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【小説】魔女のお姉さん

 本作は、過去の小説公募で入選したものを加筆修正・改題したものです。


「魔女のお姉さん」 灰澄


 私の美容師さんは、魔女のお姉さんと呼ばれている。呼んでいるのは、私なんだけど。
 「私の」というのも、私が勝手に思っていることで、瀬戸真由美さんは、近所の美容院の店長だ。といっても、スタイリストは瀬戸さん一人しかいない。私が初めて瀬戸さんに髪を切ってもらったのは、十三歳の頃だから、もう十年は髪を任せていることになる。

 瀬戸さんを魔女のお姉さんと呼ぶ理由は、彼女が年齢不詳であることと、私がどんなに落ち込んで、やけくそな気持ちで髪を切りに行っても、瀬戸さんの手にかかると、美容院を出る頃には不思議と悪くない気持ちになってしまうからだ。

 私の髪は酷い癖っ毛で、どうしてお母さんのストレートヘアを受け継げなかったのかと、お父さんのくるくる天然パーマを恨んでいた。
 お母さんは、この癖っ毛を「お金をかけてそうする人もいるんだよ」なんて言うけれど、私は梅雨時の湿気でも乱れないようなサラサラストレートに憧れていた。子供の頃はうねる髪が嫌で嫌で、どうしても変な跳ね方が直らないときは、学校に行きたくないと駄々をこねたこともある。

 ある日、お母さんが近所に出来た新しい美容院のチラシを持ってきた。
 当時は、カリスマ美容師なんて言葉が流行り始めた頃だった。そのチラシに載っていた美容院の店内写真は、まさにオシャレな芸能人が通っていそうな都会的な雰囲気で、ここでカットしてもらったら、くるくるにうねった私の髪でも、格好良くしてもらえるような気がした。
 最新設備を謳っているわりには料金は安くて、お母さんも「初回割引もあるし、行ってみたら」とお金を出してくれた。

 初めてカット予約の電話をしたときは、これで毎朝の癖毛問題から開放されて、オシャレ髪デビュー出来るかもしれないという期待に、声が震えた。 
 
 当日、地図を見ながらお店に向かってみると、よく見知った通りに出て、思わず「え、ココ?」と声が出た。
 そこは、私が小学生の頃に歩いていた通学路の途中で、昔は豆腐屋さんだった場所だ。いつだかご主人が亡くなって、ずっと空き家になっていた。私は少しガッカリした。元豆腐屋の場所に出来た美容院なんて、全然イケてない。

 予約してしまった手前、帰ることも出来ずにドアを開けると、店内の備品はどれも真新しくて、チラシに載っていた通りの内装であることは違いなかった。しかし、建物自体の古さはどうにもならず、ボロい印象は隠せない。よほど上手いカメラマンに撮ってもらったのだなと思った。

 店に入っても人の気配が無くて、キョロキョロしていると、レジの裏から背の高い女性がぬっと現れた。
 ゆるゆるのニットとロングスカート姿に、エスニックテイストなアクセサリーを身に付けていて、何だか占い師みたいな格好だった。その女性がストレートの黒髪を肩まで垂らしているのを見て、私は「羨ましい」と思った。

「ご予約のお客様ですね」と言って、彼女はニッコリ笑った。「バッチリ可愛くしてあげるから、若い女の子の間でめちゃくちゃに流行らせてよ」

 それが、瀬戸さんとの出会いだった。

 一人っ子で親戚も少ない私にとって、年上のお姉さんというのは貴重な存在で、髪を切りに行く度、瀬戸さんに色んな話をした。学校のこと友達のこと。家のこと。好きな男の子のこと。

 瀬戸さんは私の髪を巧みに操りながら、話を聞いてくれた。ブラシや様々なハサミを持ち替えながら、くるくるうねる私の髪を切る様は、さながら手品のようだった。

 瀬戸さんは、私の話を聞きながら、時々、ハサミを片手に動きを止めて、長考に入る。そして、「それってさぁ……」と私の話に真剣な答えをくれるのだけど、その言葉はいつも、サービス業の人とは思えないほどあけすけなのだ。

