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2001年 9月11日

2001年9月11日

ポトマック川向こうの、ヴァージニア州アーリントン市内に、宿泊中の日本研修団と、二日目の米国政府訪問予定があったので、朝9時、ホテルロビーで待ち合わせた。 

その日は、2001年9月11日だった。日本研修団は団長を除いて、すでに全員揃っていた。  私が団員と打ち合わせをしていると、団長もエレベーターから降りてきた。 

「何か、大変な事が起こったようだ。 ドラマなのか、本当の事件なのか」と団長。  私はホテル近くのコヒーショップでも、人集りがしているので、 急いでテレビ画面を見るために、 コヒーショップに近づいた。

信じられない事が現実に起こった事を、ニュースは伝えていた。  その日は晴れた日であった。

 我々のグループは、ワシントンD.C.にある農務省訪問予定であったが、 テレビのアナウンサーの引きつった声からも、大事件だと悟り、 急遽、農務省の受け入れ係員に、電話を入れた。 「今日の会合は緊急事態のためキャンセル」との事。

ロビーのコヒーショップのテレビ画面は、ニュースの放送を、何度も繰り返していた。  その日の朝8時45分に、アメリカ航空ボーイング767機がハイジャックされ、北側の世界貿易センターの80階にぶつかり、延焼。  私は、 日本研修団員達に、ニュースの要約を伝えた。

世界貿易センターは、ニューヨーク市マンハッタンにある、有名な二つの高層ビルである。 私が電話の後で、また画面を見ると、9時3分に、今度は南側の世界貿易センタービルが、ユナイテッド航空機に、ぶつけられたとのニュース。

ホテルロビーのお客様達も騒然となった。 その日の予定どころではなかった。 現実に、夢にも思わないような恐ろしい事が、 矢継ぎ早に起こっている。

世界貿易センター南側タワーの場合は、航空機が60階を直撃、巨大な爆発音と同時に火を吹き始めた。  

この二つの航空機は両方とも、カリフォルニア行きで、大陸横断のため、燃料を多量に積んでいた。その大量のガソリンが爆発したので、 頑丈な鉄筋コンクリート建築物も、ひとたまりもなかった。

また、その上、ハイジャックされた、アメリカ航空機が、9時45分に、米国首都に近いバージニア州にある、国防総省も攻撃したとのニュースも流れた。日本研修団に、その事実も知らせた。

本来は、その日、私が担当していた研修団は、農務省での研修が終了後、午後の便でダラス空港(ヴァージニア州)から、日本へ、サンフランシスコ経由で帰国予定であり、ホテルのチェックアウトも済ませていた。

「世界貿易センターの南側タワーが、10時に崩壊、大勢の死者がでている。」とアナウンサーの声。「世界貿易センター北側のタワーも、10時半に相次いで崩れてしまった」とのニュース。

テレビ画面は、何度も何度も航空機が、直線を描いて、世界貿易センターへ直進する画面が流れていた。

4つ目の、ハイジャックされた飛行機の乗客数名は、携帯電話で、 世界貿易センター攻撃の事実を知り、自分たちが乗っている飛行機も、機内の様子から、ハイジャックされた事を悟り、死を覚悟の上、家族にメセージを残し、 操縦席にいる、ハイジャックしたアラブ人を攻撃した。

その飛行機はペンシルバニアに墜落、機内の人は、全員死亡した。  テレビのアナウンサーの声は震えていた。

アルカイダによる米国攻撃を、期せずして実況放送をすることになってしまった放送局。 我々も、その日の予定は完全に狂ってしまった。 

米国の緊急事態宣言化、 日本の研修団員のホテルの部屋を確保するため、ホテルと交渉。 アメリカ合衆国の首都近郊で、その研修団は足止めになってしまった。

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