映画レビュー(25)「ミーガン」

暴走する自我


 先日、カズオ・イシグロの「クララとお日さま」を読んだので、併せてこちらの映画も観た。
 「クララ~」の方は、子どもの親友として作られたAIロボットの一人称視点で、プライマリ・ユーザーとなる少女とその家族との生活を丹念に描いている。そして大人になってAIの友達が必要なくなったユーザーとクララの静かな別れなどが、しっとりと描かれた傑作であった。

 一方、「ミーガン」は子供の守り人となる身長120センチの少女型ロボットである。高い学習能力でユーザーの少女ケイディの気持ちを読み、彼女を危険から守るために殺人もいとわないほど暴走していくホラーである。
 何よりミーガンは学習の果てに「自我」を持ち始めるのだ。

 この二作の関係で思い出したのが、ジュール・ヴェルヌの「二年間の休暇」(十五少年漂流記)とゴールディングの「蠅の王」である。どちらも少年たちが無人島でサバイバルする物語だが、「知恵と友情で生き抜く」前者に比べて、後者は「不信と疑念から互いに争い自滅する」という陰陽裏表の二作なのだ。

 AIの融通が利かない愚直さが、不器用な誠実さのメタファになっている「クララ」に対し、「ミーガン」はユーザーの少女と一緒に自我に目覚めていくアイデンティティのメタファになっている。

 実に面白い作品だった。「クララとお日さま」を読んでいたからこそでもある。ただ、「クララ~」を読んでいるときに、テレビの予告編でよく見たミーガンの顔が私の脳内でクララの顔になっていたのには苦笑いだ。
 でも、ミーガン、美少女ではある。だからこそ怖いのだ。

(追記 2023/09/24)
クライマックスの怒涛の戦いに「エイリアン2」へのオマージュが出てきますので、注目してください(笑)

この記事が参加している募集

#映画感想文

67,103件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?