2023年3月19日 快晴の高野山へ その3 金剛峯寺~歩いて一の橋へ
さて、久しぶりに高野山の記事です。
3月19日、noteで仲良くしていただいている「うりぼうさん」と、高野山に行ってきました。
これまでの記事は、こちらのマガジンに収納してあります。
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まず、高野山の壇上伽藍を歩いた私とうりぼうさんは、蛇腹道を通り、金剛峯寺へと向かいました。
壇上伽藍から金剛峯寺までは、徒歩5分とかかりません。
蛇腹道を歩くと、すぐに到着します。
立派な山門です。
提灯に描かれた「紋」は、五三の桐、そして三つ巴です。
五三の桐は、豊臣家の紋。
三つ巴は、丹生都比売神社の紋です。
豊臣秀吉は、高野山に多額の寄進を納めました。
丹生都比売神社は、高野山の地主神です。
金剛峯寺は、たくさんの参拝者・観光客が訪れます。
境内には、外国人の姿もちらほら。
受付で拝観料(大人1人1,000円)を納め…ずに、私は「参与会会員証」を提示しました。
参与会会員は、本人と同行1名までが、山内有料施設を無料で拝観することができます。
ちなみに年会費は1万円。
(そろそろ更新の時期)
金剛峯寺の庭園は、枯山水です。
砂利の筋目が、美しい。
板張りの廊下は、歩くと「キュッ」と鳴ります。
廊下を進むと、客殿である「新別殿」にたどり着きます。
こちらでは、お茶をいただくことができます。
ちなみにこの日は、「梵字・悉曇《しったん》」の書が展示されていました。
梵字悉曇とは、サンスクリットの文字です。
御朱印の墨書にも、時々梵字が書かれますが…
この日見た梵字・悉曇は、どの作品も見事でした。
圧倒されました。
新別殿からの庭園。
新別殿からは、広大な「蟠龍庭」をのぞむことができます。
雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されているんだとか。
ちなみに、昭和59年(1984年)、弘法大師御入定・1150年御遠忌大法会の際に造園されました。
別角度から。
本当に広いです。
2,340平方メートルの石庭は、国内で最大級なんだそうです。
さて、ふたたび廊下を歩きます。
金剛峯寺は、各部屋の襖絵も見事なのですが、そちらは撮影禁止となっています。
中庭。
こちらは小さな庭ながら、風情がありました。
この後、台所を見学して、再び玄関へと戻りました。
金剛峯寺の寺内の様子は、こちらをご参考ください。
さて、次に向かうのは奥の院です。
金剛峯寺からバスがあれば…と思ったのですが、次のバスは13分後。
「歩こうか」
ということになりました。
高野山内、歩いても知れています。
ふと足元を見ると、フキノトウが生えていました。
そこは野草好きのうりぼうさんと、私。
「フキノトウだ!!」
と、テンションがさらに上がり…
二人して、フキノトウを撮りまくりました。
さらに…
「ああ、これも良いですよね…」
と、二人で撮ったのがこちら。
立ち枯れのアジサイと、青空。
この日は本当にいいお天気で、青空がきれいでした。
そうこうしているうちに、時刻はお昼時。
山内の食堂「丸万」さんにお邪魔しました。
肉うどんをいただきました。
観光地でありながら、1000円もしませんでした。
良心的。
さて満腹になり…
ふたたび、山内を歩きます。
ごまどうふは、高野山の名産です。
あちこちに、ごまどうふのお店があります。
道端で見つけたオオイヌノフグリ。
小さい花なので、なかなかピントが合わず…
「がんばれ、ピント!」
と言いながら撮りました(笑)
のちに、「がんばれ、ピント!」を連発することになります。
「高野槙」の看板も、よく見かけます。
高野槙は、仏前にお供えするものです。
すがすがしい、いい香りがします。
「高野まき」と書かれた看板も多いです。
夫を初めて高野山に連れて行ったとき…
「高野まきって、どんな食べ物なん?」
と聞かれ、私は唖然としました。
どうやら「高野巻き」という、巻き寿司系の食べ物を想像したんだそうです。
今ではいい笑い話です。
丸万から、徒歩15分ほどで、一の橋に到着しました。
そして、一の橋付近で、またもや発見。
「めしべがフワフワ♡」
と、うりぼうさんの目がハートになっていました。
フキノトウ、私は写真で見たことはありましたが…
実物を見るのは、これが初めてでした。
ちょっと新鮮。
一の橋付近。
紅葉の頃は、とてもきれいです。
一の橋到着。
ここから奥の院まで、約2キロメートルを歩きます。
一の橋の手水舎です。
馬酔木の花は、まだつぼみでした。
続きます!
まだしばらく続きます!
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