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初期衝動を数える #HNKS04


お久しぶりです。配送あるあるです。

早いもので前回の投稿から、二ヵ月も経っており、久々のハナクソノートの投稿になってしまいました。

でも、安心してください。今回は初期衝動についてアレコレ書きまして、過去最高の記事ができあがりました。また分量がブクブクと膨らんでしまいましたが、ハナクソほじる暇のある人にとっては見応えあるものなった、と思います。お楽しみに。

あ暇な人以外は、読んではいけません。







初期衝動とは


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最近、何をしてても何か物足りない瞬間や、実体のないモヤモヤに苛まれることがある。特に何が嫌とかではないが、手が進まない、集中できない。これは何なんだろうと考えたときにふと思った。今、自分は衝動に駆られてない。



今、自分がしていることのほとんどが、「あの人もこれをしている」「自分もあんな風になりたい」など、決意の強弱はあれど、あるキッカケから始まったものだ。衝動、とも言えるかもしれない。コロナ禍で私が読書を始めたのも、「この時間をいかに有効活用してやるか」というキッカケからだ。

人はそのようなキッカケに従って、行動を起こす「衝動で動く生き物」なんだろうな、と思う。そもそも行動を起こす理由なんて、ほんとはどこにもないんじゃないだろうか。どんなに筋の通った理屈を並べたとしても、食う寝る以外に人間が生きるためにしなければならない行動などないからだ。


同時に人間は忘れる生き物なので、なぜそれを始めたのかをある時、思い出せなくなる。たとえ出来事は思い出せたとしても、なぜそれに自分が突き動かされたかわからないことなんてたくさんある。

カメラロールなんて見返してみると、同じようなことがよく起こる。「なんでおれはこんな写真を撮ったんだろう?」と、その写真を消したりする。心がゆれることなんて、ほんと一瞬の出来事なのかもしれない。


しかし、そんな様々なキッカケがある中、今なお自分を突き動かし続けているものがある。習慣とかではないが、それをしないと自分じゃなくなってしまうような、自分の輪郭を変えてしまった出来事がある。それはもうキッカケという枠を大きく突き抜けたものではないだろうか。私はそれを「初期衝動」と呼んでいる。

それは、誰しも一度くらいは感じた経験があることだと思う。恋愛でも趣味でも仕事でも、なんでもいいが、突然「今までの自分ではいられない」という気持ちに駆られる瞬間がある。

「これ以上太ったらヤバイ」「このままじゃ合格できない」

など何者か分からないやつが急に追いかけてくるときの逃走本能のような焦りに苛まれる。そういう瞬間だ。


例えるなら、「やる気スイッチ」なんかが近いものだと思う、自分では押すことのできないタイプの「やる気スイッチ」とでも呼べるのだろうか。が、あれはきっとやる気とかそんな爽やかな感情ではなく、もっと根源的な自分でも気づけてなかった欲望みたいなものが沸騰したものだと感じる。

もしかすると、継続の根源は焦りと言えるのかもしれない。その焦りが大きければ大きいほど、継続力は高まる。考えてみると今自分が能動的にしている行動のほとんどは、あの衝動による後遺症、いわば二次災害のようなものだ。そこに自分の意志はなく、あの時感じた焦りの波に乗っかって生きているだけのようにも思える。そう初期衝動が今の自分をつくっているのだ。







自分の初期衝動


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photo by  HANG

https://www.instagram.com/p/BfUvNVzlj1X/?igshid=1dr3qt0s7rtei



「”あの日”と言われたら、あなたはどんな一日を思い出す?」



少し前にとても大切だった人から、言われた言葉だ。なんてお洒落な質問をするもんだと思ったのをよく覚えている。

今思うと、この問いは初期衝動を数える時にピッタリだと改めて感じている。初期衝動がイマイチ掴めていない、この記事を読んでくれている皆さんも、少し思い返してほしい。


あなたにとっての、”あの日”は何か。



考えてみると、私の中にも、いくつか思い浮かぶ出来事がある。今回はその中でも、今なお食らい続けている出来事について記していこうと思う。




それは、大学二年生の冬、二十歳になる前日に見に行った戦極17章での出来事だ。

MCバトルも含めて、ラストライブを残してそのイベントがすべて終わろうとしていた時のことだ。6時間くらい立ちっぱなしだったので、中にはチラホラ帰り始めている人もいた。正直私はMCバトルをメインに見に来てただけで誰がライブするのかとか興味もなく、しかもヘトヘトだったので、一緒に見に行った子に「帰る?」と聞いたのをよく覚えている。が、その子はおれの言葉は耳を傾けず、じっとラストライブを見ていた。「なるほど、見るのか」と、その時初めてステージに目を向けた。そこにいたのがglitsmotel、唾奇さんとHANGさんのユニットだ。このライブが自分にとって生涯忘れることのないライブとなった。

