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日記の変遷



せっかく日記について記事を書いたので、私がこれまで書いてきた日記の変遷について紹介していこうと思う。



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上の写真が、私が書いてきた日記5年分だが、振り返ってみると、想像していたより何倍も書いていることに気づいた。正直、今自分自身ですごくビックリしている。想像してほしくないのだが、このノートのほぼ全てのページが文字が埋め尽くされるということだ。

あの紫式部も、紀貫之も、きっとこんなに書いていない。そう思うと、自信になるような、自己嫌悪になるような、不思議な気分になる。5年もやっていると、もうちょっとした歴史になっているのが、可笑しい。いつか有名になって、この日記の中のいくつかのエピソードを抜粋し、書籍化して荒稼ぎしようとしているのは、まだ秘密だ。馬鹿げた話だが、私は大真面目である。


そんな私の日記であるが、始まりはとても可愛らしいものだった。


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①黎明期

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いかにも、童貞の大学生の日記の書き出しで恥ずかしくてたまらないのだが、これが私の日記の原点である。正直ほとんど何も書いてないに等しい。そして毎日もいなかった。何か面白い出来事が起きた日のみ、小さな100均の手帳にチビチビ書いていた。

だが面白いのは、この消しカスくらいの断片の情報でも、あの時の思い出がふつふつと蘇ってくるのだ。


「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」


これは「千と千尋の神隠し」に出てくる銭婆の言葉だが、まさしくこういうことだと思う。さっきまで覚えているかどうかすら覚えていない思い出が、ふと蘇って来る感覚。ドラマなどでそんなシーンは多々あるが、それを体感したい時、日記はなかなかいい役割を果たしてくれるのではないだろうか。




②成長期

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これは書き始めてから一年くらい経ち、日記を書くことがほとんど習慣になってきた時期の日記だ。この頃から毎日、日記をつけるようになった気がする。2、3行で書き終わる日もあれば、2、3ページにわたって書くときもあり、決まったルールはなかった。

だが、毎晩決まって時間に一日を振り返って書いていたわけではない。時間がある日にまとめて何日分も書くのが、私の日記のスタイルだ。1週間貯めてしまうなんてザラで、何なら今も15日くらい貯めている。

こんなにも日を開けてしまうと、書く前に忘れてしまうので、私はよくケータイのメモにまず日記を書いていた。当時片道1時間半かけて大学に通っていたので、電車の時間という絶好のメモするチャンスが毎日あった。なので電車で座れずに寝れない時は、ほとんど日記をメモする時間だった。


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一度日記を他でメモしてから、紙に書き写すという行為のいい点は、より記憶に残りやすくなることだ。思い出を単純に二回なぞることになるので、思い出が鮮明になる。加えて、日記には書いてある内容だけでなく、付随する出来事も蘇らせる効果がある。なので、読みながら思い出した出来事も紙には書き足せるのがいい点だ。


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そして、旅行やお出かけなどで買ったりしたチケット、お土産のパッケージ、レシートなども記憶を呼び起こすスイッチになる。旅の記憶は案外、頭ではなく、モノや人に宿ることが多い。そして何より、こういうのをノートに貼り付けている瞬間が楽しくて、毎月最終日の日記の後に貼るのが習慣になっている。




③転換期

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そして、毎日の思い出をツラツラ書く生活を大学院一年の夏まで続けていたのだが、流石にやりたいことが増えてきて、今のままではマルチタスクをこなせない、と思うようになった。

なんとか書く量を減らしたいと思い、一日の概要を円グラフで表すことを閃いたのは。起きた時間と寝る時間を結び、大体の感覚で割合を書いていったひどいものだったが、色鉛筆などで色分けすることで、私が一日をどのように消費しているかが目に見えるようになったのが、何よりのいい点だった。

メインの出来事を赤、勉強を緑、バイトを青、移動やそれ以外の時間を黄色、ダラダラしてしまった時を紫、といった感じに可視化することで、自分の生活傾向がわかるようになり、改善すべきところがよく見えるようになった。

また、「スタンフォード式 最高の睡眠」という本を読んでから自分の睡眠サイクルというのを知るために、睡眠時間をメモするようになった。目覚めのいい日と悪い日の睡眠時間から、睡眠サイクルを割り出すことに成功した。人間の睡眠サイクルはおよそ90~120分らしく、私の睡眠サイクルは約105分であることが判明した、どうでもいいか。

そして、アクションステップという今日の内にこなしたいタスクを挙げ、できたかできなかったかも書くようにしている。毎度どれかしらはできていないのだが、それでもタスクを可視化した方が、一日の使い方の無駄が減り、予定を立てやすくなる。これは間違いない。

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④成熟期

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そして、現在のカタチに至る。円グラフを起きている時間だけではなく、24時間丸々書くことに変え、睡眠時間も可視化するようにした。恐らく大学院を卒業するまでは、この形式で続けるだろう。社会人になっても続けるかは、まだ未定である。また、色を塗っていないのは何か意味があるわけではなく、ただ面倒だからである。

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起床の位置で早起きできたかどうかもわかるようになり、一日の書き出しに位置でモチベーションも変わってくる。一日が長く感じれると勝手にQOLも上がるものだ、と日々思う。ちなみに綺麗に円グラフを書けるようになったのは、専用のテンプレートを手作りしたからだ。見た目ダサいが、だんだん愛着が湧いてきている。


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そして、なぜわざわざこんなに面倒な手間をかけて日記を書いているのか、という自身への問いにも答えておこうと思う。

日記にメモした上で、紙に書き写すなんて、なぜそんな二度手間で無意味なことをしているのか、と考える人も読んでいる皆様の中にはいるだろう。私自身でも、たまにふと思う。

それでもやっぱり、答えは原点に書いてある。


「あの時何を想っていたか」忘れないため


結局、日記を書く目的は、思い出をカタチに残すことではなく、忘れないようにするためなのだ。頭の中にある記憶は取り出せないし、なくならない。最悪日記が燃えて無くなってしまっても、頭の中に記憶が残っていることの方が何より大切だと、私なんかは思っている。


考えればわかることをわざわざ体感することは、一見無意味なことのように思えるが、それを自分の血肉にし日々の活動に反映させるためには、わざわざの手順を踏むことは大事なことである。自分が大事にしているものを、わざわざ体感できる環境に身を置くことで、自分らしさとやらを形成することが、手間で無意味なことに時間をかける大きな価値である。


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