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「試合に出たい」



私の高校野球の思い出は、それはもう散々なものだった。ついこの間まで、思い出したくもないと否定し続けてきた過去だった。


ふとその思い出がチラつく度に、私は盛大に目を逸らしてきた。それどころか目を逸らすだけでは終わらず、それはもう目一杯過去を力づくで歪めていた。悪夢のような思い出だと、楽しかったこと、嬉しかったことを全てなかったことにして、蓋をして閉じ込めていた。だが「開けてはいけない」と書かれている箱ほど、開けたくなるものはなく、その過去を塞げば塞ぐほど、日常で目にする機会は比例して増えていく。いつも心の隅に、そいつが居座っている生活が、もう何年も続いていた。

ただ少しづつ、その状態が当たり前になっていった、嫌なものが常にあることが、いつの間にか慣れていたのである。おかしな話だが、嫌なものに慣れてくると、嫌という感情はどこかに消えていくのだ。気にならなくなった途端、見たくなかった過去が見えなくなってくる。欲しい時には手に入らないくせに、興味がなくなったら突然手に入れられるあの感覚に近い。このパラドックスが人生をいかに難儀にしているのかと、日々思う。

しかし、見えなくなったからとて、元通りの自分になったかと言えば決してそうではない。明らかに今の私は、当時の自分より歪んでいる。過去を歪めたことにより、自分の輪郭すらも変わってしまったことを、振り返るとひしひしと感じている。ただそんな今の自分を是正したい、とは思わないのも事実だ。ある種諦めのような気持ちで、その歪みを受け入れ、気にしないようにしている。

それが私にとって、自分の人生を軽くするための処方箋であり、ネガティブなりに振舞えるポジティブだと思っている。「気にしない」の無敵っぷりに依存した過去を希薄する作業によって、忘却とは違う逃げ道で過去を見えないものにしていくことが、私の肌にはあっていた。この人生のゲームにおいて、回りくどく煩雑な手順を通して、結果的に近道をつくり楽をすること、それが「慣れ」である。


そんなことがあり、結果的に私は「慣れ」で嫌な過去が今はもう人に振舞えるほどになっている。だから今こうして、私は記事を書くことができている。これから振舞う思い出は、決して旨味のあるものではなく、渋くて苦いものばかりだ。よく噛んだところで、美味しくなることは決してない。それだけは、まずここで伝えておく。


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高校野球時代、私は補欠だった。いや、補欠どころではない。補補補補補補補補補補補補欠ぐらいだった。バカみたいな表現だが、決して冗談などではない。地球がひっくり返ったとしても、同級生が全員拉致されたとしても、私が試合に出ることなど、起きることはなかったと断言できる。そして、これは決して私の努力不足でそうなったとかではなく、初めから決まっていたことのようにも思えてくる。

そう思うのは、入学したての時に目標を聞かれたときのことだ。ほとんどの人が「甲子園」や「プロ野球」などを掲げていたにもかかわらず、私は「レギュラーになりたい」と答えていたのだ。つまり、スタートの時点で既に見ているものが違っていたのだ。甲子園を目指している人と試合に出ることがゴールな人間、この先どんな結果が待ち受けているかなんて、目をつむってもわかる。何を隠そう、私はその3年間試合に勝つためではなく、試合に出るために努力していた。さらに言えば、試合に出るチャンスを与えてもらうために、日々練習していた。それが、答えである。

だが、今の自分のまま、同じ立ち場に立てたとしたら、果たして「甲子園」を目標に掲げるのだろうか。恐らく、言わないだろう。きっとまた、「レギュラーになりたい」と答える羽目になる。つまり、そういうことなのだ。


これは恐らく補欠あるあるだと思うが、補欠は「今日は試合に出るかもしれないな」って日がなんとなく察しがつくものだ。今日は出そうだな、とか今日はないだろうな、とかそういう山勘が働き、そして大体当たる。結果として出ても出なくても、ホッとするし虚しくもなる。試合と言っても練習試合だし、別に出そうだな、と分かったところで調整などできるわけもなかった。ただ当日の自分の調子に全賭けするしか道はなく、そんな状態でいい結果など出るわけがない。しかし、補欠とはそういう生き物だ。補欠を抜け出せる人、そうでない人の違いは、そこにあるんじゃないだろうか。

