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「なんで俳句って○○?」③リズム編(下)~句またがり~

 こんにちは。そしてあけましておめでとうございます!「パエリア」編集係です。いつもご覧いただきありがとうございます。

 少しずつこのシリーズも進んでまいりましたが、今回は前回の続きです。創刊号をお読みいただいた上で、ご覧いただければと思います。

 この記事シリーズは、私たちの俳句を楽しんでいただく糸口を見つけていただくために、ちょっとしたガイドラインとなったらいいな、と思い作った記事の一つです。この記事では、前回に引き続き、俳句の「常識」と現実のギャップにもやもやする方に、ぜひ読んでいただきたい内容です。この記事を参考にしながら、引き続き創刊号の句を読んでいただけると嬉しいです!

「俳句って五・七・五じゃないの?」

 今回はリズムのお話の後編です。いきなりキーワードを挙げます。ズバリ「句またがり」です。今回もところどころで『パエリア』創刊号の句が出てきます。

句またがり

 ここまで、対義語をなすキーワード「字余り」「字足らず」の2つを見てきました。今回はもう一つのキーワードとして取り上げた、「句またがり」について考えていきましょう。

 「俳句といえば五・七・五」ですが、この数字が音の数を示していることは、最初に確認しました。俳句を読むとき頭にこのリズムを置いておくと、字余り・字足らずの句であってもリズムよく読めるのでした。このことを思い出しながら、次の句を読んでみてください。

5.愛はしづかに湯豆腐の透くるまで

 数えてみると、この句は17音でできていますね。でも切れ目がわかりにくい感じがします。下のようになりませんでしたか?

5.愛はしづ/かに湯豆腐の/透くるまで

 2つ目の「/」は良さそうですが、前半に意味不明な「カニ」が生まれてしまいました。ここで意味の切れ目と言葉の切れ目がずれていますね。

「五・七・五」の切れ目が句の言葉の切れ目と一致しない、これが「句またがり」です。もちろんこういう作り方もありとされています。俳句の17音の使い方は、実は「五・七・五」でなくても良いのです。他の句をいくつか見てみましょう。

6.枯園に濡るる/合成皮革かな(八+九)
7.避寒旅行に/軽石の/ぶら下がる(七+五+五)
8.どやどやと来て/鍋焼の予約席(七+十)

 6と8は言葉の切れ目が五・七・五のところにあるので読むのに支障はないかもしれませんが、意味上は違うところで切れています。これらは特にパターンとして厳密に決まっているものではなく、結果的にそうなった、というだけです(ただ「足して17になれば、どんな区切り方もありうるか」というとそうでもありません。詳しくはまたの機会に)。

 さて、創刊号の句には、次のような句もありました。

9.ハロウィンや玄関が細くて深い

 これを試しに五・七・五のリズムに合わせて読むと、こうなります。

9.ハロウィンや/玄関が細/くて深い

 これは「細い」という言葉の真ん中で切れてしまいますね。もちろんこれも句またがりです。数えて見ると「五・五・七」になっていますが、このようなリズムが俳句で使われることは、あまり多くありません。

 でもどうでしょうか。「細くて深い」とまとめて読んでみると、すっと一本調子で読めると同時に、五・七・五のリズムで読めない不安定さも感じられます。私はここから、細い廊下が奥に続いている、マンションの一室にありそうな小暗い玄関を想像しました。このように、言葉のイメージから句の情景を立ち上げようとするとき、リズムは非常に大切な要素となるのです。もちろん、私のしたような解釈と異なる考え方も、間違いということにはなりませんのでご安心を。

 意味とリズムがリンクしているという考えのもとで、先ほど見た6から8の3句をもう一度見直してみましょう。

6.枯園に濡るる/合成皮革かな
7.避寒旅行に/軽石の/ぶら下がる
8.どやどやと来て/鍋焼の予約席

 6の前半部分は、ギリギリ「五・七・五」の最初の5音にも当てはまりうる音数です。そのまま上から読んでいくと、ここで一息つくことになります。ここまでで「枯園に何かがしっとりと濡れている」様子を思い浮かべさせます。ここでちょうどページをめくるような間を置いて、後半部分が登場する、という構造になっているのです。そこに作者の感じた驚きや意外性が現れるとともに、読者にとってもその衝撃を共感することができるような展開をもたらしてくれるのです。

 7の句は、言葉の数が少ないことも相まって、ブツブツと切れたようななめらかでない印象があります。内容や言葉同士の関連性を見てみると、あまり一般的でない言葉の組み合わせがこの句の中にあることが分かります。リズムのぶつ切り感と、言葉の不連続性は決して無関係ではないでしょう。

 8では、前半が動詞中心、後半が名詞中心に構成されています。前半を読んだときに何やら音と動きを感じさせ、やはりここで一拍を置かせることになります。「何が、どこにどやどやと来たのか」という疑問を抱えた状態で後半部分を読み進めると、その謎が解けることになるのです。この句の切れ目は、場面や注目を注ぐ対象の転換点でもあると言えるでしょう。

まとめ

「五・七・五」を崩すことで表現したいものがある

 ここまで見てきたように、作品の中でリズムが崩れているときには「五・七・五」では伝えきれない感情を読み取れたり、定形のリズムでないからこそ浮かび上がらせることができる雰囲気やカメラワークを感じることができるものがあります。ただ、「ある表現技法を使用すると、必ずこの感情が表現される」というような関係はありませんし、もちろんそれぞれの技巧や技法が今回紹介した以外の感慨を浮かび上がらせることもあります

 作者は、目にした情景や、それを受けた自分の感動を俳句に詠み込むとき、言葉選びだけではなくリズムにも気を使い、最適な表現となるよう努めていると言えるでしょう。読者の側から考えれば、俳句を読んだときに、ある表現の方法が自分にどんな感情を呼び起こさせているのかを考えると、更に作者の考えに迫ることができて面白いかもしれません。


「俳句の読み方」はシリーズとして発表していく予定で、今後も俳句の読み解きに困ったときに、役立てていただける記事を目指していきます! ご期待ください!

シリーズ「なんで俳句って〇〇?」(予定)

  • ①旧仮名遣い編(公開済み)

  • ②リズム編(上)~字余りと字足らず~(公開済み)

  • ③リズム編(下)~句またがり~(当記事)

  • ④季語編(公開日未定)

  • ⑤意味・内容編

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