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【俳句鑑賞】パエリアの試食|禾門の俳句②

 パエリアのメンバーは、俳句の作り手であり、また読み手でもある。エイミーアットマイテーブルによる、『パエリア』の俳句鑑賞。今回は創刊号の作品の中から、禾門の作品を取り上げて鑑賞した第2回。俳句を読み方がわからないという方にも、読み解きの補助線となるはず。

『パエリア』創刊号の作品に寄せて(後半)

エイミーアットマイテーブル

一日がピエンと過ぎた空見過ぎた

 ぴえんは2018年ごろから使われ始めたらしい。2019年「JC・JK流行語大賞」コトバ部門 第1位。同年「ギャル流行語大賞」第2位。2020年「上半期インスタ流行語大賞」流行語部門 第1位。『三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2020」』大賞受賞。

 掲句のピエンがぴえんを意図していないとしても、句中そうとう浮いてるピエンと、近年の若者たちに共有されたぴえんに通じ合う意味性を感じるのは、その情けない響き・語感のせいだろう。作中主体は悲しみを自分で乾かすものと心得ているのか。心を干す回数と空を見上げる回数は常に連動している。

 私が出会ったころの禾門は、端正な有季定型俳句を作る人であった。その長い句歴において晴れやかな評価を得てきた実力派である。しかしピエンは初めから禾門の心性にあったものと私は考えている。何を思って今さら眠れるピエンを世に出す気になったのか、その過程もまた興味深い。空を見過ぎるほどのピエンは作者の頭からではなく腹から出た言葉であろう。腹から出る俳句は整合性を欠き、ルールをはみ出し、その無造作を守る枠すらすでに無い。余裕で作れるはずの王道俳句を敢えて捨て、未舗装の道を行くことにしたらしい先達。ぴえんを超えたピエンに、丸腰の覚悟が見える。

千年後の冬も烏はカアだらう

 まぁそんなわけでピエンの次はカア。それで思い出した句がある。

夕焼や千年後には鳥の国

青本柚紀

 2013年の第16回俳句甲子園 最優秀句。作者は当時高校2年生。掲句と比べてみると、普遍的な感慨に則り千年後を思うところは同じであるが、世代的な地点の違いから描き方が変わるところが面白い。老いがまだ遠い他人事でしかない若者は、千年後の世界から人間をアンビバレントに消してしまった。対して命を逆算する禾門の句の中には、千年後も鳴き声を聞く人の気配がした。烏も人間も、自然界の流れに抗えぬ有機体として作者には同等である。年齢や属性に依ってばかりは読みを狭くするが、しかしこと禾門の俳句においては、実人生への多大な感情移入を汲む読み方を避けては通れない。禾門が千年後を思う時、人間は主体的ではない。だから技法は削ぎ落とされるしかなかった。無常は「カア」に収斂されゆくのみである。


▼上記を含む禾門の作品全30句を掲載。『パエリア』創刊号はこちら

パエリアの試食 禾門の俳句①はこちら

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