見出し画像

【掌編】木の根もとを掘る犬

 緑の葉が密になって生い茂る一本の大きな木が、ゆるやかな風に揺られながら立っている。犬はそびえ立つ木の近くにとまり、その根もとをじっと見つめている。雑種の小型犬で、白と茶の入り混じったふわふわとした体毛で全身を覆われている。犬は普段、人に飼われているようで、毛は刈り揃えられ、小奇麗な身なりをしている。しかし首輪は着けておらず、周りに飼い主らしき人の姿はない。
 犬は木の根もとを掘り始める。一心不乱に穴を掘り続けていく犬の姿を、伸び上がる太い木は静かに見下ろしている。
 やがて犬は、自身の体と同じほどの大きさの穴を掘り終える。はあはあと息を切らしながら、自分が木の根もとに掘り終えた穴を満足げに見つめている。

A
 犬は木の根もとに掘った穴を見つめ続けていたが、意を決すると、その中に勢いよく飛び込んでいく。犬が穴の中にすっかり入ってしまい見えなくなると、すぐに木の根が伸びてきて、穴をふさいで埋めてしまう。
 風がぴたりとやみ、辺り一面に張り詰めた静けさが広がる。
 急に木の内部から光が生じ、根、幹、枝、葉といった木の全体が一瞬、強い光を放ち、一帯をまぶしく照らし出す。
 光はすぐにしぼんで消える。あとには前と変わらないように、大きな木が静かにそびえ立っている。

B
 犬が木の根もとに掘った穴を見つめていると、穴の中から急に、穴を掘った犬と、顔も体もそっくりな犬が顔を出してくる。そっくりな犬は穴から出てくると、穴を掘った犬と追いかけっこを始める。同じ見た目をした二匹の犬は互いのしっぽを追いかけて、ぐるぐると木の周りを回り続ける。
 やがて疲れてきて回転が止まると、そこには一匹の犬だけがいる。犬は、はあはあと息を吐きながら周囲を見回す。いつの間にか風はやんでいて、辺りに動くものの姿はない。木の根もとを見ると、穴はすでに木の根によってふさがれている。
 犬は息が落ち着くと、木に背を向けて走り去っていく。

C
 犬は木の根もとに掘った穴をもっとよく見ようと穴に近づく。穴に顔を入れると、犬はそのまま穴の中に落ちていってしまう。風がやみ、辺りはそのまま静かになる。
 しばらくすると、飼い主が犬を探しにやってくる。飼い主が木の根もとにある穴に気がつくと、中から犬がひょっと顔を出す。飼い主は犬を穴から引っぱり出してやり、腕に抱き上げる。
 飼い主は犬の抱き心地に何か違和感のようなものを感じる。よく犬を観察してみるが、犬は以前と変わらないようにしか見えない。犬は飼い主を黒く沈んだ瞳でじっと見つめている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?