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アイドル。元相撲部を走らす

久しぶりTVに映った彼女は、相変わらずの弾けるような笑顔に面影があるも、だいぶふっくらとしていた。
35年近く前の “あの日” を思い出す。
ずっと忘れられない、彼女と繋がる一場面。

その日、私たち営業5課は、5人全員、主力取引先の駅前デパートのイベントに駆り出されていた。本社とパイプの太い課長が、秋キャンペーンの宣伝モデルをひっぱっりだすことに成功した一大イベントだった。キャンペーンモデルは当時のトップアイドルのひとりで、キャンペーンソングは歌のベストテン番組で上位にランクインしていた。百貨店側も大喜びで、屋上の特設会場を用意して、商品もしっかり納品してくれた。現場としては、いろいろと事前準備は大変だったけれど、当日は、本社の宣伝部や広告代理店が仕切ってくれたので、駆り出されたものの、さして、することはなかった。

黒塗りのワゴン車が地下駐車場へ入っていくの見送り、予定通り彼女が現場入りしたのを確認すると、自分はもう、しばらくやることがなかった。

彼女の控室と近接して、私たちの控え場所がある。
休憩に戻る廊下。
息を切らしている先輩に出会った。

ハア、ハア、ハア、…

N大相撲部出身。
本当かどうか、確認する必要を感じない巨漢だ。
休日には、小学生になったばかりの息子にキャッチボールを教えている。
大きな尻を廊下の壁に預けて、やや前かがみに身体を折った格好で、辛そうに息を整えていた。

「ハア、ハア。」
「大丈夫ですか?」
「ハア、ハア。」
「どうしたんです?」
「ハア、ハア。…」

今は、待て、という意味らしく、膝に充てていた左手を振った。
しばし、横に並んで、先輩の息が収まるのを待つ。

「ハア、ハア。」

「ハア、ハア。」

「ハア、…フウ。」

「フウ、…フ。」

「…フウ。…フ。あのな。……って、言うんだよ。」

「……じゃなきゃ、ダメだって。」

まだ、身体を折ったまま、グーにした右手の親指で、少し離れた先の左手にある閉まったドアを示した。
ドアの向こうには彼女が控えているはずだ。
トップアイドル。若干16歳。

ようやく息が整ってきて、折っていた身体を伸ばし、今度は壁にピタリと寄りかかった。
よく効いたクーラーのおかげで壁はひんやりとしている。
ああ、なるほど、背中を冷やしているんだな、と思った。
秋キャンは残暑の内に行われている。

壁に貼り付けられたような格好で、顔だけこっちに向いて、事の悲劇を教えてくれた。

「ちゃんと飲み物、用意してあっただろ?」
用意周到、企画書にも明記してあったはずだ。
「それがさ、ダメだって言うんだよ。」
先輩は、巨体を壁に貼り付けたまま、少し横歩きして、天井のクーラー口から直接、風を受けられる位置をとった。そのまま風を食べるように、喉を反らしてひと段落、休む。
それから、同じように位置を変えたこちらを向いて続けた。
「果汁100%しか、飲まないんだってさ。」
恐ろしい真実に怯えたように言うので、小さく鼻が笑ってしまった。
「笑い事じゃないぜ。だから、走ったよ、オレ。地下の食品売り場まで。」
スーツの巨漢が大きな腹を震わせて、短い脚を前後させて、走る(?)様子を想像してしまう。
「お前。笑っているだろ?」
「いいえ。」
「でも、スーパーじゃないからさ。簡単にみつからないんだよ。」
デパ地下を走り回る迷惑な巨漢を想像してしまうが、あくまで同情の念を浮かべる努力をする。
「で? どうしたんです? あったんですか?」
「あった。」
「よかったじゃないですか?」
「駅に、生絞りのジュース売ってるところがあったの思い出した。」
え? 結構、遠いよ、と思ったのが顔に出たと思う。自分も通勤に使っているので、言われればすぐにわかった。お高いので利用したことはない。
「そう。知ってるだろ。あそこまで。走ったんだよ。」

アイドル16歳。
休日に息子とキャッチボールをする元相撲部の巨漢を走らす。

あれから凡そ35年。
50歳を超えた元アイドルはTVの中で破顔している。
アイドルも人並みに歳をとるようだ。

先輩。いかがお過ごしでしょうか?
あの時、走りましたね。。

(お前。また、笑ってるだろ。)

―了―

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