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ハリボテの正義感をふりかざすのは、もうやめにしないか

・「あなたのためを思って言ってるんだよ」という言葉を聞くと、虫唾がはしる。
見掛け倒しの正義感をふりかざすのは、もうやめにしないか? もっとゆるく生きようよ。

「あなたのためを思って言ってるんだよ」


一見、思いやりがある優しい言葉に聞こえるけど、これほど高圧的で人をイヤにさせる言葉ってないと思う。

全然、相手のことを思ってなんかない。
見掛け倒しの「正義感」でうまくカバーしたつもりかもしれないけど、めちゃくちゃ偽善だし、上からモノを言っているだけ。
はい、はい、言うこときかせたいんだよね。
うん、でもそれって「お節介」ですから。

かくいう私も、若かりし頃はこの大キライな言葉を乱発していた。
ハリボテの思いやりの裏に「相手より優位に立ちたい」とか、「いいから言うこときけよ」というドロドロとした思いを隠していた。
だから、その言葉を口にする人の気持ちが手にとるようにわかる。

その言葉を使う時は、大抵が相手に対し、いらだちを感じていたり、言うことをきかせて丸くおさめたいと考えている。
そして自分が「正しい」と思う小さな枠に、相手を無理やり押し込めようとする心理が少なからず働いている。

「正しい」、「間違ってる」って、そもそも誰が決めるんだろう?
何を指針にして決めているんだろう?

マウントしたい心を「正義感」で隠すな


それは大概、その人が生きてきた中で構築してきた「価値観」がベースになっている。
自分なりの価値観を持つことは大切なこと。
でもそれを人さまに押し付けるのは、果たしてどうなんだろう?
私なら「やめて」ってハッキリ言っちゃうな。

「正しい」、「間違ってる」だけでものごとをジャッジしてしまうと、間違っているとジャッジされた人は、その人や、その人が所属するグループにとって、がん細胞のような存在になってしまう。

言うことを聞かないがん細胞は、取り除かないと悪さをする。

そして、どんどん増殖していく。

だから取り除くしかない。

残すのは自分の価値観で「正しい」とジャッジした細胞だけ。
「あなたのためを思って言ってるんだよ」を口にする人は、そうして自分に都合がいい細胞(人)だけを残す。

なんかこの構造って、SNSで一人の人をやり玉にあげるのと良く似ている。
元となるのは、「正しい」か「間違っている」かの二択。
「間違っている」とジャッジされたら、とことん追い詰められ、排除されていく。

感情を持つ人間を、たった二択で振り分けるのはムリがある。
そしてまた、それを他人がしょうもない正義感をもってジャッジするのはどうなのよって思う。

そろそろ人間関係を「正しい」か「間違っている」の二択で考えるのは、もうやめにしないか。

人をふりわければ、ふりわけるほど、視野が狭くなり、世界が小さくなっていく。そして成長も止まってしまう。

もっとゆるく考えたほうが、人生はずっと楽しくなる。
正しいか、間違っているかなんて決めなくていい。

だって、かりかりしたって、つまんないじゃない。
それでなくても、アラフィフのオトメはホルモンに左右されやすいんだから。

アラフィフが眉間にシワ寄せてかりかりしてると、「だから更年期って……」と言われるのがオチ。そうなると、ますます更年期のイメージが悪くなって、口にできない人が増えちゃうんだよね。

正義感を捨てて、枠をはずして、固まったココロを解放してあげよう。

笑っても1日、怒っても1日。
だったら私は笑って1日をすごしたい。

◇◇◇◇

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★お節介、お説教は苦手。特に飲んでるときは。だったらおひとりさまでいるほうが、ずっと楽しい。あとね、鍋は気が合う人、楽しい人とつつきたい。

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