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【無料公開エッセイ】あめつちの詞  #あ

あ アウトロー


  ひよらずに流れてゆけよ雪解川
 
 僕たちの俳句はいつの間にかアウトロー俳句と呼ばれるようになった。
 はじめて活字になったのは『週刊ポスト』の平成二十八年二月二十六日号だ(偶然だが二・二六というのが、俳句における革命を予感させて嬉しい)。もっと昔の話だと思っていたが、わりと最近の話だ。見出しには「過激なほどアブナイ」「お題はヤクザ、セックス、風俗、犯罪……」などの煽り文句が並んでいる。従来の俳句のイメージと違う作風がウケたのだろう。文中にも「高尚さと真逆」だと紹介されている。
 たしかに歌舞伎町には「アブナイ」イメージがある。実際にアブナイ目にもあった。ただそれをテーマに詠めばアウトロー俳句かと言われると、ちょっと待て! と言いたくなる。僕たちの俳句は歌舞伎町(で作った)俳句であるけれど、アウトローを意識した俳句ではない。むしろそこにいる人たちの生活や感情がテーマである。

  早春のやうな一生無法松

 僕が歌舞伎町に魅かれるのは、人間が飾らないからだ。チンピラはチンピラとして、変態は変態として堂堂と生きている。己の生き様に無自覚であることが美しい。自然な異常者は常識からははみ出してはいるものの、アブナイ人であったり、反社会的な人たちではない。自分のルールに忠実なだけである。
 不良の遊びはルールを破ることではない。新しいルールを作ることにこそ意味がある。ルールがなければ遊びなんか成立するものか。決められたルールがあるから、その裏をかくのが「遊び」というものだろう。
 ルールは厳しければ厳しいほど面白い。俳句だって、有季定型というルールがあるから面白いんだ。こんな大きな世の中のできごとをたった十七文字で描こうというのだからむちゃくちゃじゃないか。最高にクレイジーでクールだ。
 季語があるから、季語のない句を作りたくなるし、五・七・五があるから十七文字を飛び出したくなる。縛りつけるからそこに反発力が生まれるのだ。

  啓蟄の心の深きところより
 
 法律とか道徳とかは一番イージーなルールだろう。ゲーム性も何もない。人生を楽しむためには複雑なルールが必要だと思う。いつも自分が「不利」になるようなルールが望ましい。健さんはいつだって我慢してたじゃないか。忍ぶ心だよ。
 近年は逃げるが勝ちみたいなドラマが流行ったが冗談じゃない。逆境こそ人生を楽しむチャンスじゃないか。逃げるどころか、自分から逆境に飛びこんでこそ「男」ってもんだ。
 おっと、昨今では、軽々しく男とか女とか口にしてはいけないんだったな。ジェンダー論もわかるけど、前時代的な馬鹿馬鹿しい男女論も認めて欲しいな。今までそれでなんとかなってきたんだから、何故、急に問題になったかわからない。僕が鈍いだけなのかしら。


  負けられぬ性を選びて吹流し
 
 ルールは自分のためだけに設定するのが理想だ。みなそれぞれが自分のルールを生きればいい。行き過ぎたジェンダーの問題などは人様のルールに土足で入り込む愚行であると思う。誰でもすぐに評論家顔したがるのが気持ち悪い。なんであんなに他人のことが気になるのだろう。誰が結婚しようが、不倫しようが知ったこっちゃない。SNS時代のタチの悪い弊害だと思う。「オレがヤクザとゴルフをしたからって、誰が困るってんだよ」と小林旭大先生はおっしゃってます。さすがだね、マイトガイ!
 だいたい正義ってなんだ。亜米利加さんが戦争するときの言訳じゃないか。
 これからも僕たちは自分のために、自分の俳句を作っていくよ。それがアウトローってもんじゃござんせんかねえ。


  冷奴箸を汚さず崩しけり


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