最初はただ眺めていただけだ、でもカッコイイラップするなと見てすぐ思った。あとame。という曲の「カサブタ剥がす癖、直せてねぇ」という歌詞が面白いなって、「それおれもやっちゃうわ」とそれくらいだった。もうすでに引き込まれていたと思うが、心奪われ、目が離せなくなった瞬間があった。それはライブの中盤、HANGさんが自身のシングル曲の「間違い」歌った時だ。



ぜひ、この記事を見ている人は一度でいいからこの曲を聴いてみてほしい。初めてその場で見ただけなのに、HANGさんがどんな風に今まで生きてきたのか、ラップをしてきたのか伝わってきた。そういう音楽を生みだせる人なのだ。自分の中にあるヒップホップに対してのイメージが本当に変わった瞬間だった。

「大事なもの 形じゃない でも本当に大事なものほど目に見える」
「仲良しこよしダサいっていうやつは 本当の孤独を知らないだけなのさ」

など、たくさん好きな言葉があるが、何より忘れられなかったのが間奏の時に放った言葉だ。

「おれたちは馬鹿で犯罪者やってるんじゃないんだぜ、好きで犯罪者やってんだぜ。おれたちは馬鹿で音楽やってるんじゃねぇ、好きで音楽をやってんだよ」

この言葉は、今の人生の軸になっている。初めてこの言葉を聞いた時、ジッとしていられなかったし、動けなかった。

「好きだからそれをしている」というのを過去にも耳にしてきたはずなのに、ここまで食らったのは、「好きで犯罪者やっている」という上で、「同じスタンスで音楽をしている」というところにだ。


今まで聞いてきた「好きだからそれをしている」というのは、大変なことで普通なら投げ出してしまうことや、金にはならないが人のためにしてるボランティア的なことだったり、物質的な報酬が見当たらない、見合ってない時の理由として使われているということがほとんどだった。そういう場面において、もしかしたら一番早く、楽に他人に納得してもらえるからなのかもしれない。

だから、「好きで犯罪者やっている」というのが衝撃的だった。ここで言う犯罪というのは恐らくドラッグのことで、直接誰かに迷惑をかけるものではないが、今の社会では良くないことだ。


「そんなことわかっている、それでもやってるよ、好きだから」


そのスタンスがそのまま音楽になっていた。言い訳するわけでも格好つけるわけでもなく、自分の等身大を歌い、ただこれまでの人生を認めていた。ヒップホップという人からの理解を未だに得られていない業界で、全身全霊で自分の人生を音楽に乗せて歌っていた。


大人になればなるほど、夢や愛などを語るのも恥ずかしくなるこの世界で、それでも折り合いをつけず自分のままでいる姿に感動した。こんな風に自分も生きたい、と思った。自分を認めることが、こんなにもカッコイイことだと教えてもらえた。



自分はダサいところ、弱いところなどを決して人には見せようとず、隠すようにして生きてきた。恥ずかしいというより、認めたくなかったからだ。だからそんな風に自分の失敗、後悔を「好きにやったから」だけで認め、許すことは私にはできなかった。

自分の好きなものがあっても、それが珍しいものだった場合、人に説明するのを避けてきた。変な目で見られるのが嫌だったのもあるが、「こうあるべき」みたいなものに、わざわざ自分からはみ出すのが面倒だった。右に習えに乗っかった方が楽だからだ。そうやって自分を隠してきた。


だからHANGさんのその言葉を聞いて、もの凄く勇気をもらった。今までの考え方がぶっ壊された。


「おれの人生も大したものではない、でもこれがおれなんだ。理解されなくたっていい、ただ自分で自分のこと認めるのも悪くはない。」


そう言われている気がした。自分の弱さも自分自身だと認めることは、間違いなんかじゃない。好きなことを主張して、例え周りから浮いてしまっても、それは間違いなんかじゃないんだ。


「今のままの自分ではいられない」


そこから自分の人生は少しづつ変わっていった。私の何年も拭い切れなかった高校野球での失敗をやっと笑い話にすることができた。ダサい自分を隠すことなく、むしろ推しだしていけるようにもなった。そして色々な出来事に、周りの環境に、感謝できるようになっていった。


それは、失敗ばっかりだったけど、自分の人生が今はすごく好きだから。


あの音楽のおかげで、私は自分の事を認められない、弱さを隠す人生から逃げることができたのだ。

それから何か上手くいってない時や、落ちてる時、自信をなくした時、この言葉が励みになっている。あの初期衝動が今の自分をつくっている。







初期衝動には勝てない


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最後に今回一番強く思ったことは、「人間は初期衝動には勝てない」ということだ。最近、そのことを改めて強く感じる。


この前までTBSで放送していた「この恋あたためますか」を見ていても同じことを思った。

ザックリだけど、キキちゃんが社長を選んだ理由は、自分に自信を無くし打ちひしがれているときに、スイーツ嫌いな社長が目の前で自分の作ったシュークリームを食べてくれた、認めてくれたという初期衝動に、まこっちゃんが勝てなかっただけだと思ってます。異論は認めます。


