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【小説】天才だった頃の私たち【ストーリーコンテスト最終選考作】

 こんばんは。灰澄です。

 ここしばらくは本当に仕事が忙しく、何にも、なんッッッにもできず。
 youtubeに朗読動画を上げられるはずだったんですが、謎の編集ミスにより作業が一からやり直しに……などということがありました。
 といった中で、以前応募していた小説賞の投稿作をこちらに掲載しようと思います。掲載許可は確認済みです。引き続き、小説執筆も頑張ります。

 スマホゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ!」の制作会社として有名な株式会社Colorful Palette様主催の小説公募、ストーリーコンテストの結果が発表されました。残念ながら、受賞には至りませんでしたが、最終選考作に選抜して頂きました。

 「青春」をテーマにした短編です。それでは、以下本編です。


           ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 

 「部活程度の」なんて言い回しがあるけれど、文芸部の季刊誌に収録されていたその短編小説は、世界をひっくり返すような衝撃で私の心を揺さぶった。志望校の文化祭巡りをしていた十五歳の私は、二つしか年齢の違わない少女が書いた小説に、青春時代をまるごと飲み込まれてしまった。

 人よりも少し多く本を読んでいて、学校や塾の中ではちょっと自慢できる程度に国語の成績が良かった私は、ちっぽけな世界の相対評価を根拠に文学少女を気取っていた。

 私よりも小説や作家に詳しい人は周りにいなかったし、私よりも上手く文章を書ける人も、身近には知らなかった。だから、誰だって一度は妄想するように、いつか自分の得意なことで「特別」になれるんじゃないかという、楽観的な期待を抱いていた。

 そんな私が、第二志望だった高校の文化祭で、文芸部の季刊誌を手にしたときに、「どれちょっと見せてごらんよ」と言わんばかりの、慢心じみた評価の目を向けていたのは、今にして思えば、ありきたりな挫折の第一歩だったのだ。

 国語のテストの記述問題はいつもスラスラと書けたし、読書感想文が地域のコンクールで表彰されて、地元新聞に載ったこともある。小説を書いたことはなかったけれど、受験が終わったら腰を据えて執筆して、高校生作家になってやるんだ、なんてことを密かに目論んでいた。だから、「部活程度の」小説に、目が釘付けになるなんて、信じられなかった。

 書き出しから、おや、と思って、一行読み進めるごとに、あれ、これは、と肝が冷えていくのを感じた。一つの文章が、一言の言い回しが、とてもじゃないけれど、素人のそれではなかった。

 ページをめくるごとに、文字がひとりでに浮き出てきているかのような流麗さで描写される情景や、奇抜さや極端さに頼ることなく、ごく自然な言葉で語られる主人公の心理の生々しさは、私の心を痛いくらいに掴んで離さなかった。

 それは、主人公の少女が、夢を追う友達の背中を押しながらも、一歩ずつ前進していくその眩しさに目を背けたくなって、そんな自分の小ささを嫌悪する、という物語だった。

 思い返してみると、なんて皮肉な内容だ、と苦笑したくなる。

 私は、文芸部の部室で、長机に並べられていた季刊誌を手に取ったまま、その場で短編を読み切った。読了した瞬間に、映画館から出てきたように文化際の喧騒がよみがえった。時間にして、十分もなかったはずだけど、それくらい、物語に没頭していたのだ。

 呆然と立ち尽くす私に、机越しの椅子に座っていた女子生徒が、「その話、好きですか?」と静かに声をかけた。気が動転していた私は直ぐに言葉が出てこなくて、なんとかひねり出すように、「はい」とだけ答えた。

 すると、その女子生徒は「文芸部で、待ってます」と言って微笑んだ。

 それが、青葉先輩との初めての会話で、初めて読んだ青葉先輩の小説だった。

 私は結局、この日の邂逅に、今でもとらわれているのだ。

 電車がガタン、と揺れて、隣に立っていたサラリーマンに肩がぶつかった。

「すみません」

 私は音とも声ともつかない謝罪とともに、「大人らしい」曖昧な会釈をした。しかし、サラリーマンは片手で器用に広げた文庫本から、目も上げなかった。

 あの作家の新作だ、と気付く。私が新人賞を取り損なった年にデビューした、同世代の作家だ。この前の作品は、映画になっていた。

 もし、何かの間違いであの頃の私が商業作家デビューをしていても、きっと続かなかっただろうなと思う。小説を書けるということと、作家として食っていけるということは、日曜大工で本棚を作れるということと、建築士になれるということくらい違う。当時の私に、そこまでの覚悟があったとは思えない。

