巡り合わせ
継母が亡くなって一年
土曜日は、京都駅まで新幹線のチケットを買いに行ってきました。10月6日に東京の弟の家である継母の一周忌の法事に参るためです。高いですね~新幹線のチケット。
「せっかく東京まで行くのだから、会いたい人たちに会ってこよう」
と思い、10月5日から9日までの予定で東京に行くことにしました。
5日、中高時代の同級生と月島でもんじゃ。
6日、法事。
7日、Clubhouseで仲良くなったみなさんとランチ(なんと13名)
8日、赤羽雄二さんのセミナー(私はちょこっとスピーチもします)。
夜は弟の焼き肉店の傳々で、いつもブログを読んで下さってポジティブ
フィードバックを下さる方達と焼き肉。
9日、お昼の新幹線で京都に帰る
という、とても盛りだくさんで充実した日々を過ごします。
みなさんに会うのももちろん楽しみなのですが、弟たちと会うのもとても楽しみです。そして、弟のお嫁さんに会って話すのがとても楽しみです。
弟の6歳年上で、私と同じ年のお嫁さん。本当にいい人なのです。明るくて、優しくて、面白くて。私は彼女が大好きなのです。母が亡くなるまで、弟も、お嫁さんも、母に本当によくしてくれました。2人には感謝しかありません。何もできなかったことを申し訳なく思っています。
「弟たち(金沢に住む弟がもう一人います)やお嫁さんと会って話せる機会を母が作ってくれたのかな?」
と、母にも感謝しています。
法事でお経を詠むのは、私の元夫。正直、会いたいような、会いたくないような気持なのですが、息子たちをしっかり育てたこと、次男と交流させてもらっていること(長男は、色々あって疎遠なのです)に感謝の気持ちを伝えたいです。
みんなで母の思い出を語り合えればいいなと思っています。
母への感謝
母と書いていますが、正確には継母です。血はつながっていません。私が14歳の時に、父と母は再婚しました。母は、今焼き肉店をやっている弟を連れての再婚でした。でも、継母ではなく、本当の母のように思っています。
私の父は会社を経営していました。
「男の甲斐性や」
と、飲むわ、タバコは吸うわ、ギャンブルはするわ、浮気はするわで、それはそれは破天荒だった人でした。66歳で父は肝臓がんで亡くなりました。
そんな父と連れ添った母は、苦労が絶えなかったと思います。
「もう別れる!」
と母が言って、家を出ようとするので、
「お母さんが出て行ったら大変!引き留めなきゃ!」
と思って、いつでも出かけられるようにと服を着たまま寝たこともありました。
「どうしてお父さんと結婚したの?」
と聞く私に、
「葉月ちゃんがいたからよ。女の子が欲しかったのよ」
と言ってくれた母。女らしいことに全く興味がない私(今も)だったので、アテが外れたというか、ずいぶんがっかりしただろうなと思うと心が痛みます。
とにかく強くて、決断と行動が速かった母。初孫である長男が生まれた時は、その頃暮らしていた神戸から、中国地方の病院まで新幹線に飛び乗って来てくれて、寒い病院の廊下に坐って、夜通し長男が生まれるのを待ってくれました。
長男が生まれて、次男が生まれて…お姑さんとの確執があったものの幸せに暮らしていた私。寺の仕事も忙しく、児童英会話教室の仕事も忙しくて、なかな実家に帰れなかったのですが、母は父を車の助手席に乗せて、何度も何度もお寺まで来てくれました。
母とも色々なことがありました。赤羽雄二さんの勧めで、父、生母、そして継母である母に手紙を書いたのですが、一番筆が進まなかったのが、母への手紙でした。
「もっと私を、ありのままの私を愛して欲しかった」
という思いが湧いたのです。
でも、今こうして振り返ってみたら、母は私を愛してくれていました。たしかに愛してくれました。そんな母に、今は感謝の思いしかありません。
母からの手紙
母は81歳で亡くなりました。晩年は母、すい臓がんを患って入院していました。お見舞いに行きたくてもコロナで、面会することができませんでした。電話ではよく話したし、手紙も出しましたが、母に会えなかったことはすごく悲しいことでした。
「おかんが危篤や」
と、弟から連絡をもらって、慌てて東京に駆け付けました。時おり苦しそうに顔をゆがめるだけで、何も話さない母。そんな母を見るのは辛かったです。
お医者様から、
「あと1日か2日で、命が尽きる」
と聞かされた時は、弟たちも弟のお嫁さんも私も号泣しました。涙が止まりませんでした。
そんな母が、病室で私宛に手紙を書いてくれていました。バッグの中に入っていたそうです。母の死後に弟のお嫁さんが、手紙を見つけて送ってくれました。読んでまた涙が出ました。
私のことは心配しないで。もう年だから。
それより葉月ちゃんのことが心配です。
どうか幸せを掴んでください。
人のことを聞くと気になるから、ただ自分だけを信じて頑張って下さい。
元気になって、葉月ちゃんとお茶がしたいです。
そんな言葉が手紙には綴られていました。
ただ、自分だけを信じて…
生前、母に、
「病気になったり、離婚したりして、いっぱい心配かけてごめんね。親孝行らしいことが何もできていない」
という私に、
「葉月ちゃんが幸せに生きてくれることが、私とお父さんへの何よりの親孝行よ」
と言ってくれた母。今、私はとても幸せなのですが、親孝行できているのかな…
巡り合わせ
母の娘でいられた時間は、約40年でした。母のお腹からは生まれなかった私。でも、母にはいろいろなことを教わりました。たくさんの思い出があります。母の娘になれてよかったと心から思います。
母が私の母になってくれたのも、なにかの巡り合わせです。父と母が出逢わなかったら、母の娘になることはありませんでした。
私が長男と次男の母になれたのも、なにかの巡り合わせです。長男とは、色々あって今は疎遠になっているのですが、京都で暮らす次男とは、とてもいい関係が築けています。巡り合わせに感謝です。
母や息子たちだけではなく、私が変わっていくきっかけを下さったカウンセラーの妙さんや、私が色々なことを学べせて頂いている方達や、Clubhouseの友達や、学生時代の友達や、英語関係の友達。Crossroadsやブログを通じて知り合った方などとの縁も、すべて巡り合わせです。その縁に感謝です。
母の言うとおりに自分の中に軸を持つことって、とても大切だと思います。
「自分だけを信じて」
と母は言ったけれど、
「他人軸ではなく、自分軸で生きて」
と言いたかったのだと思います。
これから私は、どんな人たちに出逢っていくのだろう?
どんな巡り合わせがあるのだろう?
素敵な出逢いを、巡り合わせを引き寄せられるように、心と身体を整えていきたいです。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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