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時を戻そう。


私たちは普段、理性に身を委ねて生活をしている。そんな現代社会では衝動というものは、あまりいいものとされていない。

「衝動的にやってしまった」など、ある犯罪者の動機などで目にすることが多い言葉という印象が自分の中にもあるように、衝動とは決してクリーンな感情なんかではないのだ。悲しみや怒り、憎しみまで孕んでいることが多々ある。

きっと衝動は、理性とは真逆の生き物だ。とてもビッチで一生手綱を掴むことのできないものだなと思う。天使と悪魔がもしいるなら、きっと理性は天使で、衝動は悪魔だ。

そう、めっちゃ厄介なのだ、衝動が好き勝手に暴れ出すと、とても生きづらくなる。

だからなるべくそいつがひとり歩きしないように、自分で蓋をして生きている。そういう人が多いのではないか、と思っている。書いている自分もその内の一人だ。大袈裟かもしれないが、この地球に生きている全員が初期衝動の人柱力みたいな状態だと言えるかもしれない。


だが、本当に理性は正しいと言い切れるのだろうか。理性だって人間が生み出したものであり、理性とは常識を尊ぶ姿勢なのだ。確かに生きやすくなる術のようなものもあるが、国民はこうあってくれた方が都合がいい、というのもあるのかもしれない。もしかしたら理性は堕天使の可能性だってある。世の中には正解はないから、常識という同調圧力を使うしかなかったかもしれない。


ともあれ、衝動はタブーな存在なのだ。自分の衝動を誰かに話すことはもちろん、他人の衝動に触れることなんかもない。なんなら興味もないのだ、自分の衝動にも他人の衝動にも。


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そんな心の奥に閉じ込めて、存在すら忘れてた感情が、あるタイミングで突然顔を出してくる、それどころか蓋から飛び出して暴れ出す瞬間がある。

常識に、当たり前に、囚われている自分に気が付いた時。

自分が今していることが、望む未来につながっていないのが見えてしまった時。

他にも様々な瞬間があるだろう。


その時、聞こえないはずの声が聞こえてくる。


「今の自分から逃げろ」と。



その時の気分と言ったら最悪だ。今までの自分ではもういたくない、そんな衝動と理性に板挟みにされて、何をすればいいかわからない、のにジッとできない。しかも突然襲ってくるため、準備なんてできっこない。とにかくモゾモゾする、どっちに転んだとしても心の霧は晴れない。


でももう逃げるしかない、今までの自分でいたくないと思ってしまったのだから。


だから逃げる、あいつらが見えなくなるところまで。

ずっと逃げ続ける、前の自分がどんなだったかわからなくなるところまで。


そんな風にモゾモゾしているその瞬間が、今自分は生きていると強く感じる。みっともなく足掻き、今までの自分と戦い必死に逃げるあの瞬間が。

理性が衝動に屈する瞬間、それが初期衝動であり、自分をリセットできる指折りの機会ではないだろうか。もしかしたら理性によって歪まされた自分の輪郭を、初期衝動が元に戻してくれているのかもしれない。


初期衝動は「逃走本能」だ。


だから勝てなくて当然。そして勝てない方がいい。今の自分に満足していたら、衝動なんて起こらない。逃げたくなんてならない。「今のままでいたくない」という違和感を理性で抑え込むことは、自分を殺すことになりかねない。初期衝動に負けることは、自分を大切にすることだと私は思う。


だから全人類、負けてよし。初期衝動には「負けるが勝ち」だ。







おわりに


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ということで、今日は長々と初期衝動について書きました。本当はもうひとつ自分の中にある大きな初期衝動も書きたかったんですが、書いたらエグい長さになってしまうので、後日なんかに書こうと思います。

別に、「もっと世の中衝撃的になればいいのに」とか思っているわけではないです。なんなら常に衝動的な人は嫌いです、理性好きです。でも理性でしか話せない人は面白くないな、とは思います。衝動こそ自分自身、だとも思います。

だから、衝動を感じたら、その自分を私は信じたいと思います。例え途中で諦めても、辞めても大丈夫、そこまでの衝動じゃなかっただけです。また今はまだそのタイミングじゃなかったのかもしれません。

でも、もし逃げ切ることができたら、それは新たな原点となる思うからです。初期衝動は新たな原点との出会いでもあります。


そして、初期衝動は一度きりなんてことはありません。その時々の自分にとって必要な初期衝動がきっと起きます。初期衝動がその度に原点を新陳代謝して、新たな原点を連れてきてくれます。そうやって原点と原点を初期衝動で結んでいくのが前進ってことなんだと思ってます。


だから逃げましょう。今の自分から逃げよう。人間も「逃げるが勝ち」です。

新しい何かを手に入れるために必要なことは、捨てることではなく逃げることなのだから。



逃げるも、負けるも、恥だが、役に立つ。






あけおめです。



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