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【俳句鑑賞】先人俳人へのオマージュ(三)野澤節子―命との対話

 我々自身「俳句をたのしんでいる」と周囲に伝えたとき、生きた化石を見るような視線を送られたことは一度や二度ではない。確かに俳句は伝統ある文芸だが、その中で多くの俳人が挑戦を続けてきた。荒田わこの連載「先人俳人へのオマージュ」、今回は野澤節子を取り上げる。

野澤節子―命との対話

荒田わこ

 新型コロナウイルスのため私達の世界が一変し、遠出をすることが困難になって久しい。

 野澤節子 (1920-1995)。

 若い時代を脊椎カリエスのため自分の部屋から出ることもままならなかった一人の俳人が浮かぶ。

われ病めり今宵一匹の蜘蛛もゆるさず

句集『未明音』所収

 自宅療養中の27歳の時の句。「われ病めり」と自分の運命を冷徹に見つめる言葉は悲壮感だけではない。どうにもならない自分の心をつぶてにして柱に投げつけたような一句が胸を打つ。節子は父母の愛情で病院ではなく自宅療養だった。句会とは無縁で生涯の師の大野林火が節子の家に見舞って指導していたという。

春曙何すべくして目覚めけむ
春燈にひとりの奈落ありて坐す

句集『未明音』所収

  春になれば誰しも活動的になり、心が浮き立つ。だが、病床の節子はどこへも行けない。句からは自らの人生を受け入れ達観した強さが感じられる。「冬の日や臥して見あぐる琴の丈」「刃を入るる隙なく林檎紅潮す」の句から療養中の身の回りにあるものを自分の身に引き付けるように詩に昇華している。

睡蓮の白いま閉づる安堵かな

句集『風蝶』所収

 その後、37歳の頃には脊椎カリエスは治癒。病の癒えた後の安堵の気持ちが「睡蓮の白」と響き合う。吟行にも出られるようになり、句友に恵まれ多くの佳句を残している。それでも私は若い時に病と向き合った日々の節子の句に強い感動を覚える。

 病の中にあっても強さと清廉な美しさを伴う節子の俳句は、これからも私達を励まし続けるだろう。

先人俳人へのオマージュ(二) 鈴木しづ子―伝説の人 その②はこちら

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