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【俳句鑑賞】パエリアの試食|渡理いすかの俳句②

パエリアのメンバーは、俳句の作り手であり、また読み手でもある。エイミーアットマイテーブルによる、『パエリア』の俳句鑑賞。今回は創刊号の作品の中から、渡理いすかの作品を取り上げて鑑賞した後編。俳句を読み方がわからないという方にも、読み解きの補助線となるはず。

『パエリア』創刊号の作品に寄せて(後半)

エイミーアットマイテーブル

嘘をつく男直立鳥兜

炬燵に眠る夢の中でも嘘をつく

トリカブト

 なにせ連作のタイトルからして「嘘」であるから、渡理は今回そうとう嘘にこだわっている。一句め、直立姿勢と鳥兜とりかぶと(秋の季語・植物)にフォルムの類似。嘘と有毒植物の親和性。相手に向かい直立している姿勢とは裏腹の心に嘘が。というようにすべてが連繋し言葉に無駄がない。二句め、炬燵を冬の寝所にする人は一定数いるだろうが複数の理由から身体に悪い。上半身と下半身の温度差は自律神経の働きを狂わせるからそりゃあ夢の中でも嘘ぐらいつきたくなるだろう。この二句はどちらも微かな棘、露悪の心を表現したがっている。       

 俳句の訓練を受け膨大な多作多捨により自らを鍛えてきた渡理は、いかなる課題もクリアできるし、いわゆるちゃんとした句をサクサクと生み出すこともできる。その正当な側面を評価するなら累々たる佳句を、少なくとも掲句以外を取り沙汰すべきであろう。

 私はパエリアの渡理を自意識の俳人と捉えている。俳句とは自意識を捨ててこそが定石、特に初心の頃は思いを語り過ぎた失敗作の墓が延々と建つ嗚呼これは私の場合。とはいえ自意識の句は一般的に打率が低い。パエリア編集人・渡理いすかのコストパフォーマンスの高さを思えば、低コスパの作風に労力を割こうとする矛盾は面白い。そして新境地はいつでも、そんな違和感の先にあるものなんじゃないのかい?

焼鳥や行きたきほどに月うつくし

愛はしづかに湯豆腐の透くるまで

季語「焼鳥」(注:冬の季語)
(略)かつて、焼鳥にするのは野鳥に限られていた。雁、鴨、きじ、山鳥などが好まれた。❖近年の町なかで食べる鶏肉の焼鳥は季語として成立しにくい。

「合本俳句歳時記」 第五版 角川書店編

 一句め、野鳥を貪る現世を照らす月が行きたいほどの美しさだというギャップ、その月の近くへ飛んで行けたはずの鳥が焼鳥に成り果てる不条理、構成上の工夫はもちろん指摘しておきたいが、渡理のこの系統の句が胸を打つ理由はフレーズの無欲な美しさのほうにある。同じく二句めは、湯豆腐の淡さや主張しない質感を「愛はしづかに」という自制の効いたフレーズによって魅力的に伝えようとしている。どちらの句にもぐっと堪える態度があり、だから切ない。この、読み手が思わず何かを反省したくなってしまうような純度は、渡理の本領のひとつとしてこれからも耕して欲しいと願っている。

編者注:今回の文章中に「そして新境地はいつでも、そんな違和感の先にあるものなんじゃないのかい?」という一文がありました。編集人自身としても刺激を受けたのもそうなのですが、これは恐らく創刊号の拙文を踏まえたものです。気になる方はぜひそちらも。


▼上記を含む渡理いすかの作品全30句を掲載。『パエリア』創刊号はこちら

パエリアの試食 渡理いすかの俳句①はこちら

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