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「二つの中国」を渡った話

小三通ルート

世界が今ほどきな臭くなかった頃の話。
ここは2018年9月、中華人民共和国福建省の厦門(アモイ)だ。

現在、「初めて台湾に行く」という人間の99.9%は、入国する際には台北の台北桃園国際空港に降り立つのではないかと思う。
そうでなくても、台北松山空港とか、少なくとも台湾本土に降り立つのが当たり前だと思う。
だが、私はちょっとマイナーというかマニアックなルートを知ってしまい、実際に渡航することにした。

今から目指すのは、台湾の離島・金門島だ。
台湾といっても、中国本土との距離は10キロ程度で、何なら台湾本土のほうがはるかに遠い。
この金門島を中継地点として、中国大陸と台湾を行き来するルートを「小三通」というのだそうだ。
大陸から金門まではフェリー、金門から台湾本土までは飛行機を使うルートが一般的だ。

個人的には中国本土と台湾を結んでいるらしいフェリー(これも定期なのか不定期なのか、終了したものなのかは不明)に乗ってみたかったのだが、情報がなかった。

そんなわけで、中国語も喋れないのに「二つの中国」の間を渡る。今回は金門島を経由して、台湾南部の台南へ向かう。

厦門市街地で拾ったタクシーは、運転手がなぜかハイテンションだった。お互いに共通言語がない中で、よくやったなと思う。

ちなみに、厦門では日本円を中国元に替えるのに苦労して全く観光ができなかった。

いざ金門へ

フェリーターミナル

タクシーで20分くらい?だろうか。大きめのターミナルが見えた。

チケットを購入、中国を出国する。
夕方5時台だったが、ほぼ最終便に近かった。

フェリーと言っても車が入るようなものではなく、スピードが出るタイプの中型船。船は港を出るとスピードを上げた。
傾いた陽が船内に射し込んでくる。水しぶきをオレンジ色に染めていた。

船は「新東方」?というらしい

20分くらいであっという間に台湾に。中国ではVPNがないと使えなかった、グーグル系のアプリなんかがWi-fiだけで使えるようになった。

台湾入国

入国審査を済ませ、本格的に入国。とはいえ、全然旅をした感じがしない。

さて、台湾に入ったので、さっき替えたばかりの中国元を台湾ドルに替えねばならない。
ところが、ターミナル内の両替屋は時間が遅かったこともあり、全てクローズ。完全に詰んだ…。
いまは紙屑でしかない中国元を手に途方に暮れていると、どこからかお姉さんがやってきた。

「あなた、中国から渡ってきたんでしょ。私今から中国に行くんだけどお金両替してくれない?」。
そういうと、スマホの電卓でカチャカチャ計算し、「これでどう?」と。
どうやら、通常のレートよりは良いらしい。

両通貨に馴染みがなかった私にとっては、何のことやらという感じだが、まあ今日明日過ごせるだけの台湾ドルが手に入るのであればなんだっていい。
ありがとうお姉さん。

だが、こんなのはこれから始まる「詰み」に比べれば何でもなかったのであった。

この時はまだ夕陽きれいじゃんくらいにしか思ってなかったんだよな。

金門市街地への長旅

さて、このフェリーターミナルは島の西端の水頭という場所に位置する。
今日の宿は市街地の金城というエリア。
地図で見ると、目測で2キロくらいか。

「歩けるな」。
当時の私はそんな判断をしたのか、今となっては理解しかねる。
市街地行きとみられるバスを見送ると、東へと歩き出したのだった。

歩き出してしばらくすると、ここが「島」であることを思い出した。起伏が激しいのは当然だろう。

この「2キロ」の間にどれほどの丘があり、そしてカーブがあったことか。
だんだん暗くなっていく空と、強くなる後悔。
あの時、バスに乗ってれば…

ただ、歩いてて楽しかったのは、こういう伝統家屋をいくつも見かけたことだった。
なんとなく、高校の修学旅行で行った沖縄のことを思い出していた。
瓦の雰囲気なんかがよく似ている。

街に近づくと、寺院?のような施設が暗闇の中に現れた。
なんだか「キョンシー」にでも出てきそうな雰囲気である。

そんなこんなで、1時間ぐらい歩いただろうか。
普通の日本人であれば台湾の離島の一本道を歩く経験なんてしないだろうから、まあこれも話のタネにでもなろうとのんきに考えていたのだった。

宿がない?!