 私が初めての彼氏と別れ話が出て悩んでいたときなどは、髪を切りながら「はぁ」とか「へぇ」とか相槌をうっていたかと思うと、手を止めてハサミを持ったまま「うーん……」と唸り、「面倒くさいよその男。さっさと切りなって」と言った。髪をスッキリさせた私は、気持ちもスッキリして、その日のうちに彼に「別れよう」と電話したのだった。

 家族と喧嘩したときも、受験のストレスで髪がガサガサに荒れたときも、瀬戸さんに髪を切ってもらうと、厄が落ちたみたいにスッキリした気持ちになって、来たときより軽い足取りで美容院を後に出来るのだった。
 それは、瀬戸さんが私の癖っ毛を上手い具合に操って、トリミングされていないプードルみたいな頭を、オシャレなパーマヘアにしてくれるからだけではない。私の心に節操なく生えた雑草を刈り取るような、瀬戸さんの率直な言葉が、私の心を軽くしてくれるのだ。

 瀬戸さんは、いつも「身綺麗にすると、気持ちもスッキリするでしょ」と話していた。そして、「せっかくなら、髪を切っている間も、楽しい気持ちでいて欲しいじゃない? 静かな方がいいってお客さんの場合はそうするけどさ、基本的に私自身が話好きなんだよね」と言って笑うのだった。
 私が、「瀬戸さんって魔女なの?」と冗談めかして言うと、彼女は「悪くないなー」と言って、またハサミを持ったまま長考に入っていた。

 大学生になった私は、一人の男の子を瀬戸さんのお店に連れて行った。

 彼は相田君といった。肩上くらいまで髪を伸ばしていて、いつも身体のラインが出ないような緩い服を着ていた。講義のときはいつも隅っこの方の席で、誰とも話さずそそくさといなくなってしまう。

 講義に遅刻してひっそりと教室に滑り込んだ日、彼に貰い損ねたレジュメを見せてもらったことをきっかけに、友達になった。

 ある日、私は相田君に「髪長いよね。どこまで伸ばすの?」と聞いてみた。それは何気ない一言のつもりだったけど、彼はバツが悪そうな顔をして、「やっぱり、変かな」と言った。

「え、変じゃないよ。そういうつもりで言ったんじゃないんだ。ただ、伸ばしたいのかなって思ったから」

「本当は、もっと伸ばしたいんだ。でも、そろそろおかしいかなって思っていて。でも美容院に行くと、その、思った通りにはしてもらえないっていうか……」

 相田君は長い髪を触りながら、悪い隠し事を告白するみたいに、小さな声で話してくれた。男っぽい髪型になるのが嫌で、髪を伸ばしているということ。美容院に行くと男性の長髪に合わせたカットをされてしまうけれど、女性用のヘアカタログを持っていくのは恥ずかしいということ。そして、「そもそも、僕がそういう髪型にしたって似合うわけないってことは、分かってるんだけどね」と自嘲するように笑った。

 私は、初めて瀬戸さんに会った日に「若い女の子の間でめちゃくちゃ流行らせてよ」と言われたことを思い出した。
 相田君の悩みは「若い女の子」の悩みだ、と思った。そして、瀬戸さんなら、彼の気持ちもスッキリさせてくれるような気がした。瀬戸さんは、魔女のお姉さんだから。

 私は、相田君に「オススメの美容院があるから、一度試してみない?」と言った。彼は「ずっと伸ばしっぱなしってわけにもいかないし……」と承諾してくれた。

 当日は、私も一緒に美容院に行った。瀬戸さんは椅子に座らせた相田君にエプロンをかけると、「どんな感じにしようか?」と言った。

 相田君は口ごもって言いにくそうにしていた。すると、瀬戸さんは、彼の長い髪を触って、「綺麗な髪だね。長さは活かしたい感じ?」と聞いた。相田君が頷くと、瀬戸さんはニッコリ笑って、「じゃあ、少し軽くして動きを出して、フェミニンな感じにしてみようか。似合うと思うんだけど、どうかな?」と言った。

 相田君は、ビックリしたような顔をして、「はい、その、出来ればそうしたいです。でも、僕が、つまり、男でそういうの、変じゃないですか?」と聞いた。

 瀬戸さんは「任せなって」と言って、エプロンからハサミを取り出した。「服、おしゃれだね」
 瀬戸さんが言った。相田君は、恥ずかしそうに俯きながら、小さな声で「ありがとうございます」と言った。
「誰でもね、好きな格好でオシャレするのが一番だよ」
 瀬戸さんは、相田君の長い髪にブラシをかけながら言った。すると、相田君は、ポツリ、ポツリと、話し始めた。

