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批判するにも責任というものがある

最近、様々なニュースサイトだったり、SNSだったりで、様々な批判がある。世の中への不満、政治家への不満、制作への不満など。でも、私は基本的にあまり政治に対してどうこう思わない。興味がないというわけでもない。むしろ、興味はある。ただ、政治は「政治家」に任せているという感覚を持っているから、批判したいと思わないということだ。

ちょっとこの言葉だけでは理解してもらえないと思うので、今回はこのことについて説明していこうと思う。

基本的に政治と宗教の話はしない

政治と宗教の話はしないというのは、基本的にビジネスにおいて発信する側での鉄則である。でも、今はコロナ禍であり、コロナと政治というものは、実は密接なつながりがあったりするものだから、少し話しておこうと思うのだ。

実際、世間がどれだけ何を言っても、オリンピックは開催されるみたいだし、副反応がなんだろうと、コロナワクチンは接種を推奨されるみたいだし、緊急事態宣言も延長になって、もういろいろ限界に来ている人たちもいるのは、どうやら事実のようだ。

でも、いくら限界に来たからと言っても、むやみやたらに政治家を批判するのはどうかと思うのだ。

投票していなければ、批判する権利もない

私は、前回の都知事選(私は東京在住、都民である)で、小池さんに票は入れなかった。それゆえに、私は小池さん批判をする「権利」を有していると、私は考えている。つまり、前回の都知事選で小池さんに票を入れた人は、基本的に、現行の都政に対して批判するべきではないと思うのである。

同様に、衆議院・参議院選挙において、「自民党」に票を入れた人は、現行政権に対して、批判すべきではないと思うのである。無投票の人も、同様である。権利を放棄しているということは、批判するべき権利すら持たないということになるからだ。これは、ロジックの問題である。

まあ、批判してはいけないとまでは言わないが、その場合は、選挙のときは投票したのに、「公約違反」のことをやっているので、批判に値するというのなら、わかる。

要するに、批判するのなら、ちゃんとプライドを持って批判せよ、ということを言いたいのだ。

コロナ禍におけるプライドとは?

最近、動画を伴った、とあるお弁当屋さんのニュースが衝撃的だった。これだ。

これ、カスタマー・ハラスメントとかいう問題ではない。モノを買う側の人間が、「ありがとう」という精神を持っていない、つまり、人としてどうかしているという話だ。

お店側がプライドを持ってお仕事をされていて、そこの従業員の方々も素晴らしいのは当然の話なのだが、この問題の「アゴマスクの二人組」が、プライドを持っていないということが問題なのだ。

電子レンジが使えないことで、そのお店を批判するくらいなら、電子レンジが必要とならない高級なお店で飲食をすればいいだけの話だ。今はコロナ禍でお店がやっていないというのであれば、自分で材料を買ってきて作ればいい。

自分より「格下」であると判断している人に対して、嫌がらせをするなど、言語道断である。このお弁当屋さんのオーナーさんは、この二人に対して毅然とした態度をとっていて、素晴らしいと思う。対応した店員さんたちも、素晴らしい。日本中の企業が見習って欲しいものである。

プライドと虚勢と言い訳

プライドをもって動く人は、言い訳をしない。虚勢も張らない。逆に、プライドがない人は、その逆で、言い訳ばかりで虚勢を張ってばかりで、すぐマウントをとろうとしてくる。そのような人が周りにいる環境は、はっきり言ってよろしくない。もし職場環境がそうであれば、ちょっと「いろいろ」考えたほうがいいかもしれない。最後に、参考になる動画を貼り付けておきます。

個人的に、もともと、ひろゆきさん自体はそんなに好きではなかったのですが、彼のロジック展開は素晴らしいと、いつも感心している。

これからの世の中、相手を論破できるほどのロジックを持つか、相手を笑わせられるほどの話術を持つことが、必要になってくるような気がしている。両方備わったら、まさに最強だと思う。今回は、ここまで。




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