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【俳句鑑賞】パエリアの試食|渡理いすかの俳句①

パエリアのメンバーは、俳句の作り手であり、また読み手でもある。エイミーアットマイテーブルによる、『パエリア』の俳句鑑賞。今回は創刊号の作品の中から、渡理いすかの作品を取り上げて鑑賞した前編。俳句を読み方がわからないという方にも、読み解きの補助線となるはず。

『パエリア』創刊号の作品に寄せて(前半)

エイミーアットマイテーブル

 渡理いすかの首は長い。首が短い私は人様の首の長さに対し敏感なので、渡理の外観に抱く印象はほぼ首だ。と思っていたら連作中、首にまつわる句が3句もあることに気がついた。首が長い人も首の長さに敏感なのだろうか。首が短い私にその心はわからない。

 秋深き傍聴席に首の数

 裁判における「首」は極刑を連想させる。ところが描かれるのは傍聴席側・傍聴人たちの首。明日は我が身、善人席から悪人席への移動などちょっとしたきっかけ次第でしょと言わんばかりに人間の本質をひんやりと突く。「首の数」という書きぶりは一瞬、さらし首が並んでいるかのような錯覚を引き起こし、それが生きて複数座っているのだからなおさら怖い。季節は晩秋。まもなく長い冬が始まる。首元がスースーする。

 その奥に麒麟の眠る氷柱かな

 人に限らず首の長い麒麟キリンにも私は注目している。動物園では座って寝るが、野生の場合は外敵から逃げやすいよう立ったまま寝るというので掲句をアフリカの麒麟と捉えてみた。実はアフリカにも寒波は来るし雪も降る。ただ寒さが苦手な麒麟は避寒のため移動するので実景としては稀かもしれない。且つ、ショートスリーパーでもあることから眠る姿を見かける機会は少ない。そして麒麟と氷柱つららを仲間のように並べた句などまぁ見たことがない。珍しい要素が3つもあれば冬の幻想の句として読んでもよさそうだが長いもの同士、手前に氷柱、その奥には立ったまま眠る麒麟という構図は妙にリアルな具体像を目に結ぶ。そのあたり、考え抜かれているのかいないのか、意図を見せぬところも掲句の不思議なムードに貢献している。

 秋澄みて首長竜の目覚めけり

 パエリアは「メンバーの鍛錬の場」を第一コンセプトにしている。よって私はこの俳句鑑賞の連載も自主練の意識で書いている。特に私には自身の無知から句会の選句で取りこぼすパターンが多く掲句もそのひとつ。首長竜が恐竜ではないこと、水生動物であることを今回調べて初めて知り、季語の選択に得心することとなった。

季語「秋澄む」
秋になって大気が澄みきること。 大陸から乾燥した冷たく新鮮な空気が流れ込むため、ものみな美しく見え、鳥の声、物の音もよく響くように感じられる。

『合本俳句歳時記』 第五版 角川書店編

 「秋澄む」の本意を知ると、句中にある虚の世界の、さらに虚の視界に、首長竜はいないとわかる。陸にいる作中主体は聴覚や体感を以て海中の首長竜の気配を感じ取っているのだと、季語はキマればそこまで見せ切る力を持つ。

 ちなみに俳句を初めて作る段階で感覚先行の句が好きな方は、骨法を踏まえた堅実な写実句も平行して作り始めることを個人的にはおすすめする。基礎や伝統的な形式を体得しておくと、その打ち壊し方の精度も上がり、後々の作句が独りよがりを脱するとこれは保証してもよい。急がば回れは実感である。

 ところでやはり渡理いすかに首長の自覚はあると見た。首長竜は作者の自己投影と私は受け止める。澄みきった心境ならば自身の内奥に目覚める新規性、その発芽のキャッチも早かろう。メンバーとしては「あら目覚めちゃったのね」「パエリア創刊したもんね」と、十分にこじつけてこの章を閉じたい。なお以上の私見について作者の許可は得ていない。


▼上記を含む渡理いすかの作品全30句を掲載。『パエリア』創刊号はこちら

パエリアの試食 渡理いすかの俳句②はまもなく公開

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