「僕は、本当はかわいい格好がしたいんです。そういう服を着る勇気は無いから、せめて髪だけでも。でも、似合わないし、せめて、男っぽさを意識しなくていいようにしたくて」
 瀬戸さんは、ハサミやブラシをくるくると操りながら、話し始めた。
「私が美容師になったのは、他人の髪をいじるのが好きだからっていうのもあるけど、一番は、人に喜ばれたいからなんだよ。鏡を見てさ、よし今日の私ったら良い感じだなって思えたら、嫌なことがあっても、少なくともその瞬間は幸せになっちゃうと思うんだよね」

 瀬戸さんは、「ちょっと昔話するね」と言って、話し始めた。それは、私も初めて聞く話だった。
「私のおばあちゃんは、私が中学生のときに死んじゃったんだけど、最期は病院で寝たきりで、お風呂も入れないような状態だったのね。元気なときは、凄くオシャレで格好いい人だったんだよ。若作りとかじゃなくてね。オーシャンズ8みたいな。知ってる? めちゃくちゃ格好良い女の人ばっかり出てくる映画。そんな人が、入院してからはいつも患者服だし、髪もバサバサになっちゃってね。それで、私が濡れたタオルで髪を拭いて、ドライヤーでブローしながらとかしてあげたの。今みたいに上手くはできなかったんだけどさ。それでも、おばあちゃんは凄く喜んでくれて、なかなかイケてるじなゃない、とか言うわけ。それから、おばあちゃんは私が来ると、今日も格好良くしてよって言うようになって、髪をとかしてあげると、顔色まで良くなるの。私は、人を綺麗にすることって、人の心まで動かすんだって思ってさ。美容学校に行こうって決めたわけ。人の心そのものを変えられるわけじゃないけど、自分イケてんなって思うと、やっぱりテンション上がるじゃん。誰でも綺麗になる権利があるし、キッカケさえあれば、自分のことをもっと好きになれると思うんだよね」

 瀬戸さんは、相田君の髪にハサミを入れながら、ワーッと話した。
 瀬戸さんの仕事のやり方は、彼女の動機をそのまま実践したものなんだと思った。

 相田君は、口をぐっと固く結びながら、瀬戸さんの話を聞いていた。

 あまり長さを切らなかったので、相田君のカットは、一時間弱くらいで終わった。瀬戸さんがドライヤーでセットを終えて、三面鏡を取り出し「どう?」と言うと、相田君は目をぱちくりさせながら、そっと自分の髪を触った。

 伸びっぱなしの重い長髪が、フワリとした毛先のウルフボブになっていた。長さはあまり変わっていないけれど、印象はずっと明るくなって、緩いシルエットの服と合わさって、相田君は中性的な色気すら纏っていた。

「君に似合う髪に出来たと思うんだけど、気に入った?」
 瀬戸さんが言うと、相田君は何度も頷いて、「魔法みたいです……」と呟いた。私も「凄く似合ってるよ」と心から言った。そして、瀬戸さんはやっぱり魔女のお姉さんなんだ、と思った。

 店を後にした相田君は、ソワソワとしていて、講義室の隅で小さくなっている姿とは全然違った。
 髪に手をやって、ガラスに映る自分の口元が緩んでいるのに気付いては恥ずかしそうに口を手で覆う相田君は、間違いなく、魔法にかけられていた。その様子を見て、私の心の中にも、キラキラしたソワソワが生まれてくる。

 瀬戸さんが言っていた、「人を綺麗にすること」と「キッカケさえあれば、自分のことをもっと好きになる」ということ。それが、瀬戸さんの魔法の正体なのだと思った。そして、魔法によって生まれるキラキラは連鎖する。瀬戸さんは、そういうことを仕事にしたのだ。

 私にも、そんな魔法が使えるだろうか。

 私は、相田君の髪を切る瀬戸さんの姿を思い出して、その背中に自分の姿をそっと重ねてみた。

                                 了

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