 繁華街の駅で、吐き出されるように電車から降りた私は、塾に向かう子供のように憂鬱で、告白の返事を聞きに行く学生のようにそわそわとしていた。

 今更、会って何を話せばいいのか。

 青葉先輩とは、私が二十歳になった年に会って以来だ。あれから五年間、連絡も取っていなかった。

 高校時代の青葉先輩は、窓辺の君、なんて古めかしい表現が似合ってしまうような、不思議な魅力をまとった人だった。肩まで伸ばしたサラサラの黒髪を緩く結んで、いつでも綺麗な言葉遣いだった。それでいて類稀な文才を持つ青葉先輩に私が憧れたのは、無理からぬことだ。

 文化祭の展示で、あの短編小説に撃ち抜かれた私は、志望校を変えた。そして、上級生が卒業して部員が青葉先輩だけになっていた文芸部に入って、小説を書いた。

 初めて書いた小説は、断片的な情景や会話を少し膨らませた程度のショートショートだった。素晴らしいアイデアに思えても、その前後を補完するうちに、月並みな物語になって、抜きん出た才能なんてものは備わっていないのだと、文学少女を気取る自分だからこそ、痛感せざるを得なかった。

 それでも、二人だけの文芸部で、本を読んで、語り合って、小説を書いて、お互いが書いたものを読みあったあの時代は、ひたすらに楽しかった。

 私は天才ではなかったけれど、全くだめというわけでもなかったと思う。

 初めての文化祭に出す季刊誌に載せた短編小説は、一部の本好きの生徒にはそれなりに評判が良くて、先生からも褒めてもらえた。でも、あの頃の私が何よりも気にしていたのは、青葉先輩の言葉だった。

 上手いとも、下手とも言われたことがない。私が恐る恐る原稿を渡すと、翌日には読み終えていて、読んでいるときに何を考えたか、読み終えたときにどんな感情が湧いたかを話してくれた。私は、青葉先輩が、自分の小説を細部まで真剣に読んでくれることが嬉しかった。

 その一方で、文章や表現や展開で唸らせたい、とも思っていた。語彙や表現の引き出しの豊かさに圧倒されて、こんなのは自分に書けないと血の気が引くような気持ちになるのは、いつも私の方だったから。

 私は、近くて、けれど指先をかすることも叶わないその背中に、追いつきたかった。

 青葉先輩は受験勉強の合間を縫って、長編小説を書いていた。定期で発行する文芸部の季刊誌用の原稿と並行して書いていたこともあって、卒業までにその原稿が完成することはなかったけれど、大学に進学してからも書き続けて、新人賞に出すのだと言っていた。

 青葉先輩が、そう遠くない将来に作家になるということは、自明のことに思えた。

「青春はね、謳歌している暇なんてないんだよ。青春は、挑むものだから」

 涼しい顔でそんなことを言った窓辺の君は、それでも「作家になる」と口にしたことがなかった。そのことが、酷くずるいことのように思えて、最後に会ったときの青葉先輩の言葉が、私は許せなかったのだ。

 駅から少し歩いた場所にあるビアバーで待ち合わせということになっている。多分、青葉先輩はもう店に入っているのだろう。あの人はいつだって、そうなのだ。私よりも一歩先で、大人びた余裕をまとっている。

 店に入る前に、大きく深呼吸をした。会いたいと、会いたくないが半分ずつせめぎ合っている。クリアファイルに入れた、紙束を意識して、バッグをぐっと握り直す。

 賑わう店内を見渡すと、隅の方に、背の高い丸テーブルでメニューを眺めているパンツスーツにショートヘアの女性が目に留まった。文学少女とは程遠い、キャリアウーマンといったその風体でも、仕草や雰囲気で青葉先輩だと分かる。

