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「なんで俳句って〇〇?」②リズム編(上)~字余りと字足らず~
こんにちは。「パエリア」編集係です。いつもご覧いただきありがとうございます。
先週の土曜日、俳句集団パエリアとして初めてのnote投稿=発表を行って、数日が経ちました。皆さんからの反応をいただき、編集担当としても大変嬉しく思うとともに、メンバー一同大変喜んでおります。「まだ読んでいいないよ」という方は、ぜひ創刊号をご覧くださいね。
しかしながら、読んでいただいている方の中から、やはり「言葉が難しすぎた」「そもそも日本語なの?」「何が言いたいのかわからなかった」のように、どうにもとっつきにくいというお声もいただいております。そもそも俳句を日常的にたくさん読んでいる方のほうが珍しいので、無理もないことだと思います。
この記事シリーズは、そのような方にも、ぜひともわたしたちの俳句を楽しんでいただく糸口を見つけていただくために、ちょっとしたガイドラインとなったらいいな、と思い作った記事の一つです。この記事では、俳句の「常識」と現実のギャップにもやもやする方に、ぜひ読んでいただきたい内容です。この記事を参考にしながら、引き続き創刊号の句を読んでいただけると嬉しいです!
「俳句って五・七・五じゃないの?」
今回はリズムのお話の前編。では早速いくつかの句を見てみましょう。
1.バス降りて見知らぬ町や暮の秋
2.白壁や汝の花野に肺を忘れ
3.サクラモミヂは風切羽になりさうだ
4.はらはらとピアノに触れて水の秋
上に創刊号のそれぞれの作者の1番目の句を並べてみました。
「五・七・五」というのは、文字数ではなくて音数(拍数、専門用語で「モーラ」とも言います)を数えたものです。日本語では、基本的に母音(a, i, u, e, o)の数と一致します。例外として「ん」も一拍に数えますが、難しいことはさておき、ここでは「文字数じゃないんだな」ということだけまずは確認しておきましょう。このリズムは、俳句の最も基本的なものなので、俳句を読むときはまずこのリズムに沿っているんじゃないか、と考えてみましょう。
このルールを頭に入れて読むと、1句目と4句目はきれいなリズムで読めますね。「/」の入っているところがリズムの切れ目です。
1.バス降りて/見知らぬ町や/暮の秋
4.はらはらと/ピアノに触れて/水の秋
念のため母音の位置を確認すると、1句目はこのように17の母音が含まれています。
1.バス降りて/見知らぬ町や/暮の秋
では、他の2句はどうでしょうか。上から5音目、12音目の後に「/」を入れてみます。(句の中の言葉の読み方がわからない方は、「『なんで俳句って〇〇?』~①旧仮名遣い編~」を参照してみましょう。)
2.白壁や/汝の花野に/肺を忘れ
3.サクラモミ/ヂは風切羽になりさうだ
1句目はそれっぽくなりましたが、1音余ってしまいましたね。2句目は区切ったものの、かなりリズムが悪い感じがします。こういうとき「俳句は五・七・五じゃないのかい」ともやもやしますよね。
ではここからその疑問を解消していきます。キーワードは「字余り・字足らず」と「句またがり」。中学や高校の国語の授業で聞いたことがあるかもしれません。
字余り
まず「字余り」について見てみましょう。これは文字通り、リズムからはみ出る文字=音があることです。
わかりやすいのは2の句です。これは一番最後の5音であるべきところが、6音になっています。こういうときは大目に見て、さらりと5音のつもりで読んであげればいいのです。
字余りは、俳句の表現技法の1つです。5音に収めようとして収まらなかった……みたいに仕方なく生まれてしまうことよりも、収める方法もあるけど、字余りにしたい! と作者が意図して使うことが圧倒的に多いです。
では、字余りにするとどんなことが起きるのでしょうか。一度読んでみると、リズムが伸びてちょっとだらっとした、不恰好な感じがするかなと思います。「自分、不器用ですから」とぼそっとつぶやくような、すっきり言い表せないような気分、そんな印象と言ったらよいでしょうか。何かズバッと言い切れない場面には、はっきりと言い切るときよりも、何か深い思いがありそうに感じられますね。ここから、字余りがより深く心に根ざした感動や心情を語るのにうってつけの表現であることが感じられてきませんか?
実は3の句も、この字余りで考えることができます。この句では最初の5音を7音として読むと、リズムが整います。
3.サクラモミヂは/風切羽に/なりさうだ
5であるべきところの数をいじってしまうなんて乱暴だ、と思われるでしょうか。でも実は、この形を取る句は少なくありません。松尾芭蕉の句、人生で一番最後に詠んだとも言われる俳句を見てみましょう。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
この句では、最初の5音であるべきところが6音になっています。「旅に出て、そして病気になった。そういう運命だった」というような、死を間近にした芭蕉の心持ちを感じられるのではと私は思います。
一方、形の上だけでいえば、この句は「五・七・五」に整えることも可能です。
旅に病み夢は枯野をかけ廻る
いかがでしょうか。先ほどはできていた深い捉え方が少し薄れてしまうような感じがしたら、それは字余りの効果をわかっていただけた証拠です。
字足らず
さて「字余り」とは逆に、文字が足りない! という「字足らず」のケースもあります。今回の作品にはなかったので、俳人の作品を引いてみましょう。
火恋し雨の宿りも宇陀の奥
「火恋し」は秋の季語で、寒くなってきた晩秋の頃に、文字通り火の暖かさを求めるせつせつとした感情を言ったものです。この季語、最初に置かれて5音となるかと思いきや、そのまま「ひ・こいし」と読みます。つまり4音しかないのですが、この句の場合のように、よく5音入るべきところに置かれます。
この季語は、そもそも寒いときに暖を取りたくなる、その心情を表したものでした。この俳句の中に登場する人物は、奈良県の山間部にある宇陀というところのそのさらに奥まったところで、雨宿りをしているのでしょうか。人も多くなく、聞こえてくるのは雨の音だけ。これほどの雨が降るとは、おそらくこの人物は考えていなかったのでしょう。そんな状況を思い浮かべ、その中で火の温もりを求める心持ちを思いながら、「火(一拍)恋し」と読んでみてください。いかがでしょうか?
ちなみに「火恋し」にも5音に整える方法があります。「火の恋し」としてしまうのです。それでも「火恋し」の方を使う句がたくさんあるのは、やはり心情と表現が深くリンクしているからでしょう。
さて、今回の「なんで俳句って〇〇?」②リズム編(上)~字余りと字足らず~はここまで。リズムに関するもう一つのキーワードについて、いくつかの句を取り上げながらじっくりと見ていきたいと思っています。それでは、次回をお楽しみに!
「俳句の読み方」はシリーズとして発表していく予定で、今後も俳句の読み解きに困ったときに、役立てていただける記事を目指していきます! ご期待ください!
シリーズ「なんで俳句って〇〇?」
①旧仮名遣い編(公開済み)
②リズム編(上)~字余りと字足らず~(当記事)
③リズム編(下)~句またがり~(2022年1月4日公開)
④季語編
⑤意味・内容編
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