宿の予約サイトに示された場所にたどり着いた。
…のだが、それらしき建物は見当たらない。
「あれれ」と思ってうろうろしていると...。

ワン!
犬の鳴き声がした。
暗闇からその声と同じくらいのデカさの犬が、目の前に現れたのだった。

番犬だろうか。
最大の問題は、彼が鎖らしきものに一切つながれていないことだった。

犬に背中を向けて逃げてはいけないと聞いたことがある。
私は、なぜか「オーケー、オーケー、ノープロブレム」と言いながら後ろ向きに進んでいった。

唸りながら迫り来る犬。見当たらない宿。詰んだ...。

それから数分の、静かなる”死闘”の末、なんとか犬は撒けた。

問題は宿がない事だ。こんなデカい犬がうろついているところで野宿なんかしたくない。
位置情報をもとにうろうろする。

その住所にあるのは、どう見ても一般家庭だ。
網戸の隙間から覗き込むと、4人ぐらいの家族がテレビを見ながら団らんしていた。もう、途方に暮れるしかなかった。

そんなとき、近所の人と思われる若者が歩いてきた。
「この宿、住所がここになってるんだけど、知ってる?」と尋ねた。

彼らはいろいろ考えた末、そこのオーナーと見られる人に電話を繋いでくれた。

数分後にオーナーだというオバちゃんが赤い車に乗ってやってきた。
乗せられ、そこから1、2分もしないところが今回の宿だった。
彼女は英語が全くできない雰囲気であったが、こう言いたかった。
正しい住所載せてくれよ、と。

オバちゃんはそのあと、「飯を買ってこい」と街中のセブンイレブンまで連れて行ってくれた。

逆方向の彼

宿に着くと、デカいドミトリーの部屋に私のほか、1人の青年がいた。
聞くと彼は、台湾人だが仕事の関係で中国に住んでいる。今回は台湾への帰省が終わり、中国に帰る途中だという。

つまり、私と全く逆のルートだということだ。こんな出会いができるのも、小三通ならではといえるだろう。

それから私たちはいろいろ話をした。

これまで日本人と話すことはあまりなかったらしいが、日本のことをよく知っていた。
日本も中華圏も、同じ文字を使っているので意味はわかるよね、とか。
「でも違うのもあるよ」と私。「中国語でAirportは機場っていうけど、日本語だと空港(AirとPort)って言うんだ」と説明すると、「なるほど!」と驚きながらも納得したようだった。

英語で会話していたが、近い言語と近い文化で暮らしてきただけあって、欧米人よりもはるかに話しやすかった。
同時に、同じ東アジアにも関わらずわざわざ英語を使わなければならないことに、少しだけもどかしさというか寂しさも感じた。

隣の国なのだから、少しくらい言葉を知っていればよかった。何なら、義務教育のカリキュラムに入れてほしいくらいだ。

台湾のこともいろいろ教えてもらったし、日本のこともいろいろ話した。日本のプロ野球が人気らしい。あと、AV女優も。
笑い合い、さっき出会ったばかりとは思えないくらいいろいろ話して、気づいたら夜が更けていた。

いざ台湾本土へ

朝、昨日まわれなかった分少し市街地を散歩しようということで、一人でうろついた。

犬もいないし、起伏のある一本道もない、よく晴れた朝の金門島は素敵な場所であった。
湿気があって、どこかスローな空気が流れるアジアの離島という感じ。

街を一回りしたら、宿に戻ってタクシーを呼んだ。
昨晩語り合った彼とも、ここでお別れだ。

なんか小さい地方空港って感じ

台南行きの飛行機はプロペラ機だった。
空港や機内での案内に英語はなく、地元のバスにでも乗っているような感覚だ。

小さな機体がゆらゆらと飛び立つ。眼下にはエメラルド色の海が見える。
私の隣に座った紳士が、英語で話しかけてきた。
「日本人ですか?」。
聞くと、かつて彼は仕事で台湾と日本を往復していたらしい。
「昔は日本語話せたんですけどね」という。
いろんな日系メーカーと付き合いがあったとか、そういう話を聞いていたら、約1時間のフライトはあっという間に終わってしまった。

「良い旅を!」
彼は台南空港の到着口の人混みに消えていった。

私も、タクシーで台南市内に向かった。
これにて小三通の旅はおしまい。
世にも奇妙な、金門から入国する「初台湾」の全てである。

これからどうなる

今回訪れた金門島は、かつて国共内戦時代に「金門島の戦い」が行われた場所である。蒋介石率いる中華民国軍が防衛したことで、台湾領となっている。

昨今、台湾を巡る中国の動向が注視されている。中国としては、台湾も同国領土だというスタンスは変えておらず現在の「二つの中国」状態を解消したい狙いもある。

昨年のロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに、世界が一線を越えてしまった。軍事侵攻という極めて野蛮な手段で現状を変えようとすることを、大国が実行してしまったのだ。

中国が軍事行動を起こすのであれば、まず金門島に被害が及ぶであろうということは想像に難くない。
そして、この小三通というルートが、いかにこの中台間の”絶妙な平和”により維持されてきたのか、というのは改めて思い起こされるわけだ。

中華人民共和国が、”自国内”への移動のために出国のスタンプを押して、”中華民国”(台湾)が入国のスタンプを押す。よく考えたら、中国のスタンスには合わないのではないか。

そんな絶妙なバランスの上に成り立つルート、小三通。
「台湾有事」が杞憂で終わることを祈りたい。

旅に平和は不可欠なのだ。


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