そしてそれは、最後の夏においても変わらなかった。何なら、私の場合はもとひどく訳も分からず、ピッチャーなのに急にイップスになった、今週末最後の登板のチャンスが来るとうすうす気が付いていたのにも関わらず。そうして案の定、その状態のまま投げるしか道は残されてなく、私の人生最後の登板は4球ほどバックネットにボールをまき散らして終了した。それでも、監督は私に怒ることはなかった。



試合をぶち壊したいう事実、と同時に私の中にあった大事だったものも、崩れ落ちていった。



投げない、という選択肢だってあったのでは、と思った夜もあった。だが、一年でも指折りしかないアピールチャンス、中でも高校野球人生最後のチャンス。これまで練習してきた3年間の月日、応援してくれた親への想い、自分の夢。それに、このボールを投げれない状態を天秤にかけたとこでも、投げないという選択を取れるわけがなかった。そして結果は、想像していた通りの最悪のシチュエーションを見事に演出して終わった。

どんな悲劇作家がいたとしても、こんな風に結末を迎える人物を描くことはないだろう、と自負している。だって全然面白くないからだ。目も当てられない、周りに迷惑をかける、つまらない。そんな価値のないオチで、私の高校野球はエンドロールを迎えるのだ。ある意味、なんて贅沢な無駄遣いだとも言える。こんなに虚しい経験を高校生の間に経験したことで、結果的に私は良くも悪くも変わった。ただ、だいぶ時間がたった今でも、それを笑い話にできるほど、大人になれてはいない。




あの日以来、高校野球の思い出はひどく、くすんでいった。というかわからなくなった、日が経つにつれて、だんだん思い出せなくなった。



「自分の3年間の集大成がこれか」と自覚しざるを得ない状況を、いつまでも呑み込むことができなかった。「すべてが無駄になった気がした」という月並みの表現における心情を、その時初めて理解した。言い訳などいくらでもできたが、それでも犯してしまった事実は、決して覆ることはない。一番変えたいところを、もう一生変えることができないなら、その言い訳は何も救ってくれない。

今までやってきたことに対しての結果の欄に、一つ一つ「無駄だった」と打ち込んでいく作業は、もう二度と味わいたくないと強く思う。あんなに恥ずかしいことはない、あんなに虚しいことはない。親の言い分を無視し、夜遅くまで自主練をしていたことに、謝りたいとすら思うようになるほど弱くなっていった。そうやって高校野球すべての思い出が、その過去によって呪われていった。辛いとかではなく、無理だったのだ。自分のすべてを否定することを余儀なくされたことは、17歳の自分にとって酷なものだった。自分を歪めることでしか、気を紛らわせる方法がなかった。



今後人生において、あれを越えるほどの自分への絶望、怒りを覚える日がくることはきっとないと、今もそう思っている。




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「あなたにとって芝居は、もう辛い思い出でしかないのですか?」


つい最近、連続テレビ小説「おちょやん」を見ていたときのことだ。あれから6年以上経った今、このセリフに出会った。その時に、なぜか高校野球のことを思い出したのだ。


こうして人に振舞えるようになったことで、自分で思い出を歪めていたことにも気づいた。すると、案外楽しかった思い出も、少しではあるが蘇ってきた。部活終わりにラーメンを食べたことや、近所のラーメン屋さんに応援してもらえたこと、食いきれないラーメンを目の前に爆笑したこと。あれ、ラーメンばっかりだな。

ともあれ、私にとって高校野球は辛い思い出だけではないことは、よくわかった。笑っていたことの方が多かった。それを知れて、ほんの少しだけだがあの時の自分を許してやってもいいかもな、と思うようにもなった。その思いを忘れたくないと、この記事を書いた、それだけの話だ。



だから、決して辛かったを打ち明けて楽になりたかったとか、こんな自分に同情してほしいとか、弱い自分を見せたかったわけでもない。そんな気持ちでこの記事を書いたのでは、断じてない。

理解なんかされたくない。わかります、なんて言われたくない。安易な共感などもっての外だ。何なら理解されてたまるか、とすら思っている。あの時のあの気持ちが、赤の他人にとって理解できるはずがないだろう。同じような絶望を味わった人がいたとしても、それは同じような話なんかではなく、一つ一つ別の絶望だ。誰のものでもない、自分自身の話なのだ。それぞれが抱えている行く当てのない感情を、わざわざ言葉にして話しているだけだ。多くの挫折ストーリーとして、括られてたまるか。そもそも、挫折という言葉で片付けられてたまるか。



私の気持ちは、私だけのものだ。これは私の人生だ、私だけの人生だ。



そんなことを自分自身がしてしまわないように、人の話を分かろうとしないことから、まずは始めようと思う。



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