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終末思想について

かなり久しぶりの投稿である。

例によって私は、日々の雑事や目先の金銭を稼ぐための毎日に追われている。これは現在の地球を生きる上での逃れにくい足枷であり、ある種、これで良いとも言える。

とはいえ、2020年の末に行ったとあるスピ的儀式が効いたのか、以降、本当の意味で金銭的なピンチになったことはなく、現在は今までの人生において最も時間とゆとりのある状況となっている。

こうしてゆとりが生まれたことで、久しぶりに霊的探究心が三次元における自分にも戻りつつあるといった状況だ。

とはいえ、この文を書いている今現在においてもチャンネルはあくまで三次元に合わせているので、この文章も今回は三次元的になると思う。

今日は現世的な視点から「終末思想」について触れたいと思う。

得道

ふとした縁がきっかけて、実は数年前に「得道の三宝」を得る機会があった。
ここでは、得道や三宝については詳しくは触れない。
ただ、得道に関しては現存する各宗教の中では、かなりまともな部類かと思った。

とはいえ、私は地球の宗教に関して特別どこかに深い思い入れがあると言うわけではない。土地や人種によって切り口や道筋が違うだけだからである。日本人に生まれた人は、このテキトータイプが多いと思う。

とはいえ、指導者たちが作る護送船団方式の方が向いてる人たちも数多くいるし、宗教自体は私も好きなので、今回の得道のように参加したりする。

参加してみると、やはり一介の真理や、道筋自体は通っていることを感じた。

ただし、歴史の中でどうしても「変なもの」が混ざるのだ。

それは「終末思想」である。

これは得道に限った話ではない。仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、はたまた近年の新興宗教の多くに混ざっており、地球で宗教を行うにあたって、もはや必須レベルの調味料となってしまっている。

なぜ「終末思想」が間違いなのか?

それは「恐怖」を軸とした思想エネルギーだからである。

このエネルギーで動いている間は、いくら信仰に励んでも永遠に地球の重力から脱することはできない。

また、「終末思想」は「選民意識」の土台となる。

簡単に言えば

選ばれたワテクシこそが救われる

といった、驕りや自惚れにまみれた分離する意識に直結しているのだ。
しかも、この意識が大量生産される。

一見同じ船に乗った団体さんに見えて、中身はそれぞれが分離し驕った状態の形だけのワンネスになりやすいのだ。
自分たちだけが救われればいいのか?信仰ゼロの人でも、ちょっとアホな人でも、悪魔だろうが妖精さんだろうが、みんな救ってあげればいいじゃないか。そもそもが優しくないのだ。

こういう思考は、どんなに隠して取り繕ってもバレてしまう。
いつか誰しもが必ず天国の入り口に行くわけだが、その時に霊的にかなり恥ずかしい思いをするのである。

かくいう私も、かつてぶっ飛んだ時にめちゃくちゃ恥ずかしい思いをした。なんせ、どんな些細な思考も全部つつ抜けなのだ。例えばちょっとしたマウント意識が生まれたとしたら、それは一瞬で全体に共有される。
物質的制限がないから、思考や魂の質の何もかもが筒抜けなのである。これはある意味、全裸で渋谷のスクランブル交差点でオナニーするよりもはるかに恥ずかしい。

まだ他にも「終末思想」がトンチンカンな理由は多くあるが、長くなるし、くたびれてきたので割愛する。

だが、各宗教の多くに「終末思想」が混ざってしまうのは、仕方ない現象とも言える。「恐怖」で動かすのが一番簡単だからだ。
遊牧民が犬やムチを使って、羊を誘導するのに似ている。

遊牧民に動かされる羊ではなくて、自らの意思で動く羊になりたいものだ。

人は誰でも神と繋がれる能力を持っているし、気づいてなくても繋がってたりする。

正直なところ、「終末思想」でもなんでも良いし、分離しまくっても何も問題はないのだが、その状態の人はおそらく何かしらまぁまぁ苦しいハズである。

これもそれぞれの好みだから別にいいのだが、早めに「楽になりたい」「もうくたびれた」という方で、「終末思想」宗教に足を踏み入れている場合は「その教えの箇所だけ距離を置く」というのが良いやり方だと思う。

また、先生的な人も多くいると思うが、「終末思想」大好き系の先生とだけ少し距離を置くと、きっと楽になると思う。

終わり












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