない」ことから始めようと思います。

平和を訴えることを「やめない」ことが平和への近道であることを、中学生の私でも知っているから。

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