排気口の台本販売までの長い道のりの巻。

 ぶっ壊れた脱線寸前のローラーコースターの様な寒暖差の激しい日々も、とりあえずの晴天を見せて落ち着いたかのような今日。春の日差しは柔らかさから暑さへとその変化の予感を孕んでいる。が、依然まだ4月。いくら夏好きの私としても今の今から暑くなってもらったんじゃ、ちょっと困る。ケンケンミンミン焼きビーフンたまに食べると美味しいよ、毎日食べるとちょっと飽きる。みたいなものだ。

 来るべき排気口新作公演『逆光より(仮)』(仮が付いているという事は必ずタイトルが変わるという事だ)の台本作業準備として沢山の本を読んでいる。唯一の趣味が読書と言っては憚らない私であるが、致命的に本を読むスピードが遅い。最近は本を数ページ読むと眠くもなってくる。さらに寝ぼけという脳のバグも起きる。例えば本を読んでいる途中に寝てしまうとする、したらなんと、夢の中で続きを読んでいるのだ。当然その続きは夢の中の事であるので妄想である、しかし起きた私は寝ぼけているので、ありもしない妄想の続きから読み始めようとして起き抜けから虚実皮膜の淡い境をさまよい、最終的には混乱して、最初から読み直すなんて事もある。なんて恐ろしいまでの二度手間!!

 思えばこの夢と現実の境が曖昧になる「寝ぼけ」という現象にかれこれ大学生の頃から悩まされている。夢に出てきた架空のユニット「やくしまるえつことテレプシコラーズ」を実際にあるもんだと思い込み半日かけて調べた事もあった。クロマニヨンズの曲「フォーメーション」がどのアルバムに入ってるのか思い出せないと大騒ぎして結局それが夢に出てきた架空の曲だと判明する事もあった。一番哀しいのは台本を書き上げる夢を見た時だ。起きて書き上げたという感慨だけが確かな手応えがあるままに、現実の真っ白なワードファイルを見つける時の哀しみったらない。

 しかし不思議な事に寝ぼけて、寝ションベンや寝ウンコをすることは今まで1度もない。よく夢で大量のウンコが出てきたり(ちなみに夢占い的に金運アップの象徴である)永遠と終わらないおしっこをする夢をみるのだが。因みに現実では、日常的な大量飲酒による影響で毎日胃腸が下痢気味なので、フトした瞬間に漏らす事がある。排気口/中村ボリ企画公演『人足寄場』の台本作業をしていた時も明け方まで台本を書いていた頃合いに伸びをした瞬間にウンコを漏らした事があった。余りの情けなさに思わず泣いてしまった。一人であんなに泣いたのは数十年振りだ。そう思えば前々作『アイワナシーユーアゲイン』の台本作業の時も極度の疲れで自分がオシッコがしたいのかウンコがしたいのか分からなくなり、勘でオシッコにベッドして、そのままゲロを吐いた事があった。このような混乱は酩酊状態だとさらに多くなる。

 排気口の作品にウンコ、オシッコ、ゲロ、チンポコという品性の欠片もない台詞が頻出するのはこのあたりに原因があるのかもしれない。仮にも静謐で詩的な台詞を編み出す素晴らしい劇作家である深津篤史、松田正隆、鈴江俊郎に影響を受けている自負があるのだが、どうも違うのかもしれないと思い始めている。今でも酔うとウンコ、オシッコ、ゲロ、チンポコの言葉で大笑いしてしまう。感性が小2で止まっている気がする。というか実際止まっていると思う。誰かに止められたのかもしれない。きっとそうだ。

 来るべき排気口新作公演『逆光より(仮)』において、周りから時に優しく、時に迂遠な言い方で、時に厳しく、品の無い台詞は書かないでくれと注意を受けている。私もそう思う。そう思うのだがウンコ、オシッコ、ゲロ、チンポコという自分の中の四天王が「俺たちも三鷹の舞台に出たい」と叫んだ時に私は本当にそれを拒むことが出来るのだろうか。今から心配である。小2で止まった感性に時間という流れを代入するのは難しい。私はこれから「老い」という別の時間の中でそれを風化させていく事しか出来ないのだろう。

 そんな品の無い台詞も書かれている台本の販売は『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』このタイミングならつい先日終わった排気口/中村ボリ企画公演『人足寄場』の台本を販売するのがベストっていうのも重々承知なのだが。振り返ろう足跡。呼び出そう過去。みたいな具合で排気口は去年の夏に公演された長編『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』の台本が発売される。台本販売は約3年振り。私たちは滅多に台本を売らない。

 滅多に台本を売らないという姿勢に特別な美意識がある訳ではない。そこにはもっと具体的な理由がある。それは公演終わると台本がもうぐちゃぐちゃになるからだ。私は稽古場で台詞をどんどん変えてしまう。必要とされば短しシーンを口立てで作ってしまう事もある。そして私は台本を稽古場に持っていかないので原本の台本はその形を記録されないまま彼方に消えてしまうのだ。 

 私にとって台本は極端に言えば書き上げてしまえば用済みなのだ。稽古場でみんなと一緒に作品を作る時、台本に縛られ過ぎるのは自分の頭の中で想像している物以上にならない。せっかくみんなで作品を作るのにそれじゃあつまらない。稽古場に台本を持ち込むとつい台本ばかり読んでしまう。そうすると台本に無意識にも縛られてしまう。しかし、最近は私の稽古場での修正が細かく多岐に渡るのでそろそろ演出助手を付けないといけない段階になったきた。演出助手に何も教える事が出来ないからという理由で今まで付けていなかったのだがいい加減そうも言ってられない。ギャラはちゃんとお支払いするので、次回の演出助手をささやかに募集します。なにかしらで連絡下さい。条件は私よりもしっかりしてる事。私は左右盲なので、そうじゃなかったら大丈夫です。

 という訳で、『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』完全版、150の注釈は今回付かないが(決して面倒だからではなくて、膨大なデータ量になってしまうので今回は断念)この台本を開場前にアジカンの「ソラニン」を大合唱していた出演者たちに捧げます。販売はnoteで。明日か明後日には。是非とも。近年の排気口作品の中でも一番濃度が濃いこの台本を春の麗らかな陽気の中で。まだ排気口を観た事が無い方も是非。

 売り上げは全部酒代に充てます。だから買ってね。穏やかさを祈って。

 

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