 喉が詰まって、声が出なかった。言いたいことは沢山あるはずなのに。

 その場に立ち尽くしていると、青葉先輩が顔を上げた。私に気付くと、ふっと微笑んで、手を振った。その表情に、高校時代がフラッシュバックする。

 席について対面すると、私はすっかり、青葉先輩に圧倒されっぱなしの高校時代に戻っていた。

「久しぶりだね」

「はい。髪、短くしたんですね」

「ああ……営業職であんまり長いと、目立つから」

 青葉先輩は気恥ずかしそうに髪を撫でた。その様子に、この人は「社会の中で生きているのだ」ということを実感してしまって、動揺した。どこか浮世離れしていた窓辺の君の神秘が、濃紺のビジネススーツに飲まれて消えてしまったようで。

「あなたは、今どんなことをしているの? 今日は仕事帰りだよね?」

「普通の、事務職ですよ」

 自分の仕事のことは、話題にしたくなかった。青葉先輩の仕事の話も聞きたくない。お互い勤め人で、もう「現実の住民」なのだということを、殊更に意識したくなかった。

 お互い、作家にはなれなかった。あの文化祭の日に始まったと思っていた物語は、ありふれた青春時代の思い出で、大人になってからアルコールなんかを飲みかわしながら語られてしまうようなつまらないものだったのだと、いつかは認めてしまうのだろうか。

 私と青葉先輩は、共通の知り合いの話とか、当たり障りのない近況報告をしながら、カクテルやらビールやらを煽った。

 こんなことを話すために、私たちは会ったのだろうか。

 私は、最後に青葉先輩と会った日のことを思い出していた。すると、自分でもびっくりするような唐突さで、言葉がこぼれた。

「先輩は、何で書くことをやめたんですか」

 急に世間話を遮られた青葉先輩は、数秒だけ黙って、言った。

「もう、興味が薄れちゃった。それだけだよ」

 あれは、私がお酒を飲める年齢になった年で、青葉先輩の就職が決まった年でもあった。あの日、私は青葉先輩がどんな小説を書き進めているのかを聞くつもりでいた。しかし、青葉先輩は、私が一番聞きたくなかった言葉を口にしたのだった。

「それ、最後に会ったときにも聞きました。でも、今でも信じられません。あれだけのものを書いていたのに。あの長編だって、初めての投稿で最終選考までいったじゃないですか。その後だってまた書くって言っていたのに、結局投稿したのはあれきりで。どうしてですか?」

 青葉先輩が就職を前にして、もう小説は書かないと言ったとき、私は涙を浮かべて非難した。私がどれだけ努力しても追いつけないようなものを書く人が、たった一回の挑戦を最後に、筆を置いてしまったことに動揺した。その理由を「興味が薄れた」なんて、見え透いた嘘で片付けたことに腹が立った。そして何より、私にその話をしたときの、諦観めいた落ち着きが許せなかった。

 今ならもっと冷静に話が聞けるはずだと思っていたのに、アルコールが回っているせいか、もう眼頭が熱くなっていた。

 青葉先輩は、しばらく私の目を見ていたけれど、やがて視線を逸らして、何杯目か分からないジントニックのグラスを傾けて中身を飲み干した。そして、俯いて、呟くように言った。

「あなたを前にすると、本当のことを話すのが怖かった。あなたは、真っ直ぐだから」

 それから、青葉先輩は、ポツリポツリと、花弁を千切っては落とすように話した。

 実は、文芸部に居た頃から新人賞に投稿していたこと。大学に入ってからも、私が知っているあの長編の他に何本も書いて投稿していたこと。就職が決まった頃に、一番力を入れて書いた小説が落選した知らせを受けたこと。そして、自分を憧れの目で見る私に失望されたくなくて、何度も選考に落ちていると言えなかったこと。

「落選する度に、やっぱり自分には無理なんだって落ち込んでた。それでも諦められなくてまた書くんだけど、上手くいかない。そんな私の小説を、あなたは褒めてくれるから、また少し自信を取り戻して、だけど、抜きん出たものなんて書けなくて。せめて、あなたが憧れる私でいたかった。そう思ったら、あんな言葉しか、出てこなかった。弱い自分を見せる勇気が、なかったの。ごめんなさい」

 私は、怒りなのか戸惑いなのか分からない感情で、ほとんど泣き出しそうになりながら聞いていたけれど、頭の隅の冷静な部分で、ああそうかと納得していた。

 青葉先輩は「弱い自分」と言ったけれど、私は、それでも追いつきたくて必死だった背中を見損なうような心境にはなれなくて、むしろ、逆のことを考えていた。この人の強さはここにあったのかと。

 当時の、物を知らなくて、世の中を単純にしか見られなかった私には分からなかった。こんな風に一人で抱え込んで、悩んで、悩み抜くほど、書くことに本気だった青葉先輩だったから、きっと私は憧れたのだ。窓辺の君の神秘の裏には、傷の痛みを、握った手のひらに隠すような、孤独な葛藤があったのだ。追いつけないわけだ。

 私は鼻をかんで、何杯目か分からないビールを飲み干してから、言った。

「私、先輩がもう書くのをやめたって言った後、新人賞に出したんです。本当はあの日、先輩に読んでもらいたくて、投稿前の原稿を持ってきていたけれど、渡す前にあの話になったので、そんな人に読んでもらわなくていいって意地になっちゃって。結局、賞は獲れませんでした。その後も、何度か出したけど、だめでした。段々熱意も冷めてきて、あんな風に先輩を責めたのに、最近まで、ほとんど何も書けていなかったんです。だけど、先輩から連絡が来て、会うことになって―」

 私は、バッグから、ファイルに挟んだ紙束を取り出した。書くことを投げだした青葉先輩が許せなくて、八つ当たりみたいに小説を書いて、それでも思うようなものは書けなくて、やがて机に向かう時間が減っていった。そんな中途半端で情けない自分の後ろめたさが辛くて、あるいは、あの時に聞けなかった青葉先輩の本音を知りたくて、でもきっと何より、自分が書いたものをまた読んでもらいたくて、七転八倒しながら、また小説を書いた。その原稿を、どうやって渡したらいいのか、分からなかった。

「―私は結局、青葉先輩に追いつきたいんです。でも、それ以上に、競い合いたいんです。だから、必死に書きました。先輩も、また書いて欲しいです」

 青葉先輩は、差し出した原稿を、黙ったまま丁寧に両手で受け取った。

「興味が薄れたなんて言葉、真に受けたことなんかありません。会おうって連絡をくれたのは、その話をするためだったんじゃないですか?」

 私が言うと、青葉先輩は、泣き出しそうな、それでいて笑いをこらえたような複雑な表情で、自分のバッグを漁りだした。そして、茶封筒を取り出して、私に差し出した。受け取ると、中にはA4サイズの紙束が入っていた。

「これって……」

「あなたは、真っ直ぐで、鋭い。そんなところが怖くて、油断ならなくて、一緒に居て楽しかった。結局、私もあなたみたいになりたかったの」

 私は、青葉先輩の小説原稿に目を落として、最初の一文に目を走らせた。すると、紙面に涙が零れて、慌てて目を拭った。

「あなたって、体育会系の文芸部だよね」

 微笑みながらそんなことを言う青葉先輩に、「私は文学少女ですよ」と抗議して、笑いあった。そして、二人ともグラスに手を伸ばして、どちらも空だと気付いて、また笑った。

 泣いて、転んで、倒れた姿は無様で、ふらふらと立ち上がる姿はもっとひどい。

 けれど、誰も、思うほど他人ことなんて見ていないから、逃げたことも、立ち向かったことも、自分だけが知っている。

 自分だけが、知っているのだ。

 青春は、さよならして終われるほど甘くない。

 私も、青葉先輩も、青春ってものから、逃げきれなかった。気が付いたら、路傍に捨てたはずの、砕けた夢を拾い上げている。そして、また「いつか」に向かっておずおずと歩き出してしまう。

 それって、全然格好良くないけれど、今更格好つける気も起きない分だけ、身軽になっている。やがて、また挑んでみたくなって、走り出す。

 天才だった頃の私たちは、もういない。

 それでも、青春は、何度も何度もやってきては、燻った火を呼び戻す。

 私たちは叫び出したいくらいの青春の真っ只中で、挑んでいる。それを謳歌する暇なんて、少しもないのだ。

                                  了


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